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  • 2015.10.23 Friday
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俺のばばあのダチがよ……くっくっ

「東浩紀が三島由紀夫賞を受賞した処女作『クォンタム・ファミリーズ』は、筋書きこそ陳腐だがこれまで多くの作家が描いてきた平行世界を量子論的に解釈したところに現代小説としての大切な価値がある」と言ってこたつにみかんを食らいながら昇天したことに、私が焦らなかったと言えば嘘になる。戦前から存在し続けたその身体は、およそこれ以上には皺の入るべき箇所も見当たらぬという程に老衰していて、知性の光とうの昔に絶えた単なる用済みのように見なされていたからだ、私の中では。そういう人がああいうことを言うから、言葉の重みが俄然ちがった。尿漏れは生理的な現象に留まらず、思考にも及ぶものではなかったか。憤死直前いよいよ冴えた彼女の脳、それに対する私の深い驚き。もちろん嘘には違いないにせよ、だ。


 ばばあは、ある年代から急にばばあになって、それから、いつまでもばばあである。熟女は必ずばばあになるが、ばばあが熟女に戻ることはない。この時間の一方向性こそは人類にとって恐怖の源泉であると同時に、この世界に与えられた唯一の秩序、時間こそが逆説的に人々を狂気から守っている。決定的にそれの存在することを恐れつつも、いざ破綻したらなおのこと恐ろしい。時間を直線として捉える限りこの呪縛からは永劫逃れられない。そして科学が何を証明しようとも、各人により肌の弛緩の程度こそ違えども、今のところ時間は直線的に伸びている。


 ここ最近、老化に関心がある。マルチ商法のセミナーに参加してからの話だ。みながみなサプリやら美顔器やらを購入する中で私は、人の弱みにつけこんで金を稼ぐ人間は悪だが、老化を弱みと受け取り盲目的に恐れる輩も同様に愚かしいと思った。何を一体そんなに焦るのか。掌にどれだけ優しく握ろうとも氷の塊はいずれ解けてしまうというのに。


 クォンタム・ファミリーズは、物語中盤までは面白く読んだ。ところが終盤に迫るほどつまらなくなって、読了する頃にはコッテリとした衒学から早く離れたかったんですとすら思っていた。氏としてかっちりと纏めてきた世界観や量子論的な解釈は面白かったけれども、肝心の筋がそうでもないことに気がついたのが、ちょうど中盤あたりだった。


 氏の小説には行間が足りなかった。批評家としてはそれこそが望まれる姿勢だが、時に小説は舌足らずほどちょうどよい。全文がぴんと張っている必要はなくて、要所に神の一文が散らばっていれば、それでよい。彼の作品には、引用したい思想はあったけれども、引用したい文章がなかった。まさに批評家の書いた小説で、それ以外の何物でもなかった。私は文学とは文章の芸術だとその点変わらず揺るぎないので、解釈できる者が最強ではないのだというのは荒俣先生を引用するまでもなくわかっちゃいたけれども、『動物化するポストモダン』を読んだあの衝撃を超えることは全然なくて、がっかりした半面、安心した。作家の居場所は、文学をこき下ろす東浩紀という大批評家による、ほかならぬ文学畑における大活躍にもかかわらず、まだかろうじて残されているらしいことがわかったから。

 友人より年末旅行の切符とともに送られてきたDVDの中には映画『盲獣対一寸法師』があって、夜中に豆をつまみながら私はそれを心の底から楽しんだ。B級を見るぞ! と意気込んで、本当に直球のB級だったから、実に楽しめた。水嶋ヒロの小説も、B級を読むぞ! そう思えば楽しいのかもしれない。


 けれどもあれに関しては、新品を買って読んだら負けと思っている。村上春樹氏の作品に対しても読むたび批判的だけれども、あちらは買って読まねばならない。

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  • 2015.10.23 Friday
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