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小田急線の怪事
- 2010.06.28 Monday
- 日記
- 08:45
- comments(0)
- -
- by nekoki
土曜はダライ・ラマ講演を午後四時まで、それから中華街に飯を求めて夜は下北沢でアボカドを肴にジュースを嗜んだ。宿泊は経堂の友人宅に済ませた。
本来まずここへ語るべきは生き仏の講説、されど翌日の午後、常ならば品川から静岡へ戻るところをこの日はどういうわけだか喧噪に揉まれるのが嫌だったので小田急線で小田原へと向かったのだが、この列車の道中に珍しいものを見た。
急行列車はちょうど一席だけが空いている格好で、都内はやはりどの列車も混んでいる。とりあえずその凹みへはまり込んではみたものの、横長の座席中央部は左右に気を遣わねばならないので私の好むところではない。成城学園前で多くの客が列車を降りたので、私は角に座り直した。徐々に郊外へと伸びゆく線路、車窓から眺められる景色は家々の遠方に山が構える案配で静岡めいており嫌気がさした。
ぼんやりするうち海老名へ到着した。すると、さっきからミニスカートの危うい奇麗な女性が、UMA、UMAと彼氏を突つきながら列車の床を指差している。なんのことであろうと私も彼女の指すほうへ目をやってみると、そこにはナメクジを少し太らせたような黒い生物が這っていた。尾だか頭だか知らないが、身体の先端を触手のように伸ばし、周囲に障害物がないことを確認すると、ゆっくりとその方向へ全身をうねらせる。ドングリのように丸くなったかと思うと、ミミズのように長くなる。この全身運動は眺めているだけでも興味深くて、とにかく私は非常の好奇心からそれを観察し続けた。
すると、女子弓道部員の群れがやってきて、いちばん不美人の女がそれを草鞋で蹴飛ばした。死んじゃったか? 生きていた。ほとんど先刻と変わらぬ活発さで伸縮を繰り返している。ただ、触覚のようなものの先端から液体が滲んでいて、床に付着するとそれは赤い血であった。どうやらこのナメクジ似の生物は、蛭らしい。
つづけざま、今度は革靴のサラリーマンが踏みつけた。不美人の弓道部員と違ったのはこの中年は蛭に対してかなりの体重をかけた。中年は所業に気づかぬままどこぞへ抜けていったが、蛭のほうは重傷と見えて、絵の具チューブを絞るかの如く体内からどす黒い液体を放出していた。身体も気持ち縮小したのではないか。蠢くところをみれば死んではいないらしいが、長くはなさそうだった。蛭の吸い取った人間の血と思われる液体は大粒の滴となって、コールタールのようなどす黒さでぬらぬらと輝いていた。
そこへサンダルの主婦二人組がやってきて、ご丁寧にも二人揃って実にしっかり蛭を踏みつけた。この二人は足をずるずると引きずって歩く癖があったものだから、滴となって固まっていた血液を床にべったりと塗りたくった。さっきまで黒かった液体が空気に触れて途端に鮮やかな朱へと変じた。蛭は形状こそ残したが即座に絶命したと見えて、みの虫ほどの大きさに縮んでいた。彼の体内に蓄えていた人の血は、主婦二人の足跡が随分先まで血を引きずっていたのを見るかぎりなかなかの量であったらしかった。いやだ、なあに、汚い、怖い、そんな愚痴をこぼしながらさりとて拭こうともせず隣の車両へ逃げていった主婦の足跡は、列車のホームに止まるたび、新たな乗客に恐怖感を与えた。
鉄骨ラーメン構造
- 2010.06.24 Thursday
- 思い込み
- 16:59
- comments(0)
- -
- by nekoki
さあ私は前世こそ人であったが今では自分が何者やらわけがわからぬ。
生まれたばかりというのに、私は今まさに、高い地点から結構の速度で落下している。意志にかかわらず?が回転を止めない。臍を軸に、実に規則的な回転を続ける。頭を下に逆立ちの姿勢で固まると、こんどは波風にさらわれ沖へ消え行く小舟の如く、右へ右へと強制的に流され始める。どこまでゆくのやら案じているとそのうち巨大な壁が見えてきた。その容赦のない壁面に全身を強く打ち付けると、横移動が終わった。
たちまち、経験したことのない圧倒的な速度で落下を始めた。地上に視線を落としてみれば凸凹としたビル群、しかし私の落ちる先だけがばかみたいな更地になっている。驚くべきことには、この新しい私には、ばたつかせるべき手も、もがくべき脚もそなわっていないようで、ビルとビルの狭間を滑降する最中に窓硝子に映ずる己を眺めて更に驚いたことには、
なんと私の正体は、実に全く、一本の、太い棒状の、鉄骨ラーメン構造の、ビルであった。
「びしっと実に魚雷の如く、正しく『きをつけ』の姿勢のまま地面に激突してね、こうたん☆」
なんという新生であろう。あがきすら用意されていないのである。してみれば地面に凹凸を醸すビル共もまた、私のように生まれては死んでいった先人たちであろうか。私は、テレビ画面の向こう側に広がるゲームの世界の正体は、ただのドット絵で、そのドット絵は人間の想像力という助けを借りてはじめて意味を備える、生物としての意義を備える、そんな受動的で鏡面的な存在であるとばかり生前には思っていたのだが、いざ画面の中に生命を宿してみるとその過ちを悔いるよりはむしろ、どうしてテトリスだったのか、きゃんきゃんバニープルミエールでは何がまずかったのか? 人生の本質ではなく、形式を呪詛したまま、四列の亡骸の隙間に突貫して、もろとも消失した。
静岡県立森林学園高校
- 2010.06.17 Thursday
- 思い込み
- 18:07
- comments(3)
- -
- by nekoki
日本の山々を眺めてみますと、実にモコモコとブロッコリー状に好きなだけ繁茂した樹木が遠目に可愛らしいのですが、あんな畸形じみた森林は早晩にも憎しみの炎に燃やされ尽くさねばならぬ。
戦後、我が国の森林並びに林業に対する施策は、針葉樹をとにかく植える、これに終止してきた。ところが本当に森林を育てるためには適切な管理とそれに携わる人々の貧しくならないビジョンつまり商売として成立するシステムの構築こそが必要だったわけで、そういうものを放棄した結果、聡明な人から次々に離れて林業は無能無才の行き着く経済墓場のような趣をそなえるに至った。実際、北海道の山の安さといったら駄菓子並である。
躾の足らない人間が心を曲げるように、樹木も管理をしないではそれぞれ勝手にいびつに伸びる。グニャグニャの珍木は柱になるわけでもなし、ゴミですから、商品になりそうもないゴミを機材で伐採するなんて考えてもコストの無駄、当然放置する。こうして人手不足に放っておかれた日本の森林には斯様の如き役立たぬ樹木ばかりが大発生している。渋谷のスクランブル交差点を覆うギャルギャル男の群れよりも、日本に密生する樹木どものほうがよほどラリパッパなのであって、もちろんそれは経済本意であれらを捉えた上での見解だが、樹木たちには今一度視覚的な意味で背筋を伸ばしてもらわなければ製品価値が上がらないから困るよというのが、これまでの材木を転がす人間たちの本音であった。
ところが、『公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律』このようなマニアックな法令が施行される(た?)。ラリパッパ森林をそろそろ片付けねばならぬという国家戦略に基づいていて、目指せ木材自給率50%を合い言葉に、ゴミみたいな木材をたくさん消費しようとお上がやっきになっているのである。これまでゴミとしていたものに国がわざわざ価値を付与しようというのだから材木を転がす人間にとっては大いに結構な話である。文字にするのも忌わしい『エコロジー』の観念から持続可能な森林運営という思想潮流が特に海外に勃興し、日本は四半世紀遅れでこれにあやかろうとしている。今後、畜産業界の地産地消と近似した発想で一定のキャンペーンをメディア経由で張るのではなかろうか。
私としてもこの転換は今しかないと思う。日本の山を席巻する杉の木は、その多くがゴミながらも成長し、まさに利用期に達している。あれらは擬人化すれば14歳処女でもありまた、花粉という名の精子をふんだんに飛ばす筋骨隆々の青年男子でもある。放っておいても老いるばかりでろくなことがないので、花粉症の身としては是非これを気運として日本中から杉の木を殲滅してほしい。貯水、地盤、将来への投資、はたまた景観、あらゆる要素を鑑みても山に必要なのは針葉樹ではなく広葉樹である。現状日本の山は海外のそれとは違っていかほどの銭をも産まぬ実に単なる景観に堕しており、見た目ばかりを自然と賞する世論の五月蝿さからどうせ更地にする気もないのだし学問として森林学をおさめた聡明な人間たちによる計画的な森林運営を是非とも推進してほしい。大した金を捻出することもない事業には違いないが、やらないよりは良い。
(この話はデフォルメしてあります)
戦後、我が国の森林並びに林業に対する施策は、針葉樹をとにかく植える、これに終止してきた。ところが本当に森林を育てるためには適切な管理とそれに携わる人々の貧しくならないビジョンつまり商売として成立するシステムの構築こそが必要だったわけで、そういうものを放棄した結果、聡明な人から次々に離れて林業は無能無才の行き着く経済墓場のような趣をそなえるに至った。実際、北海道の山の安さといったら駄菓子並である。
躾の足らない人間が心を曲げるように、樹木も管理をしないではそれぞれ勝手にいびつに伸びる。グニャグニャの珍木は柱になるわけでもなし、ゴミですから、商品になりそうもないゴミを機材で伐採するなんて考えてもコストの無駄、当然放置する。こうして人手不足に放っておかれた日本の森林には斯様の如き役立たぬ樹木ばかりが大発生している。渋谷のスクランブル交差点を覆うギャルギャル男の群れよりも、日本に密生する樹木どものほうがよほどラリパッパなのであって、もちろんそれは経済本意であれらを捉えた上での見解だが、樹木たちには今一度視覚的な意味で背筋を伸ばしてもらわなければ製品価値が上がらないから困るよというのが、これまでの材木を転がす人間たちの本音であった。
ところが、『公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律』このようなマニアックな法令が施行される(た?)。ラリパッパ森林をそろそろ片付けねばならぬという国家戦略に基づいていて、目指せ木材自給率50%を合い言葉に、ゴミみたいな木材をたくさん消費しようとお上がやっきになっているのである。これまでゴミとしていたものに国がわざわざ価値を付与しようというのだから材木を転がす人間にとっては大いに結構な話である。文字にするのも忌わしい『エコロジー』の観念から持続可能な森林運営という思想潮流が特に海外に勃興し、日本は四半世紀遅れでこれにあやかろうとしている。今後、畜産業界の地産地消と近似した発想で一定のキャンペーンをメディア経由で張るのではなかろうか。
私としてもこの転換は今しかないと思う。日本の山を席巻する杉の木は、その多くがゴミながらも成長し、まさに利用期に達している。あれらは擬人化すれば14歳処女でもありまた、花粉という名の精子をふんだんに飛ばす筋骨隆々の青年男子でもある。放っておいても老いるばかりでろくなことがないので、花粉症の身としては是非これを気運として日本中から杉の木を殲滅してほしい。貯水、地盤、将来への投資、はたまた景観、あらゆる要素を鑑みても山に必要なのは針葉樹ではなく広葉樹である。現状日本の山は海外のそれとは違っていかほどの銭をも産まぬ実に単なる景観に堕しており、見た目ばかりを自然と賞する世論の五月蝿さからどうせ更地にする気もないのだし学問として森林学をおさめた聡明な人間たちによる計画的な森林運営を是非とも推進してほしい。大した金を捻出することもない事業には違いないが、やらないよりは良い。
(この話はデフォルメしてあります)
おそ松の……チョロ松の……
- 2010.06.09 Wednesday
- 思い込み
- 22:35
- comments(1)
- -
- by nekoki
-前章(コンクリート大回廊)のあらすじ-
大江戸線に乗り込むべく新宿駅を地下へ地下へともぐる伸一だったが、いつもならすぐに辿り着くべき改札が、この日ばかりはずいぶん遠い。三時間を降り続けた挙句に階段は絶え、四辺をコンクリートに囲まれた小部屋に行き止まった。部屋の中心にはマンホールが一つ。『大江戸線の改札こそは一番深いところにあるのだ』この信念を少しも疑うことのなかった伸一は、これより更に下るためマンホールの蓋を開けた。暗闇に視界を奪われ梯子を掴む手にも夥しい汗、しかしながら伸一は、『大江戸線の改札こそは一番深いところにあるのだ』この信念を少しも疑うことがなかった……。
最終章・トンネルタイム
どこまで続くのやらも判然としない無限の縦穴を尚も下り続ける伸一の、梯子を踏んでゆく靴音のみが、音楽であった。一切の視界を奪われているせいで、伸一はもはや、本当に下っているのか、あるいは逆に上ってしまっているのではないか? 肉体への不信に取り憑かれていた。実を言えばいい加減あきらめて上がりたい気もするが、下るというあの決断を否定してしまっては、自分が自分でなくなるような気がする、恐怖に惑い邪念も理性も削ぎ落とされた伸一の頭に残ったものは、唯一不器用な精神主義だけであった。荷物が重くてかなわない、そう思って穴の底へと投げ込んだバッグは、二時間を経て未だ地面に音を立てぬ。
「いったんここまでおりてしまったらもう、半笑いで戻るわけにもいかない。きっとで、俺がこうしている間に、上の世界ではみながみな、立派な大人になってしまっているズラ……ズラ!」
信念と信仰をはき違えていた伸一が、暗闇に見出した一筋の光であった。人の一生のようにも思われた長い長い盲目の旅路の果て、伸一は確かに悟りのようなものを掴んだ。遅れをとっても良いじゃないか、何を恥じらうことがあろう、ここにきてはじめて、伸一の軀が重力に抗った。
「俺みたいな人間でも人並みを目指して、何が悪いズラ……ズラ!」
ズラ! 伸一は、上腕の筋肉がぶちぶちと裂けると共に、奈落へと消えていった。
現代という時代はまこと、このようなきらいがあるよなあと、詠嘆気味に或いはれいたん気味に俯瞰している次第でありますが、日々追われる業務と頭の回転がようやく逆向きになったところで、入稿直前の原稿にかかります。
大江戸線に乗り込むべく新宿駅を地下へ地下へともぐる伸一だったが、いつもならすぐに辿り着くべき改札が、この日ばかりはずいぶん遠い。三時間を降り続けた挙句に階段は絶え、四辺をコンクリートに囲まれた小部屋に行き止まった。部屋の中心にはマンホールが一つ。『大江戸線の改札こそは一番深いところにあるのだ』この信念を少しも疑うことのなかった伸一は、これより更に下るためマンホールの蓋を開けた。暗闇に視界を奪われ梯子を掴む手にも夥しい汗、しかしながら伸一は、『大江戸線の改札こそは一番深いところにあるのだ』この信念を少しも疑うことがなかった……。
最終章・トンネルタイム
どこまで続くのやらも判然としない無限の縦穴を尚も下り続ける伸一の、梯子を踏んでゆく靴音のみが、音楽であった。一切の視界を奪われているせいで、伸一はもはや、本当に下っているのか、あるいは逆に上ってしまっているのではないか? 肉体への不信に取り憑かれていた。実を言えばいい加減あきらめて上がりたい気もするが、下るというあの決断を否定してしまっては、自分が自分でなくなるような気がする、恐怖に惑い邪念も理性も削ぎ落とされた伸一の頭に残ったものは、唯一不器用な精神主義だけであった。荷物が重くてかなわない、そう思って穴の底へと投げ込んだバッグは、二時間を経て未だ地面に音を立てぬ。
「いったんここまでおりてしまったらもう、半笑いで戻るわけにもいかない。きっとで、俺がこうしている間に、上の世界ではみながみな、立派な大人になってしまっているズラ……ズラ!」
信念と信仰をはき違えていた伸一が、暗闇に見出した一筋の光であった。人の一生のようにも思われた長い長い盲目の旅路の果て、伸一は確かに悟りのようなものを掴んだ。遅れをとっても良いじゃないか、何を恥じらうことがあろう、ここにきてはじめて、伸一の軀が重力に抗った。
「俺みたいな人間でも人並みを目指して、何が悪いズラ……ズラ!」
ズラ! 伸一は、上腕の筋肉がぶちぶちと裂けると共に、奈落へと消えていった。
現代という時代はまこと、このようなきらいがあるよなあと、詠嘆気味に或いはれいたん気味に俯瞰している次第でありますが、日々追われる業務と頭の回転がようやく逆向きになったところで、入稿直前の原稿にかかります。
MacBook Pro購入
- 2010.06.06 Sunday
- 日記
- 01:02
- comments(0)
- -
- by nekoki
夏ですから渋沢龍彦ぽいサングラスを購入するべく市街へと足を運び、どうせならと巷に騒がしいipadを見物するため家電屋に潜り込んだところが、店を出る頃には段ボールを抱えていて、MacBookだった。
この期に及んでcore2、とはいえイラストレーターとcadソフトが円滑に作動することだけが私の望む性能であったからまず問題もないだろう。文字を何千と打ち込もうとも疲れそうにないこの薄っぺらいキーボードは洗練された外見も見事なら機能性にも素晴らしく、コルビュジエ建築のような性質をしている。ガチャガチャと矢鱈にうるさい旧型のキーボードはいかにも仕事をしていますのような威圧的な態度を周囲に与えるので隣席の人間もそのうち内臓をやられるかもしれなかった。快適な職場環境を実現するには全員がマックのキーボードを扱うのが本当だろう。
さて静岡では六月ともなると血に飢えた蚊どもが闇夜に羽音をぷうんと実に腹立たしい。これから十一月まで、私は汗かきの中肉ということもあって蚊取り線香を焚かないではヤブ蚊やらハマダラ蚊やらが、毎夜セックスをせがむ不細工な夫の如く猛烈にたかってくるのでこれはたいへんうざったくて睡眠どころではない。といって、蚊取り線香を焚いてみると狭い部屋に煙が充満してそれはそれで寝苦しい。そうして窓を開けて眠ったらもう、煙は逃げ蚊は侵入し、本末転倒ここに極まり最早何がなんだかわからない。近年の蚊は免疫がついたのか、電子式では効かない輩も多く、中には越冬するものや蚊取り線香にも参らないものすらあって、厚顔と言いましょうか、節操のない生き物だ。殺虫という概念はダライ・ラマの講演会を控える身としてはチベット仏教的に業の深い気がするので各メーカーには今後、人間の生き血を放棄するほど蚊が夢中になってしまう風味絶佳の餌のようなものを開発してほしい。そうしたら私はそれを玄関にでも夜毎ばら撒いておけば宜しいのだから、蚊も天寿を全うできる、私もうなされなくて済む。発想の転換を期待している。
それにしても私は夏よりもずっと冬が好きで、それぞれの単語から連想される言葉を対にしてゆくと実に得心というか、夏は大声だが冬は小声、夏は肉体だが冬は精神、この調子で冬の万事につけ内向的であるところに心地よさを覚える。夏というのは汗にしろ臭いにしろ、好む好まざるにかかわらず何かしらを発信せねばならない能動的な季節であって私にはそれが相当に面倒くさい。暑い、これは私にとってうるさいという感覚と近しいものがあって、早く音のない冬にならないものかしらんと、梅雨入り前後の今時分から寒い時節を待っている。おそらくは腋臭の人にも負けない意思である。祭囃子の遠くに聞こえる夏の夜の風情や海岸の砂粒にざらついた女体の色気を否定するではないし、冬とは違った冷房の不健康な涼しさも白痴美人を好むように愛してはいるけれども、暑いとただもうそれだけで私は全然だめで、熱血に幸運をかけたところで肝心の気力の足らないために、超電磁スピンを本来繰り出さねばならぬ場面をヨーヨーで誤摩化して失敗する悪癖があるので、気をつけようと思いました。
この期に及んでcore2、とはいえイラストレーターとcadソフトが円滑に作動することだけが私の望む性能であったからまず問題もないだろう。文字を何千と打ち込もうとも疲れそうにないこの薄っぺらいキーボードは洗練された外見も見事なら機能性にも素晴らしく、コルビュジエ建築のような性質をしている。ガチャガチャと矢鱈にうるさい旧型のキーボードはいかにも仕事をしていますのような威圧的な態度を周囲に与えるので隣席の人間もそのうち内臓をやられるかもしれなかった。快適な職場環境を実現するには全員がマックのキーボードを扱うのが本当だろう。
さて静岡では六月ともなると血に飢えた蚊どもが闇夜に羽音をぷうんと実に腹立たしい。これから十一月まで、私は汗かきの中肉ということもあって蚊取り線香を焚かないではヤブ蚊やらハマダラ蚊やらが、毎夜セックスをせがむ不細工な夫の如く猛烈にたかってくるのでこれはたいへんうざったくて睡眠どころではない。といって、蚊取り線香を焚いてみると狭い部屋に煙が充満してそれはそれで寝苦しい。そうして窓を開けて眠ったらもう、煙は逃げ蚊は侵入し、本末転倒ここに極まり最早何がなんだかわからない。近年の蚊は免疫がついたのか、電子式では効かない輩も多く、中には越冬するものや蚊取り線香にも参らないものすらあって、厚顔と言いましょうか、節操のない生き物だ。殺虫という概念はダライ・ラマの講演会を控える身としてはチベット仏教的に業の深い気がするので各メーカーには今後、人間の生き血を放棄するほど蚊が夢中になってしまう風味絶佳の餌のようなものを開発してほしい。そうしたら私はそれを玄関にでも夜毎ばら撒いておけば宜しいのだから、蚊も天寿を全うできる、私もうなされなくて済む。発想の転換を期待している。
それにしても私は夏よりもずっと冬が好きで、それぞれの単語から連想される言葉を対にしてゆくと実に得心というか、夏は大声だが冬は小声、夏は肉体だが冬は精神、この調子で冬の万事につけ内向的であるところに心地よさを覚える。夏というのは汗にしろ臭いにしろ、好む好まざるにかかわらず何かしらを発信せねばならない能動的な季節であって私にはそれが相当に面倒くさい。暑い、これは私にとってうるさいという感覚と近しいものがあって、早く音のない冬にならないものかしらんと、梅雨入り前後の今時分から寒い時節を待っている。おそらくは腋臭の人にも負けない意思である。祭囃子の遠くに聞こえる夏の夜の風情や海岸の砂粒にざらついた女体の色気を否定するではないし、冬とは違った冷房の不健康な涼しさも白痴美人を好むように愛してはいるけれども、暑いとただもうそれだけで私は全然だめで、熱血に幸運をかけたところで肝心の気力の足らないために、超電磁スピンを本来繰り出さねばならぬ場面をヨーヨーで誤摩化して失敗する悪癖があるので、気をつけようと思いました。
カエラルキー豊饒
- 2010.06.01 Tuesday
- -
- 23:37
- comments(0)
- -
- by nekoki
カーラジオから流れるカエラちゃん結婚の報を聴きながら、私の瞳は眼前に広がる駿河湾よりなお激しい波濤の飛沫に打たれていた。木村カエラが結婚、私がsakusakuに悶絶してから八年ほども経過した、変わらぬ自分を尺度にするより他人を眺めてはじめて時の流れを嘆じる。以前の私は本当に木村カエラの顔面を気にいって、あとは無名性につけこんだ勝手な感情移入の自由で二次元的な楽しみ方を満喫していた。当時は、こんなに可愛いのに奔放でガンダム好きみたいな破格の性質を個性とされていたけれども私にしてみればそれは定型を破るという新たな定型に過ぎず、アニメで馴らされていたことも手伝って、斬新というよりはやはり純粋に可愛かった。
そういうわけであるから私にとって彼女の存在はどこまでも二次元的で、何度か実物を見たにせよそれはこちらが一方的に見ただけであるからドラえもんと私の関係とほとんど違わない。まさしく次元の異なる場所に生息していたそんな木村さんが結婚というのは犬と話せる世界の到来と言いましょうか、俄には信じ難く、何が信じられないかというにこちらが焦がれてやまない半ば偶像めいた女性を勝ち取る同性が現実に存することで、天皇人間宣言よりも私には訴えるものがある。
雲間に零れる幽(かす)かな明かりばかりを根拠に、氷の如く冷ややかな美を纏うた月の全貌を見た、月とは薔薇芽の如き螺旋ヒダの職工的な、殆ど人面瘡であった…私はこういう虚言を吐く人をきっと嫌いになれない、想像力が現実を凌駕したらそれはもう無上の価値で、そういう意味においてのみ私は、瑛太よりもカエラに一層の美を覚えたのかもしれなかった。
恨んだところで私そのものが改善されるわけではないので、恨めしやの得意節は特になく、そもそも車内で流した涙とて、建築士との打合せを前に髭の剃り残しを確認した挙句、鼻毛の生えているだけすべて飛び出した無様を指でひと思いに摘んだ結果である。
決定的なハーフ美女の結婚する時期であったというほかない。
そういうわけであるから私にとって彼女の存在はどこまでも二次元的で、何度か実物を見たにせよそれはこちらが一方的に見ただけであるからドラえもんと私の関係とほとんど違わない。まさしく次元の異なる場所に生息していたそんな木村さんが結婚というのは犬と話せる世界の到来と言いましょうか、俄には信じ難く、何が信じられないかというにこちらが焦がれてやまない半ば偶像めいた女性を勝ち取る同性が現実に存することで、天皇人間宣言よりも私には訴えるものがある。
雲間に零れる幽(かす)かな明かりばかりを根拠に、氷の如く冷ややかな美を纏うた月の全貌を見た、月とは薔薇芽の如き螺旋ヒダの職工的な、殆ど人面瘡であった…私はこういう虚言を吐く人をきっと嫌いになれない、想像力が現実を凌駕したらそれはもう無上の価値で、そういう意味においてのみ私は、瑛太よりもカエラに一層の美を覚えたのかもしれなかった。
恨んだところで私そのものが改善されるわけではないので、恨めしやの得意節は特になく、そもそも車内で流した涙とて、建築士との打合せを前に髭の剃り残しを確認した挙句、鼻毛の生えているだけすべて飛び出した無様を指でひと思いに摘んだ結果である。
決定的なハーフ美女の結婚する時期であったというほかない。
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