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  • 2015.10.23 Friday
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聞いて楽しむ日本の名作の惨さ/衝動買い

 先月あたり、静岡では新聞からコマーシャルに至るまで猛烈なるいきおいで『聞いて楽しむ日本の名作』なる商品が宣伝されていた。CD16枚にも及ぶ内容はといえば、或いは芥川の羅生門、或いは樋口一葉のたけくらべ、或いは中島敦の李陵といった具合にどの収録作品をあたってみてもまごうことなき名作ばかりで、私の懇意にしている谷崎にしても細雪と春琴抄とが収録されていた。収録作品は既読作品のみであったが、車移動の多い生活をしている私にしてみればFMでハングル講座やポルトガル語講座を聞いているだかいないだか漠然としているよりは美文を耳から浴びれば多少の勉強にもなるであろうと購買意欲をおおいに駆られたところが、怪しいことには漱石の我輩は猫である一作をとってみてもよほど早口で突っ走らない限りは到底CD1枚に収まるものとは思われない。よくよく広告内容を精査してみると、あらすじとあった。猫の糞紙に使った。


 後日、私が帰宅すると居間の卓上には無性に開けたくなる大きさの段ボールが置いてあって、果たして中身は先述のCD群であった。しきりに欲しそうな顔をする祖母を思って父が買ってやったようで、偉い! 私はそれを誰に断るでもなく勝手に拝借して自室へ籠りMacBookに落とすと、iPhoneに詰めて翌朝、意気揚々と会社へ車を走らせた。なんぼあらすじとはいっても作風を破壊するような改悪はないであろう、制作者の文学愛を信じた。


 シガーライターからiPhoneをつなぎ、まずは春琴抄を流した。『本当の名前はもずやこと』なるあり得ない糞文を聞くなり中断、谷崎は斯様な稚拙な言葉選びをする人間ではない。語尾の『でした』も私の心象を最大限に悪くした。谷崎が『ですます』を用いている作品は痴人の愛などもちろん少なくはないけれども、春琴抄から『である』調を割愛した意図が読めぬ。憤慨したまま鴎外の自伝的小説、舞姫を続けた。流麗な文語体が耳に心地よい。と、一文が終わるごとに現代口語で語り直すではないか。まさかと思い擬古文の一葉たけくらべを聞くとこれも同様で、金色夜叉は聞くまでもなかろうと、予想の斜め上をゆく程度の低さに怒りがこみ上げた。発売元がユーキャンという時点で信用してはいけなかった。確かに、購買層の見込みは文字に目がしんどい年配にたてられているかもしれぬ、けれどもそれかといって作家の文体を歪曲して宜しいはずがない。そもそも、あの長編細雪を朗読で二十分弱にまとめることなど正気の沙汰に非ず、先生が生きていたならどれだけ嫌がっただろう。


 とはいえ会社まではまだ道がある。そこで、中島敦の李陵を選んだ。漢武帝の統治する中国が物語の舞台で、漢学に秀でた氏の文章は、音声になって一層、粛々たる重厚感に心ときめくばかりであるが、驚くべきことにはこれも現代口語への翻訳が毎文なされている。中島敦は永井荷風やその他文語作家とは一線を画するところの口語体作家であり、教育勅語や軍人勅諭をそらで暗誦出来る老人たちがこれしきの言葉に意を過つことは考えられない。かいかぶりすぎなのだろうか。鏡花の高野聖に至っては昔話風情に『〜じゃった』の語尾である。私の目眩は交通事故をするかと思うほどであった。アマゾンのラインナップにこの製品が存在しないのは、苛烈なる一つ星の連続を、ユーキャンがあらかじめ悟っているからではなかろうか。この出来に満足してしまう人がいたとしたら、その人は文学好きではなく、文学が好きな自分を好きな人であろう。あれは文学という名を借りた、ただの物語解説である。もし買った人は、聞く前に捨てたほうが良い。


 そのようにして憤怒剥き出しのまま業務を終えると帰宅、材木屋であるから無限に転がる資源を活かして家具を作るべくラフ画したためているうちタッシェン社発行『60'sデザイン』をぱらぱら眺めて、そうしてEero Aarnioの大傑作『Globe chair』に目が止まった。学生時分にキューブリックの2001年を偏愛した私にとって、あの時代の人々が思い描いた宇宙的なデザインは深く己の美観形成に作用しているというか、ある種思想的薫陶を受けたと表現してもいかさま誇張ではない。久々にお目にかかるなりどうしても欲しくなった。私は、言葉には角の立つ類いの人間だけれども図形としては方形よりも円を好む。そうして立体になればなおさら球を好む。これは、積み木をやるより泥団子で四角錐を作成していた幼児期から変わらぬ不変の嗜好で、そんな私にとり通称『ボールチェアー』は、かねてより彩パンの膝の上の次に、座ってみたい物体であった。


 ネットで検索してみると、オリジナルは90万前後とあった。さすがに買えない。ところが、ジェネリック製品(オリジナルではないが、権利の切れた家具は複製が合法、それを一般にジェネリック製品と呼ぶ)はおよそ一割の価格で流通している。もちろんそこにも値段の相違はあるが大同小異、素材にしてもジェネリック製品はFRP(強化プラスチック、等身大ガンダムはこれで作られている)が主流で、クッション材は正直のところ座ってみないことには分からないのだから重要なのは形状である。ジェネリック製品はサイズがまちまちで、値段が多少高くともオリジナルがW110、つまり横幅110センチであるのに対してW80などというものもある。幅の30センチの違いは座り心地に大きく響く。であるから私は値段はどうあれ寸法が限りなくオリジナルに近いものを探した。してみたところ幅から高さ、奥行きに至るまで全く同じ寸法のジェネリック製品を発見した。9万円。ジェネリック製品の中でも一際安価で、まず座り心地の再現度はお世辞にも期待できない。何より不安なのは、私のように寸法を重んじる人間を騙すために、それを詐称している可能性が否めない、という点であった。「ああすみません、多少の寸法違いはそれはメーカー側の改良ということだそうで」こんな言い訳を食らった日にはたまったものではない。


 けれども、そうなったらこちらのとるべき解決の道はいくらでもあるので、部屋に足の踏み場一つもない私ではあるが、意を決して購入した。本来ならばベクターワークスなりAUTO CADを買わねばならぬところだが、図面はとりあえずフリーのjwcad、パースのCGはshadeという超格安だがユーティリティー性に著しく欠ける1万円のソフトに妥協することとした。最近はmikuInstallerがあればマックでも簡単にウインドウズのソフトを起動させることが出来るので便利になったものだ。


 あとは、先般購入した新型Kindleが到着するのを心待ちにしている。iPhone便利この上なしとはいえども、発光するディスプレイで長編を読み続けるにはいささか眼球の衰えを覚えてきた。いまや著作権切れの洋書は無限にウェブ上にたゆたっており、ボールチェアーに埋まりながらアラビアンナイトをKindleで読む秋の夜長なんぞという未曾有のお洒落な生活が程なくして到来することを思えば、路線バスとの衝突事故に車がべこべこになった憂鬱など吹き飛んであまりある彩パンの涙であった。


 

 


 


 


 

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