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  • 2014.05.08 Thursday
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中国で猿脳を食べる話

 中国では清朝乾隆帝の時代に満漢全席なる宮廷料理が完成した。これは満州族と漢族との料理のうち、わけても美味とされる逸品ばかりを揃えた最高級コース料理である。満漢全席は清朝の滅亡と共に廃れたが、品目の中には現代になお残っているものもあって、猿の脳味噌などがそれに該当する。


 私が直接食べたわけではないが、近しい人間が二十五年ほど前に中国へ行った際、非常な歓待を受け、あちらの云うがまま毎夜毎夜、酒と女と高級料理とを貪り尽くす中に、二度、猿の脳味噌が登場したという。


 聞けば、これを食うにはまず専用の円卓が用意される。卓の中心には小さな穴が開いていて、猿は穴の下に設置された檻の中、鼻から上だけを露出している。頭の毛は奇麗に剃られている。料理人はこの猿の頭蓋骨に鋸を水平にあてる。ゴリゴリと気味悪い音を立てつつそれでも猿が全くの無抵抗だったのは何か麻酔でも投与されていたのかしらんとは知人の回想である。鋸が一周すると、料理人の手慣れた捌きによって頭蓋が外され、新鮮な脳味噌がお目見えする。そうしてこれを生のまま、箸なりスプーンで掬って食す。猿は、多少脳を齧られるくらいでは死なず、しばらく人間のほうをうつろに眺めていて、眼には涙が光っていた……。聞くにつけ壮絶だが、目の当たりにした知人は当然ながら度肝抜かれたようで、食うに及ばず汲々たる思いで酒に身を任せたという。猿はいつの間にやら絶命したとみえて、中国人がホラ今死んだよと教えてはくれたらしいが、見るにも耐えぬと言葉柔らかに伝えると、もう猿は勘弁してくれと嘆願したという。


 だがこの知人は中国人の厚意によって二度目の猿を味わう羽目となった。しかも次の店では調理用の猿たちの保管される檻をも料理人の案内によって見る機会を得てしまった。中国では生きたままの食材を店内に並べるのは珍しいことではなく、水槽内に泳ぐ魚は云うに及ばず、SARSや伝染病の今ほど危険視されていなかった当時にはハクビシンやらアルマジロやら、まず日本人は食べたがらない様々の陸生動物をも檻越しに見定め、食いたいものを選んでは料理人に捌かせていた。鮮度抜群、美味いものを食いたいという強い意志あればこその本物の食文化である。


 イタチやら犬やらの檻を素通りしつつ知人と料理人とが最奥部の猿檻に近づくと、何やらキイキイと複数匹が喚き出した。見れば檻の中で猿が猿を捕まえて、人間のほうへ向かって他の猿を或いは押しやり、或いは投げ飛ばしている。俺は嫌だ、お前が行け、いやいや勘弁してくれお前が行け、というわけで哀れなるかな猿たちは、ここで人間に捕まるとだいたいどのような運命を辿ることになるのか知っているらしかった。猿同士にしか分からない何か、絶命の状況に詰められた際に発せられる鳴き声のようなものが円卓の方向から聞こえているからなのか、単に直感が危機を知らせているのか。保健所の犬猫がいよいよ死の番を迎える段に至れば鳴くのを辞めて諦観の境地に項垂れるという話も聞いたことがある、猿とて本能的に死を察知するのであろう。料理人は、他の猿によって手前へ投げ出された猿を捕まえて厨房へと進んだ。日本人ならば、保身を考え仲間を売った猿をあえて捕まえたかもしれない。


 そうして前回同様穴の開いた円卓に猿が用意されると、頭を鋸で開くまでは同様であったが、今度はこのお猿、随分と煮えたぎった調味油のようなものをジュッと脳にかけられて、ギャッと絶命したという。この前よりも食べやすいだろうと笑顔満遍の中国人たち、こんなに美味い食べ物をどうして嫌がるのだ、さあ、さあ。十万円は下らないであろう本当に高級な料理であるから、彼らの行為は強要に非ず、むしろ最大限の真心である。知人は泣く思いで一口頬張ると、猿の死相にたちまち吐気を催しながら、味を楽しむまでもなく飲込んだ。周囲から聞こえてくるのは、どうだ美味いだろうの声、のみならず、もっと食え、じゃんじゃん食え、際限はないのである。郷に入りては郷に従わざるを得ず何度か口に運ぶうち、どうやらこれはずいぶん美味いらしいと知人の気付いた頃には皆も次々プリオンを頬張り、ほとんどなくなっていた。何猿を食ったのか知らないが、チンパンジーでもない限り猿とはいえ脳の容積はそれほどでもないはずで、複数の人間が一斉に貪ればたしかに幾らも渡らない。結局、知人の猿脳体験は、美味いと覚醒したところで止まっている。


 近年は禁猟の関係もあってあまり聞かない猿脳食だが、私の思うには本当に食いたければ今でもそれを提供してくれる店は中国に行けば少なからずあるはずである。昨年、東北地方で私が出された料理は、拳大の、それも模様入りのリアルな皮膚感や内臓もそのままの、蛙、これの水煮百匹てんこ盛りだとか、馬のペニスの輪切り、あとは味噌仕立ての鶏肉一匹バラバラ煮込み、鶏頭入りトサカ付き(巨大な椀の中にショートケーキの苺が如く鶏頭が屹立していて、最重要ゲストとちょうど目が合うように配置されている。頭が美味いとされているので、最重要ゲストは礼儀としてその頭を食わねばならない)、それと犬、程度に留まってはいるが、それにしたって矢張り食に対しては中国、相当に裾野が広い。上海や北京のような洗練された土地ではなく、私の行くような場所をあたれば、時の進み具合も緩やかであろうから、まず猿も食えると思う。知らないが。

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  • 2014.05.08 Thursday
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  • 21:51
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コメント
面白いなーこういうの。
残酷やらなんやら言う奴いるけど
日本だって白魚の踊り食いとか活け造りとかあるし…
  • 1925
  • 2013/04/14 1:56 AM
1925様

通りすがりにコメントをありがとうございます。1925という語呂がナチを指しているのか梶井基次郎を指しているのか判然としませんが、年号ですらないのかもしれません。

我々、想像力の中で許容されるべきとそうでないものを勝手に推し量らざるを得ないので、残酷の度合いは外見と質量とに依存するのでしょう。白魚よりは雀のほうが、雀よりは猿のほうが人間に似ているので痛みを想像しやすい。

虫<魚<爬虫類<鳥<哺乳類、人

見た目が人間に近くなるほど、禁忌に触れるかのような生理的嫌悪感が増えますね。とはいえ僕は行くところへ行けば○○○○だって平気で食べるんですがね。
  • 本人
  • 2013/04/17 10:41 AM
>残酷やらなんやら言う奴いるけど
>日本だって白魚の踊り食いとか活け造りとかあるし…


いずれも残酷だと思い嫌いな人が多いと思います。
わざわざ苦痛を与えて喜ぶ悪趣味な人間に嫌悪感を抱くのは自然で本能的なものだと思います。
  • 2013
  • 2013/07/24 5:44 PM
2013様

年号が流行りなのでしょうか、ともあれコメントありがとうございます。苦痛を与えて喜ぶ、というよりはそうすることでしか食することのできない特別の味というものを良識と天秤にした際に前者を選ばずにはいられない食欲というものが人によってはあるのではないかと僕はそう思います。あとはそこに美意識みたいなものも介在してきますね。活け造りなんかは板前の技芸披露みたいな側面もある。

別にやらなくとも良い余計な物事の中に価値を見出すのが人間なのでしょう。
  • 本人
  • 2013/08/03 1:54 AM
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