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  • 2015.10.23 Friday
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年末信仰

 過日静岡の飲屋で酒を呷っていると、隣に座った妙齢のホステスが、


「年末進行でバタバタですよ」


 と言った。年末進行とは出版業界に聞かれる単語で、年末年始の印刷所休業につき入稿時期が早まるタイトな日程を指す。と私は認識している。ダンテ・アルギエリの話についてくる珍しいホステスだったので、


「……編集者?」
「漫画家です」


 よくよく聞いてみると私も幾度か原稿を書いたことのあるX社で、都内ならばたいして珍しくもない出来事だけれどもこんな場所で相見えたところが私の心に響いた。たださえそういった方面には仲間の少ない地域であるから俄然、話にもうねりが生じるように思われた。ところが彼女の態度といったらむしろ硬化の一途で、しまいには黙して語らずの木偶となってしまった。潤んだ瞳を横に逸らして、その話は止めましょうよとしきりに言う。全然繋がりを持ちたくないらしかった。


 そうして今日は都内にて世話になる会社の忘年会に参加した。全員が全員、痩せたね! に始まるからには本当に痩せてしまったようで、我が身のことなれど今更心配になってきた。生前中島らもは『病気でやせるダイエット』を提唱していたけれども、今年の私は『叱られてやせるダイエット』を実践した。痩せた、というよりは摩耗した感がある。体感にして五年にも十年にも匹敵した。限られた時間を長く感じられたのは紛れもなく良いことだが、開口すれば怒鳴られ、閉口すれば詰られして、次第に飯も喉を通らず、肋骨が浮き、ついには五十三kgを切った。かたや卒業時に同体重だった友人は宇宙の如く膨張を続けており、いまや七十五kgとなっている。水死体のような体型をしている。私も彼も、増減においては等しく十一kg、ストレスが或いは過食になびき或いは拒食になびきした挙句、それぞれこうもなったかと、全裸で銭湯の鏡面に映じる二人の往時の面影なきを大いに嘆じたのはまだ今月の話だが、かなり昔のことのようにも思われる。


 忘年会では一万円を手に入れたが、新幹線の往復にさっさと消えた。ショートカットの榮倉奈々があまりに可愛すぎて、ほかのことは今のところどうでもよい。

 


 


 


 



 

追悼のざわめき

 クリスマスということでなんとなく飯を食ったりする予定になっていたけれども、少し前に友人から送られてきた『追悼のざわめき』が気になって仕方なかったので、映画を観たいからごめんなさいと断りを入れると、バウムクーヘンを一枚ずつ剥ぎ剥ぎ、布団にくるまり本作に溺れた。こういう自己中心的なところは女性に対して最もいけないところなのでしょう。そうかといって、真剣に観たかったので、一緒には、観たくなかった。ところでバウムクーヘンはそのまま齧ると質量がずっしりとしすぎているので、人前でなければ都度剥いて食べる。


 名こそ知れども恥ずかしながら避けていた。この作品は、ちょっと長いのである。『ゆきゆきて神軍』以上に、避けてきたのが途方もない損だと思われた。こんなに美しい映画を観たのは初めてだ。内容は割愛するとしても、しんから感動した。主張ってのは少数派だけが意味を持たせることができるものなのだと改めて思った。清濁併せ持つ人間という因果な生き物をあそこまで臭みたっぷりに描きながらも、美しさが少しも損なわれていないのは神業というほかない。エログロの先にある圧倒的な耽美に、みなさんにも是非触れて頂きたい。正月も近いことだし、親戚の子供が暇を持て余して映画なんぞのダダをこねてきたら、ワンピースの実写版だよと笑顔万遍、この映画を流そう。トラウマは、早いほど良い。


 ところで友人から送られてきた映画の内訳は『盲獣対一寸法師』『HOUSE』『イレイザーヘッド』『追悼のざわめき』で、私はどういうわけかイレイザーヘッドとヘルレイザ―を勘違いしていて、この中にあっては異端だと不思議がっていたけれども、観て納得リンチ監督でした。これら作品言うまでもなくそれぞれが有機的に繋がっていて、贈り物には貰い主が気付くようなそれでいて悦ばしいコンセプトを付帯するのが本当、という理を再認識させられた。まさにちょうど、思春期にこしらえたいびつな感性を満たしてくれるような映画を観たい、さもなければ頭が悪くなってしまうとハラハラしていた矢先の贈答品だったので、これが女だったら百回も告白しているのにと悔しがった。


 異性を好きでたまらないのに、心の琴線に触れてくるのは圧倒的に同性、これは自分のような男のみならず、女性もそう感じるところ多々なのじゃなかろうか。もしそうでなければ、男だけが同性異性の別なく誰にでも優しいということになって、まるで話にならないのだが。

 


恋人と読みたいクリスマス掌編

 次郎太が中野へ戻ったのは、約束を三時間も過ぎた午後十時のことだった。常より明るい駅前ではあるが、クリスマスイブということもあってこの日は赤と白との電飾が殊に鮮やかで、恋人たちの瞳をきらきらと輝かせていた。人混みを掻き分け路地裏の飲屋街を抜けると、人気もまばらに風がいっそう冷える。五分も歩くとようやくアパートが見えた。再三のメールや電話にもかかわらず何の返信もない夢子の態度から、もしや怒ってどこかへ行ってしまったのかしらんとする次郎太の心配は、二階建てのアパートのうち角に位置する自室の照明が落ちているのを見るといよいよ高まって、彼を一層焦らせた。


 築五十年、鉄製の階段が次郎太の駆け上がる速力にぶるぶると震えながら、喧しい音をたてる。あまりの激しさとその速力にアパートの住人の中には、誰かが上から転んだのではないか、そうしてそれが女性ならサンタの贈り物に違いないと期待まじりにドアを開ける輩すらあった。


 果たして次郎太がドアノブに荒々しく鍵をねじ込み扉を開けると、夢子の靴はそこにある。履き込んだ内側が黒くなっているから見苦しいというのもあって今年のプレゼントは靴にしようと思うに至ったいつものヒールである。細い廊下が三メートルも続くと引戸の向こうに八畳間がある。次郎太は電気をつけてもまるで人の気配のないことに不審を抱きつつも、寝ているだけかもしれないと一旦は解釈したが、それでも引っかかるところあって台所の包丁に手を伸ばした。冷えたビーフシチューの入った鍋、シチューを盛るための大きな白い皿が二枚置いてあって、これは二人で食べるはずだったのにと早くも泣けてきた。次郎太の想像は万事につけて悲観的な方向に及ぶのが常で、彼の中ではもう、夢子は引戸の向こうに惨殺されていることになっていた。


「今、日本にいるの?」
「オー家ー」


 電気をつけ、戸に手をかける。勢いをつけるためにと叫んだのは、二人の昔のメール問答。そうして次郎太は腰を抜かした。部屋の真ん中に大きな木棺が圧倒的な存在感で君臨している。ちゃぶ台には見慣れぬ鍵があって、どうやら木棺にかかった南京錠をこれで外すらしい。あからさまに死と直結した装置の登場に、次郎太の禿が進行した。


(仕事が遅くなったからってこんなことあるかよ……)


 次郎太は、恋人が殺されたらしいと警察に連絡を入れてパトカーの到着を待った。十分としないうちにどやどやと四人の警察が現れて、救急隊も二人駆けつけた。ただならぬ騒ぎに隣室そのまた隣室更には階下の住人までも、部屋の入り口に押し寄せた。


「帰宅したら木棺がありました。僕はまだ中を見ていません、辛すぎてみることができません……」


 何故木棺があるのか、何故通報者は開ける前から死んでいると断じるのか、犯人はこいつではないか、何故警察がいるのか。抱える不可解こそ次郎太警察見物人で三者三様だけれども解らないという共通認識がアパートに不穏の空気を醸す。いよいよ警察が鍵を開けると、中の女と目が合って、思わず叫んだ。死人と思ってその実生きていたら、その恐怖は逆の何倍ともなろう。ついで、夢子も叫んだ。次郎太は、何が起こっているのかさっぱりわからなかった。


 夢子の強い口調のもと、警察と救急隊は帰らされ、住人も警察に促され、蜘蛛の子の散る如く次郎太の部屋には静寂が戻った。夢子は、次郎太の再三の言葉にも拘らずわあわあと泣くばかりで布団から出てこない。


 ……この日夢子は、かねてより計画していた次郎太へのプレゼントとして自身を装飾したのであった。こう言ってしまうと安い風俗のようだが、金のかかりかたといったら並ではない。まず己をおさめる箱だが、これは棺桶屋の提案が気に入らなかったので知り合いの家具デザイナーに作らせた。通常棺桶にはセンという北海道の広葉樹が用いられるが、夢子はそこまでやってしまうのは不謹慎だと考え、何より棺桶屋の言う材質が気に入らなかった。話を聞くにつけ、どうやら棺桶というのは無垢材ではなく、芯には安い材料を使って、表面にのみセンの化粧材が貼付けられているつまりハリボテらしいことがわかった。これでは重厚感どころか、人間というのは死に際しても虚飾ですかという猜疑が生じるばかりである。そもそもセンの、タモのようなケヤキのような判然とせぬ無個性な木目も気に入らなかった。だから夢子は、腕の良い職人に胡桃の木を素材としてオリジナルの棺を作らせた。オイルやウレタンでは高級感が出ないとわざわざ高価な鏡面塗装までを施して、総額三十万の高級家具である。


 次いで全身の無駄毛処理をエステにて行い、その肌をより美しいものへと磨き上げた。美容院では髪をしなやかに、サロンではネイルをつやつやにして、頭から爪先までぬかりなく整えた。そうして、書家には次郎太の傾倒する伊勢物語の筋を生肌の上に走らせるよう命じた。これは人間が口に含んでも良いたぐいの塗料で、夢子はこそばゆい筆遣いから長い夜のことを期待して早くも身体が熱くなった。


 さてこうして装飾は完成した。棺の内側には深紅のヴェルヴェットが張られていて、そこにおさまる夢子の身体はあたかも薔薇に包まれているかのよう。肌の上には淡い墨色の恋歌が連なり、ふわりと横たわる黒髪が電灯をうけてつやつやと輝く。


 夢子は、是非ともこの愛を次郎太に受け止めて欲しかった。次郎太がこのような要求を出したことこそなかったけれども、この悪魔的な美に、ナルシシズムに溺れて欲しかった。ところがいざ文字通り蓋を開けてみたら眼前には警察がいて、何人もいて、奥からは救急隊員が顔を覗き込んでいて、次郎太は、泣いている。無垢材で作り上げた棺桶は遮音性抜群で、外部に起こった一切は夢子の耳に入らなかった。階段を駆け上がる音も何もかも、いったん友人に錠を下ろしてもらってからはさっぱりわからなかった。


 そうして夢子は、警察の叫びに思い描いていた一切が破綻したらしいと気がつくと、唯美猥雑の世界から現実に頭が戻って、自分の姿がパイパンに全身恋歌の気狂いであることにハッとして、羞恥に叫んでたちまち泣いて、それ以上に次郎太の鈍さと小心とに深く失望した。こんな惨めもあったものじゃない。


「許してあげるから費用ぜんぶ払ってあと婚姻届明日出して」


 次郎太は体重八十五キロの巨女のセンチメンタリズムの暴走に対して、僕は君の形より心を愛しているからこういうことはしないで、とは言えない男だった。そうして総額五十万円と残りの人生を夢子に費やすことになったが、結ばれることは彼にとっても幸せに違いなかった。

シャカタクを聞きながら

「軍鶏の賭博があるから、行こう」


 聞けば、賭博場は山の奥深いところとはいえ家から三十分も走れば到着する場所だった。その日私はコーヒー豆を買うため提案された山からは真逆の方向へと車を走らせていたのだが、軍鶏見たさにUターンすると、いきなりのサイレンは警察だった。走行中の通話とUターン、シートベルトの締め忘れをいっぺんに咎められた。そんな一気に言われても、わかんない……。


「これは聞いた話ですけどね、どうも今日の●●時から軍鶏の賭博が△△で行われるらしいですよ」


 平成も二十年を超えて軍鶏のどさ回り。山林の深くに建てられた廃屋の中は、三十人からの見物客がくゆらす煙草の煙でもうもうとしている。取り組み表を見ながら、めいめいが思いを金に託す。ツキのある人間に乗っかる輩もあれば、西、西と続いたから次こそは東だろうと、マークシートを解くみたいな確率論を唱える輩もある。寡黙に眺める輩もある。場内は男共の声に揺れており、声色はまた、結構な酒気を帯びている。仕切りはいかにもの顔をした男三人、観客の多くは軍鶏が来るたび集まるその場限りの顔見知りだが、お互いを知ることもなければ知ろうとも思わないのは、それぞれが自分以外の群衆を『おあつらえむきないかがわしい雰囲気を醸してくれる奴等』くらいにしか意識していないせいだろう。闇スロその他違法賭博のどれもがそうであるように、軍鶏賭博もまた、紹介のないことには参加が難しい。共犯意識が結束を固めているからチクりに現場が割れることもない。道楽を奪われたら何より自分が困ってしまう。


 とはいえ私は行ったことがない。上記は、『軍鶏賭博』という単語から私が見世物小屋的欲求を揺すられて思い描いた、こんな賭博場に行きたい、というフィクション。森の中で人が群れたらやることといえば呪術か賭博か虐殺くらいしかないのだから、木漏れ日すらやましく思えてしまう日曜の午前十時というものを味わってみたい。みんな、捕まったかしら。


 ところで先日、私の知らぬ間にヘリコプターが上空を旋回していたらしい。田舎ですから、怪情報が飛び交った。


,劼辰燭り発生
大規模な交通事故発生
パチンコ屋の宣伝


 祖母は私のために、これだけの候補を揃えてくれてあった。事実、ちょうどその日にひったくりは発生したし、道路にしても事故渋滞で随分詰まっていた。こうすけ、どれかと思うと問われて、,呂修鵑並膤櫃りにやることではない、はヘリコプターの旋回がパチンコの宣伝に繋がるわけがない、だからまあ、トンネル内玉突き事故で火災発生、死亡者多数のような災禍が起こったのだとすれば、△海充然の気がするよと、そう答えた。


 明くる日、


「そういえば昨日のヘリコプターは、海岸に土左衛門があがったのだそうだ」


 風説は本当にあてにならない。ところで田舎ですから新聞に載るものとばかり思っていたけれども、土左衛門に関するあらゆる情報はヘリコプターが旋回したにもかかわらず、地方ニュース/新聞にすら扱われなかった。町民は不信を隠せない。


「わけありか?」
「いや、事件性のない死亡事故なら強いて報道するまでもないでしょう死者にも尊厳はある」
「だってヘリだよ!? わけありだろう」
「これでは人に品性を求めるなど絶望的だな」
 

 ヘリコプターなんて、アメリカでは農場の上空にすら旋回している。


邦画 HOUSE

オシャレでおなじみこの映画を観たのは何年ぶりだろう。今改めて見返すと、ちょい役に立派な人が出ている。野外で撮影していながら背景の空がハメコミだ。リアルに魅せるため考案されたはずの演出でわざと明らかな嘘を混ぜる。深夜に感心して唸る。音楽のかぶせかた構成コマ割、映像で笑いを創りたい人はこれに見習うところ多くあるべきだ。ダウンタウンもこの映画が原体験として残っていて、オシャレをキーワードにしたのか(ビジュアルバム巨人稲葉の回、チェックメイト)。


 羽臼とハウスはかまいたちの夜のオチの原型かもしれない。映画公開は1977年とあった。どうりでみんな可愛らしい。この年は私にとって特別で、次いで1984年。印象的な美人が七年おきに誕生している。 ぜんたいこの作中の雰囲気は監督の才能の賜物とはいえ時代のなせる業、閉塞感に潰されそうな現代日本では再現できそうにない。隔世の感がある。たしかに現代人はネットがあるから過去のアーカイブに容易くアクセスできるけれども世間がこういう映画を商業的に受け入れたことを考えると驚くべき文化豊穣期、何せ東宝、時をかける少女の大林監督だ。羨ましい。


 私は、1960年から1980年代の女性の顔が好きで、我が青春たる90年代娘は、カウントダウンTVあたりで懐かし歌謡曲に合わせて渋谷が映ったりするたび度肝抜かれるほど不揃いの林檎で、あの化粧は一体何だったんだ……。

俺のばばあのダチがよ……くっくっ

「東浩紀が三島由紀夫賞を受賞した処女作『クォンタム・ファミリーズ』は、筋書きこそ陳腐だがこれまで多くの作家が描いてきた平行世界を量子論的に解釈したところに現代小説としての大切な価値がある」と言ってこたつにみかんを食らいながら昇天したことに、私が焦らなかったと言えば嘘になる。戦前から存在し続けたその身体は、およそこれ以上には皺の入るべき箇所も見当たらぬという程に老衰していて、知性の光とうの昔に絶えた単なる用済みのように見なされていたからだ、私の中では。そういう人がああいうことを言うから、言葉の重みが俄然ちがった。尿漏れは生理的な現象に留まらず、思考にも及ぶものではなかったか。憤死直前いよいよ冴えた彼女の脳、それに対する私の深い驚き。もちろん嘘には違いないにせよ、だ。


 ばばあは、ある年代から急にばばあになって、それから、いつまでもばばあである。熟女は必ずばばあになるが、ばばあが熟女に戻ることはない。この時間の一方向性こそは人類にとって恐怖の源泉であると同時に、この世界に与えられた唯一の秩序、時間こそが逆説的に人々を狂気から守っている。決定的にそれの存在することを恐れつつも、いざ破綻したらなおのこと恐ろしい。時間を直線として捉える限りこの呪縛からは永劫逃れられない。そして科学が何を証明しようとも、各人により肌の弛緩の程度こそ違えども、今のところ時間は直線的に伸びている。


 ここ最近、老化に関心がある。マルチ商法のセミナーに参加してからの話だ。みながみなサプリやら美顔器やらを購入する中で私は、人の弱みにつけこんで金を稼ぐ人間は悪だが、老化を弱みと受け取り盲目的に恐れる輩も同様に愚かしいと思った。何を一体そんなに焦るのか。掌にどれだけ優しく握ろうとも氷の塊はいずれ解けてしまうというのに。


 クォンタム・ファミリーズは、物語中盤までは面白く読んだ。ところが終盤に迫るほどつまらなくなって、読了する頃にはコッテリとした衒学から早く離れたかったんですとすら思っていた。氏としてかっちりと纏めてきた世界観や量子論的な解釈は面白かったけれども、肝心の筋がそうでもないことに気がついたのが、ちょうど中盤あたりだった。


 氏の小説には行間が足りなかった。批評家としてはそれこそが望まれる姿勢だが、時に小説は舌足らずほどちょうどよい。全文がぴんと張っている必要はなくて、要所に神の一文が散らばっていれば、それでよい。彼の作品には、引用したい思想はあったけれども、引用したい文章がなかった。まさに批評家の書いた小説で、それ以外の何物でもなかった。私は文学とは文章の芸術だとその点変わらず揺るぎないので、解釈できる者が最強ではないのだというのは荒俣先生を引用するまでもなくわかっちゃいたけれども、『動物化するポストモダン』を読んだあの衝撃を超えることは全然なくて、がっかりした半面、安心した。作家の居場所は、文学をこき下ろす東浩紀という大批評家による、ほかならぬ文学畑における大活躍にもかかわらず、まだかろうじて残されているらしいことがわかったから。

 友人より年末旅行の切符とともに送られてきたDVDの中には映画『盲獣対一寸法師』があって、夜中に豆をつまみながら私はそれを心の底から楽しんだ。B級を見るぞ! と意気込んで、本当に直球のB級だったから、実に楽しめた。水嶋ヒロの小説も、B級を読むぞ! そう思えば楽しいのかもしれない。


 けれどもあれに関しては、新品を買って読んだら負けと思っている。村上春樹氏の作品に対しても読むたび批判的だけれども、あちらは買って読まねばならない。

鮪の話

 スペインへ鮪を買い付けに行く友人に聞いた限り、鮪漁は愛護団体が怒るくらいには男らしさを保持している。


 まず、彼ら鮪は巨大なので、水揚げに際しては散弾銃で頭を打ち抜くそうである。身体は大事な商品なので、絶対に傷つけない。うまく両目玉だけを貫通させるだとか、そういう凄腕の狙撃者がいるという。


 ところがそれでも絶命せずにびちびち跳ねるやつがある。その場合、ちょうど眉間の辺りにトロツキー暗殺でおなじみの、アイスピックのようなものを刺す。神経を抜くらしい。


 そうして陸に揚がる。まだ跳ねる奴がある。これを放っておくと、全力で身体を振り続ける熱量たるやなかなかのものらしく、なんと鮪の体温で肉が焼けてしまう。炙り焼きほどこんがりではないにせよ、指で押せばスポンジのようにボソボソとしていて、そのような生焼けは二級品の烙印を押され単価が暴落する。スペインでも、選別の際には『ヤケ』という言葉が通用すると友人は言った。この『ヤケ』を防ぐため、水揚げされた鮪には絶命して体温が下がるまで海水をひっきりなしにかけ続ける。一口に漁と言っても作業は多い。


 『ヤケ』と並んで等級の低いのが、『ヤマイ』すなわち病気だそうだ。鮪をいざ開いて見ると、そこにはガチャピンの腕にあるような無数の腫瘍がぼこぼこしている。まさに病、どんなものか一度見てみたいが、見たが最期二度と食えぬようになる気がする。そんな恐ろしかろう腫瘍にもかかわらず人間が食っても害はないため、これもまた安価にて売買、末端の百円寿司あたりに売られる。単語とはいえ日本語が通用しているのは市場を支配してきたのが我々だからだろう。


 欧州では養殖が盛んで、ただしそれらは近畿大学の成功させた卵からの完全養殖ではなく、稚魚を海の一帯にて飼育する形、完全養殖はコストの苛烈に今の所採算の目処はたっていないという。

 
 私は静岡生まれにもかかわらず白身魚派なので赤身の美味なるを大して解しておらず、中トロ以外を好まないが、経年に胃が弱ればたださえ濃厚すぎて好まぬ大トロは言わずもがな、中トロにも見切りをつけ、鮪そのものを食わなくなる気がする。但し鰹の美味いのは美味い。赤身としては鰹のほうが美味い。


 刺身で食うのなら貝や白身のほうがずっと美味いのに、盛り合わせには必ず鮪が赤々としている。半ば義務的に鮪を盛ってくれなくとも構わないよというのが私見だ。海外の人々が刺身即ち鮪の観念をますます強めてくれることを願う。鮪だけ食っているうちは、私は勝手にしろと思う。他に手を出し始めたら、私の食べる刺身の質が落ちる可能性があるので、それは嫌です。


 もしここに嘘が書いてあるとすれば、それは友人の話が嘘だった。

 


Boot Campでwindows7

 仕事柄、MacBookが屁ほども役立たない。CS5は素晴らしい。けれども最早本職は編集ではないので、昼間に彼らが顔を出す事は稀となった。Open Officeにしてもそう、フリーソフトとしては極上だけれども、エクセルとの一方通行がどうにもならない面倒を引き起こす。そうして何より、建築図面に用いられるdxfやjw、これらを開くことのできるソフトが価格40万越えのvectorworksやAUTO CAD for Macに限られている。さすがに買えない。このPCはいつの間にやら銭ゲバに育ってしまった。


 建築用ソフトとして広く出回っているものに、フリーのjwcadというものがある。私はまだ図面作成の何が出来るわけでもないが、勉強はしている。jwcadはwindows専用のアプリケーション。支出を最小限に抑えつつ図面を弄る手段として、Boot Campでwindows7を起動させ、jwを使用することにした。イラレが或る程度できる人なら感覚でどうにかなるところがjwの良いところで、フリーにしては出来がとても良い。


 windows7のインストールはとても簡単で、全てを終えるまでに六時間かかった。


 起動してみると解像度がセーフモード並のドットで度肝を抜かれたが、それは修正することですぐに改善された。Macでは使えないexplorer9のベータをインストールする。これまで立ち上がりの早さからChromeを使用していたけれども、こいつは相当早い。ところが、『かな文字』が打てない事態に直面した。ウェブを練り歩いてみるに、windows7を入れてから再度MacのSnow Leopardをインストールせねば重要な色々がまずいらしかった。残念なことに私はこの前の大掃除にてSnow Leopardを捨ててある。Appleに電話をした。


「お電話での技術サポートは、一件につき4800円」


 ディスクは無料で米国から取り寄せてくれるそうで、さすが悪辣な金額をせしめるだけあって対応の丁寧なこと甚だしい。二週間後にはwindowsの動作も完璧となろう。


 明後日にはメモリも届いて、現状2ギガを8ギガに増設することとなる。そうなったらマイクロソフトオフィスも最新のものを導入する。ああ、Mac Book Proが明らかに所有者のスペックを超えてゆく。結局、毎日のように利用するのは原稿を作成するためのJeditだというのに……。

 
 ……しかし私の大本命は実のところMac Proで、12コアの怪物を使って何をしたいわけでもないのだが、ホームページで希望のスペックを見積もってみると、130万前後した。私のMac Book Pro13型を10台購入してなお、釣りがくる。パソコンがこうも高いとは知らなかった。27型のLEDディスプレイを2枚並べて何をしたいのか全然見当もつかないが、とにかくこの条件のPCが手元にあれば何も怖くないという思いはする。windows7のダウンロード期限が1年間と限られていることと、CS5はあと1台にインストール可能であることと、近い将来にAUTO CADが手に入る可能性があることを加味して、買ってしまうかも、しれない。


 とはいえまずは、山から滑落した自動車の修理代金30万円である。よくよく腹を見てみるとフォグランプが割れ、フレームもめりめりになっていた。気付かない人がいるものかと驚かれるほどあらゆる部位が痛んでいた。ボルボが中国企業に買収されていた事実をごく最近ドイツ人に聞かされたので、次はジャガーを買う。フランクフルト空港に飾られていた新型ジャガーの格好良さは近年見た車の中でも図抜けていて、もっとも価格は1400万前後と人生のうちに買えるかも怪しく、なんとなく言ってみた。



俺の女が見知らぬ男の軀を泳ぐ

 ――ここ数日、俺はいやに生々しい夢を見る。俺の女が、顔も知らない男の軀を泳ぐ。波打つベッドは二人の淫らな飛沫に濡れて、部屋に立ち籠める甘い臭気に俺の心は居酒屋檸檬のようにぎゅうと絞り上げられる。お前は、俺の眼前で一体何をしている!? そうして毎朝、気違いみたいに錯乱しながら目を覚ますと俺は、テレビも点けずに黒い液晶に映る己の眼(まなこ)を凝視して、腹の底から低く呻く――


 ハ ワ イ サ イ パ ン


 俺は海外旅行でハワイとサイパンへ行く奴を心底軽蔑する。こいつらの思考の惰性は見るに耐えない。抜けた青空、紺碧の大海、ヤシの実ジュース。これら求めて少しネットを詮索すれば、遥かに素晴らしい常夏の島なぞ世界に数多あるというに、みんなが行くからハワイ、有名だからサイパン。ばかじゃないかと思う。でも、俺も行きたいハワイサイパン。浜辺に生える(浜辺に樹木があるのか?)椰子の木にもたれながら、燃える夕陽をサングラス越しに眺めて、青みがかったトロピカルコックテルをストローでちょろちょろ、(今夜はこれからマイケルジャクソンそっくりさんのディナーショーだ……!)そんな休日を心底欲する。さしずめ隣に座るのは、夢に出てくる俺の女。ただしあいつは生意気だから、俺が椰子の木にもたれかかれば「こんなに細くっちゃ貴方でいっぱいね、私は向こうのハンモックに寝そべってくるわ」なんぞ生意気言っちゃって、往来の騒々しさにふとハンモックを見遣れば、驚いたことに初見の白人サーファーにアナルを舐められているところだった、なんて破廉恥もなくはない。あいつは元来そういう女だ。


 ……解せないのは、その女は彼女に違いないのに、肝心のそういう女が俺にはさっぱり見えないことだ。夢の中にのみ生きる彼女、ということになろうか。しかしそのくせ逢うたびあいつは他の男に股を濡らしている。なんという阿婆擦れを夢想のうちに宿してしまったことだろう。確かにあれは美人で、まず俺の知る限りでは相当の女だ。肩より長い黒髪の細やかさといったら広重描く春雨よりもさらさらと、されど男にまたがり始めれば頬と言わず唇と言わず、汗滲む純白の柔肌にべったりはりつくしどけなき黒絹、これ見るも妖しき色魔の相。生まれつき潤みがちだという瞳は、今にも房から溢れんとする枝豆の半身を見るかの如きぱちくり具合、鼻の主張甚だ少なく、赤く熟れた唇は端に黒子のいかにも男をくすぐる、齢およそ三十路の名も知らぬ、しかし間違いなく俺の女……。


 性格は、知らん。が、容姿ひとつとってみても、あれはきっと性質矮小の俺だけに満足できる類いではない。軍神カエサルをすら狂わす一代の魔女と見るが自然だ。


 このふざけた夢を見るようになってから、どうしてか俺は過去を後悔するようになっていった。もしやこの女は、まかり間違えば本当に俺の女となっていたかもしらん? 本能は、それを伝えるべく夢を間借りしているのかしらん? たとい挙句の裏切りであろうとも、こんな女を抱きたくないといえば男子一生の嘘となろう。堕ちるべきところまで堕ちても構わない。どん底も頂天も知らぬ平々凡々に埋没するこそ哀れならんや。現実味のすっかり落剥した『あるべき俺の姿』といういわば虚像、この夢をさんざ見るにつけいつしか『思念上の実像』とは相成った。


 取り返しようのない過去というものがあるのなら、つまりこんな女をものに出来たかもしれない機会がこの俺にもし与えられていたのなら、果たしてどの瞬間であったか? 知りたくて知りたくて俺は、精神に破綻をきたして会社を辞めて後、夢を見ることに日の大半を費やした。眠るたび、あの女はやってきて、そうして、浮気をして、去ってゆく……。勃起もしないセンチメンタルに俺の心はいよいよ虚しくなっていった。


 貯金を切り崩すうちパチンコをやる金も尽きて、ゲーセンの麻雀ファイトクラブに日の大半を費やすようになっていた時分、奇怪な現象が俺を襲った。この麻雀ゲームは、アガると龍が降臨して派手な演出を見せてくれるのだが、俺はその時トイツ狙いでいくもヒキの弱さに流局近しと絶望していた。その時、ふいに天から世にも幼女らしい声が降ってきた。


「貴方はチーマンを選びます。宜しいですか?」


 実際、俺はチーマンをタッチパネルで捨てるところだった。しかし一体この声は何だ? チーマンを選んではまずいのか? しかし一旦そう言われると、牌を変えるも気味悪く、結局俺はチーマンを捨てた。挙句流局。すると……


「ビカーン! 四暗刻ドラ12」


 眼前に、幻とは思われない風景が突如として生じた。そうして驚いたことには、場面がチーマンを残した直後の俺にうってかわり、そこからの局が二倍速気味に展開されるではないか。見ればトイツを狙っていたはずだのにそこから拾うわ拾うわで瞬く間に三暗刻、ラスツモではなんと驚きのトンを引き、アカギも戦慄の自力四暗刻しかもドラ12(無意味)を達成した。


(これはまさか、俺の渇望していた、『選択次第で幸福にもなり得た瞬間を、事後的に教えてくれる神の光臨か!?』)


 事実、そうに違いなかった。というのは帰途、ぶらり立ち寄ったバーにてバーボンを頼むと、再び天啓、


「バーボンですね?」


 また来やがった! 同じ轍は踏むまいと、俺は今度はカルーアミルクを選んでみせた。ところが神の野郎、一体何を見せてくれるものかと楽しみにしていた俺をさしおいて、刻々と時間は経過、結局俺は古着屋の店長とラングラーの生地についてつまらぬ話を繰り広げ、自宅に戻った。すると再び眼前に閃光。


「へーえ、その年でバーボンなんてキメちゃうんだ、やるじゃない。え、私!? こう見えても一応IT系の社長やってるの。女だからって見くびらないでよね、乳首はピンクなんだから。でもさ、ヒルズの男は全然ダメ。頭が良すぎてセックスにオムツを要求するような男ばっかり。え、何それ! 実は私、パイパンなの……♡」


 といういきさつと共に、糞汚い荻窪六畳一間の俺の家にはふさわしくない妙齢の色気をそなえた女性が、オムツを剥いで無毛の局部を俺に舐めさせている。……そういえばあのバー、独り酒をする美女がいた! バーボンを頼むなり、おやとした瞳で俺を覗く、美女がいた!


 ……この神は後悔しか生み出さない。けれども、それかといって神には違いない。何せ、二択でいずれかを選ばねばならぬ時、常人では知り得ないパラレルの現実を垣間見せてくれるのだから。そうしてこれこそ俺の望んだ神に他ならぬ。未来を教えてくれなくとも良い。その場その場の選択が、かくも夢に溢れている、これほどまでに刺激的な神の、これまであったことだろうか!?



「あなたは、この記事を読んでコメントしませんね?」


 

 

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