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  • 2015.10.23 Friday
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薔薇の女

 三年ぶりに帝国劇場へ足を運んだのは舞台細雪を観るためであった。その日は快晴に恵まれ、お洒落を意識するあまり厚着になってしまった私は既に汗ばんでいた。約束の時間よりも少し早く辿り着いたので彼女を驚かそうと、来るであろう道からは死角になる壁際に立って彼女を待った。舞台細雪を心待ちにする層といったら大相撲並であるから、開演前の帝劇は老人の群がゆらゆらと蠢く人頭の波を作っていた。それらから醸し出される仏間の香りは、そこが日比谷であることを忘れさせた。


 女は、約束の時間を過ぎても現れなかった。当初壁際に隠れながら(通り過ぎるやいきなり頭をつかまえてキスでもしてしまおうか)などとかなり盛っていた私であったが、死角に棒立ちする私の存在にギャッと驚くのはそのたび無関係の老婆ばかりで、しかも仏間臭いのである。さては私はこのまま用なく他人を驚かせるばかりで、目当ての人と会うことは出来ぬのではないかと案じた。何せ彼女との約束はいつでも、履行されるか否かその一分前まで定かならぬ。彼女は病弱だった。電話を鳴らした。出なかった。


「今日はもしかすると細雪を観ないかもわかりません」
「そんな悲劇ってあるんですか」


 以前の職場の同僚とこんなメールを交わしていると、待ちこがれた女性からの電話とメールとが一気に押し寄せ、開演二分前の際にようやく、数年ぶりの再会と相成った。

 
 観劇を共にした相手は、Rという女性である。R、その名を口にするだけで友人の顔どれもがたちまち大いに曇るという女性である。それというのは彼女への恋慕が畸形的に発達し、私の脳を末期的に蝕んでいた時分、いかに彼女の特別であるかを私は、毎週、いや毎晩、酒を囲む友人たちに向かって、呪術的な様相でぶっていたのであった。こんなに賢い、こんなに面白い、こんなに可愛い、こんなに乳が大きい、そうして、推量ではあるが、贔屓目に見ても相当の程度で相手にされていない……。友人連としては未見の女の話をされてもわけがわからないから、はじめうんうんと頷いていたところが段々飽きてくるわけで、せめて恋愛的な展開でもあればまだ筋を追う楽しみもあったろうが、あいにく私のそれは積年の片思いに基づく女神崇拝であったから月日こそ進めど目新しい話など一つもなく、しまいには哀れな人間を見るようにして私の話に適当の相槌を打った。私が友人の立場であったら、縁を切るに値する話の輪廻ぶりではあったが、実に私は良い友人に恵まれていた。みな、優しさの範疇で私の、片思いであるだけノロケにも満たないただの話を、熱心に聞いてくれて、挙句、みな一様に耳を腐らせてしまった。けれども、吐き出さねば忽ち破綻をきたすであろう危うさが当時の私には漲っていたから、それを慮って友人は誰もが優しかったが、結局のところ私は破綻したし、やはり我々は結ばれなかったのである。結ばれなかったというか、そもそも付き合ってもいない。


 時は経ち、私を取り巻く環境も変わり、彼女は結婚した。私の女性遍歴はと云えば、相当の勢いで転がった。大学時分に結婚をすら決意したがその時にはまだ相手にその気のまるでなかった女性というのが一人いて、あれは五年も続いたか、まともな恋愛はそこで終わっている。彼女と別れてからRと知り合い、勝手に好いて勝手に失恋し、ひどく爛れ、むごく傷心し、以降の恋愛は全て、忘却を目指した逃避行となった。奇麗な薔薇には棘が云々というやつを体感した。


 新たにできた彼女のことごとくは、何らか理不尽な結末によって私との別れを強いられている。相手は、何故別れねばならなくなったのか、説明のないだけに理解できない。昨日まであれほど睦まじかった関係が、どうしてふいに終局を迎えるのか。相手に落ち度のあったこともあるが、大抵は私の頭にちらつくRの影がとれないためである。蜜の如何に甘きを知ってしまったが最後、私はもうRとの比較なくして女性を見ることができなくなってしまった。何せ過去四年程度の記憶がほとんど混ざったり消えたりしてしまっているがため付き合った人数も忘れたが少なからずの女性の心を掴むたび握りつぶしてそうして、どうしてなかなかどんな女もRには及ばないと分かって、絶望したし、それ以上の絶望を女性それぞれに与えたと思う。トリンドル玲奈というハーフの出現には冷や汗まじりに数瞬ときめいたが、有名人だったし、あとは漫画の中くらいにしか適当な女が見えてこない。有名人だとか漫画だとか、縁遠さで云えばRと同等かそれより酷いのである。それとて外見の問題に過ぎず、見てくればかりが良くても仕方が無いのは私も過去の経験から分かっている。いよいよ絶望するほかない。


 では何故いまだにRと私が関係を保っているのかという話にもなってくる。私のほうは云わずもがな、彼女は彼女で、一縷のなんらか好意に近い感情を私に抱いてはいるらしかった。ただそれは恋人や結婚相手といったような苦楽を共にする伴侶としてではなく、人の家に飼われる猫を撫でるのような、気楽に愛でることの出来る対象を思う心持ちに近いかもしれない。これは結果論にはなる。何せ既婚者である。RにはRの抗し難い運命というものが既にあって、私はそんなRの運命に不足した色を極彩色にて彩る一本の頑固な精神的支柱のようなペニスであった。精神的、というのは私はRに対して肉体的なものばかりを求めているのではなかったし、彼女もまた同様であったからである。或いはRは複数の男と恋のできる女なのかもしれなくて、云い方を変えればRの求める恋愛は一人の男だけでは受け止められない程に複雑巨大なのかもしれなかった。妄想をすればキリがないのである。そのあたりを深く考えて本当にろくなことがなかったから、今では何も考えていない。かつて私の思い込みは、Rを得体の知れぬ怪物へと育て上げた。好きだと云うのなら、何故付き合わないのだという永遠の堂々巡りが私を思考の奈落へと沈めた。


 ともかくやんごとなき女性Rと私は帝劇内へ駆け込み、二列目の好位置にて観劇を楽しんだ。幕の落ちて館内の暗くなるたび舌も溶けるような濃厚な唇への一撃を狙っていたのだが、そのような下世話な空気をあちらも察したものと見えて、暗くなるたび私から顔を逸らしていたのは男として見逃せない。劇も半ばに入って、彼女がばかに静かだったのでセンチメンタルに溺れているのか可愛いじゃないかと横顔を覗くと、Rは奇麗な項を垂れて眠りについていた。途中何度も痙攣を起こしていたからにはよほど深い眠りだったに違いない。結局Rは芝居三時間のうち一時間半程度を眠りに費やした。もとはといえばRが是非また細雪を観たいというからチケットを用意したのであって、並のデートなら私も癇癪を起こして大きな声を出して芝居そのものを転覆したところであったが、美女というのは得なもので、怒りすら湧かない。むしろ寝てしまったのを好いことに、手を繋いでやった。テロである。泣いた。


 舞台も終わり、外へ出る。
 

「よく寝ていたよね」
「本当にごめんね、でも、同じ話だし」


 確かにそうだった。それから我々は、『細雪』においては肝となる雪子役が水野真紀であっただけ壇れいの雪子を演じた前回よりも華には欠けた、壇れいが雪子かと問われればそれも疑問ではあるが、他に光る素材のなきがため中越典子演じる妙子の美しさばかりが目立つ内容で、舞台は妙子を軸に進んでいるようにも見えた、いずれにせよ原作を無視した大団円には納得がゆかないと、そんなことを話しながら私の宿泊する品川のホテルへとタクシーを走らせた。ここには水族館があって、魚を見る手筈となっていた。


「ところでさ、貴方のその丸い眼鏡ってどうなの」
「これ? 文豪眼鏡だよ」
「そういうことじゃなくてさ、裸眼で2.0なんでしょう。そこまで視力が良い人ってなんか……バカっぽいっていうか……」


 私の思うに、事物を肉眼でよく捉えられない視力の弱い人間ほど、文字においては詩性に秀でる。ぼやけていようとも認識はせねばならないから、おそらくあれはこんな具合であろうと勝手な解釈を絶えず繰り返すうち、比喩をも鍛えてしまっている。彼らは対象を顕微鏡的に分析するより自己の解釈のうまく当てはまっているであろうという確信を以て認識とするのではないだろうか。だがこの場面に及んではそんな私の耽美のかけらもない考察など本当にどうでもよかったし、これを思いついたのも今のことである。


 部屋に到着すると、Rは上着を脱いで赤い薄手の服一枚となった。天丼が食べたいと云ってルームサービスをあたろうと鏡台の椅子へ腰掛けるRの背後に回っておもむろに乳を揉みにかかると、まずは早すぎたこともあろうが意外な言葉が飛んできて、


「π>3であることを証明してくれたらキスしていいよ」


 パイときた。私はひとまず性的な頭を学問へ向け直さねばならなかったのだが、この期に及んでは乳を揉みたい以外本当に何一つ考えることの出来ない状況だったので、もっともらしい顔でとりあえず解くふりをした。ヒントを求め求めるうち回答へ肉薄してきて、円の中へ描いた正六角計を三角形に割りπr2/6などやっていたらうっかり回答がRの口から出た。ではお言葉に甘えて、と再び乳に肉薄すると、こんどは論理学の矛盾に関する問題を出されて、結果ずいぶん焦らされたし、これもまた答えられなかった。   


 そうして、水族館へ行くはずが、魚とも蛸とも云わずRはそのまま調子悪そうに崩れた。この日、Rはセックスの出来ない状況にあった。それは前日のメールから既にわかっていたことだが、会うなりそれを申し訳なさそうに云うので、「別に俺はセックスをするために君と会うのではない、楽しい歓談のひと時を過ごそうじゃないか」強がってはみたものの、一方では無理を承知の上でバッグの中にサガミオリジナルをダース単位で仕込んでもあった。


 お腹が痛いと薬を飲んでRはベッドに横たわると、じきに寝息を立て始めた。彼女はそもそも寝不足だったようである。私としては、本当に寝ているのか、誘っているのか、判然としなかったが、結論を云えば、犯した。本当に出来ないのか、実は出来るのか、それすら私の中ではいまいち判然としなかったのだが、終えてみれば薔薇の花びらシーツに紅を落とし、Rの目には涙が浮かんでいた。私は彼女を信じねばならない。






 


 

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