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  • 2015.10.23 Friday
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三島由紀夫最後の言葉

--これまでやってきた対談で出てこなかったような話が、
「うん」
--まあここでは出てくるのではないかと、
「はいはい」
--ということを期待して今晩やってきたわけですが。
「なるほどはい」
--最初に三島さんにとってまあ括弧つきの<戦後>ですけども、その戦後というようなものがあったのかどうか。そういうことからお話伺いたいと思うのですがいかがでしょうか。
「まあ私(わたくし)のまあ経歴には私いろいろ方々書き散らしましたんでね、あの重複いたしますけれどもね、その、戦争中は文藝文化という雑誌に非常に近かった」
--ええ。
「今もその清水文雄先生っていう学習院時代の先生とはお付き合いが続いているんですけどね。蓮田善明が主催者で、蓮田善明に、つまりまあ、思想的影響と言いますか一種の感情教育を受けているんですね」
--はいはい。
「そしてあの、日本の浪漫派とはちょっと離れたとこにおりました。で、あの、こないだ松木さんか何かがね、たとえば三島は戦争中影山正治に会っていると、いうようなことを何かに書いておられる。それは間違いでね、僕は影山さんとは今までたった一度しか会ったことがない。それはあの、ある人の結婚式の仲人を影山さんがされた時に、挨拶をしただけなんです。だからそういう誤談はね、色々言われると困る」
--えへぇ。
「それから安田与重郎のお弟子さんがね、三島は戦争中安田に非常にね、影響を受けながらね、あと安田のその、え、阻害したような、影響を受けないようなふりをしていると。けしからんみたいなことを書いている。これも非常に心外でね、僕は安田さんのところ遊びに行ったこともありますし、学校の演説も頼んだことがありますけれども、あくまで僕は安田さんから直接の影響っていうのは受けてないですよ。あくまでその文藝文化を濾過した影響を受けている。ですから日本浪漫派運動とはちょっと離れたところでですね、まあ、いわば精神的国学、まあ新国学みたいなね、潮流の中にいたんです。そこで日本の古典をずっと読んでいましたね。それが戦争が済んだでしょ。そしてその戦後ってものに再会して、私は一時非常に戸惑いましたね正直言って。それから、解放感感じなかったって言ったら嘘になりますね。ですけれども自分の中で割り切れないものがあって、そしてその、一時期私はロマンティシズムというものを憎んだんです。そしてあの、それから、ちょっとこれ後の話に話が前後しますが、ロマンティシズムを憎んでから古典主義ってものを一時期やった時期があるんです。まあ『潮騒』とか、それは後の話ですが。その時に自分の中である程度の迷いはありましたけれどもね、あの、自分を全部否定しちゃうってことはもう絶対に自分で嫌だった。それからその、私は非常にノンポリというか政治的に盲目でしたから、実際戦後のその、政治的な潮流ってものがはっきりよく分からなかったせいもあるんでしょう、で、あの、自分の政治的発言をしたってしどろもどろで恥ずかしいしね、その、いわば芸術至上主義者を気取っていた。しかし芸術至上主義者を気取っていたのは一種の逃げ道でもあったと思いますね。ただまあ、芸術至上主義を盾にして、そこを潜り抜けていくほかないんだと、いう気持ちは持っておりました。そしてそのうちに、段々段々つまり年とともにですね、お里が知れてきた。そしてその十代に受けた、まあその精神的な影響。一番感じやすい時のその感情教育がね、段々段々芽を吹いてきてね、今じゃもう抑えがなくなっちゃった」
--三島さんてのは非常にこう、リアルなリアリストな一面がありながら、
「うん」
--文学的には非常にあの、ロマンチストだ。
「ええ、ええ」
--それで三島さんの美意識っていうものは常に観念の世界、理念の世界の中で創り上げられているような気がするんですがね。
「はい。僕は古典主義、或は新古典派みたいに自分を自己規定無理矢理しようと思ったのはね、『潮騒』って小説書いてからしばらくの間だけ。長続きはしなかった」
--ふむ。
「その時それで自分をね、制御できると思ったんです僕は。そして自分の中のどうしようもないものがこれで落ち着けるだろう、そして自分はつまり日本にまだない、なかったクラシシズム(古典主義)ってものをね、その理性で全て統御するようなね、作家になれるだろうと僕は錯覚を起こしていたんです」
--ふむ。
「そのうちそうじゃないってことが分かったんです。どうしても自分の中で統御出来ないものがある。そうするとまあ、段々自分が厭々ながらロマンティストであるってことを認めざるを得ないですね。」
--はあはあ。
「で、ロマンティケル(Romantiker・ロマン主義者)であるってことが分かると、どうしてもそれはハイムケル(heimkehr・帰郷)するわけですよ。ハイムケルすると十代いっちゃうわけですよ。で、十代いっちゃうと色んなものがね、パンドラの箱みたいにワーッと出てきちゃう。僕はね、まあもし誠実ってものがあるとすればね、人にどんなに笑われようとね、まあ悪口言われようと、そういうものを○○○ないと僕作家の精神ってないような気がする。だから例えば思想的立場の違う人、ジェネレーションの違う人はね、理解出来ないと思うんですよ。うん」
--でその観念的な美ということですがね、三島さんの中にはこう常に、なんと言えば良いのですかね、純粋志向というかなんというのか、そういう風なものがあって、
「うん」
--例えば今話に出た『潮騒』の主人公。
「ああうん」
--それから『剣』の主人公なんかもそうですが、
「うん、そうですね」
--主人公は全然本も読まない。
「ええ」
--それで、肉体はギリシャ彫刻の如く立派なという。そういう風な主人公が出てくるし、
「うん、うん」
--それから『憂国』なんかでも、
「うん」
--主人公の注意が、
「ええ」
--目の前で白無垢の美しい妻が、こう、いざ死のうとしている、
「おお」
--でその、純粋な姿の中に自分がこれまで崇めてきた皇室だとか、
「おお」
--国家だとか、
「おお」
--雰囲気だとかというようなものの、こう幻影を見出していると、
「はい」
--いうような書き方をなさっているし、
「ええ」
--それから『英霊の声』なんかに出てくる天皇のイメージってのは、
「うん」
--白い馬に乗ってて、
「うん」
--で馬の鼻息が白くなってて、
「ええ、ええ」
--で白い雪を着たてて陸を上っていくというような天皇のイメージになっている。
「うん」
--そういうこの、美しいもの、純粋なものの背後に隠されている醜悪なもののイメージが、三島さんの中に出てこないのは何故だろうかなと、
「うん」
--いう風に前から疑問に思っているんですが。
「ふんふん」
--その点について作者のほうはどういう風にお考えなんですか。
「そうですね、つまりね、それはエロティシズムと関係があるからでしょうね。それで例えばね、あの、ジョルジュバタイユが僕は知ったのがもう随分昭和三十年頃ですけどね、あの、まあ、今の、まあバタイユ死にましたけど、現代ヨーロッパの思想家で僕一番つまり親近感を持ったのがジョルジュバタイユですね。そしてあの、死とエロティシズムの一番深い類縁関係。そしてその、う、まあバタイユの紹介してもしょうがないけどまあつまり、え、禁止ってものがあり、それからの解放された日常がある、日本の民俗学でいうハレとケってものがあってね。で、そういうものは、その、ハレがなければケもないしケもなければハレもないのに、つまり、う、現代生活ってものは相対主義の中で営まれるから、その、ケだけになっちゃった。日常性だけになっちゃった。で、そっから超絶的なものは出てこない。で、超絶的なものがない限り、エロティシズムってものは存在しないんだと。エロティシズムってのは超絶的なものに、あの、触れる時にはじめて真価を発揮するんだと、っていう風に考えるわけでしょ。私の美っていうものもそれはそういうものと関係があるんですね。そして、美・エロティシズム・死ってものは一本の線をなしている」
--そうですね。
「それとあとね、例えば残酷とかね、そういうものはコンクリートなものです。ザッハリッヒ(sachlich・即物的、或はobjectively)なものですよね。そのザッハリッヒなものはね、あの、どういう形でバタイユが扱うかというとね、バタイユはそれをつまり、ザッハリッヒに扱わないんです。例えばあの、バタイユのエロティシズムや何かでご覧になったと思うけどね、あの支那の陵遅の刑※に遭っている人間の写真が出てきます。そうするとこの胸の肉をね、とられてね、あばらが出ています。それから脚をみんなね、こう膝なんか斬られてね、骨が出ているんですね。で、その人間は笑っているんですね。そしてあの、笑っていてね、おそらくそれは痛いから笑っているんじゃなくてね、阿片を呑まされているね、苦痛を回避するために。で、バタイユはここにエロティシズムの真骨頂があると言うんですね。バタイユってのはつまり、もうこの世で最も残酷なものの極致の向こう側にね、あの、つまり超絶的なものを見つけたんです、っていうことを一所懸命やった人ですよね。それとまあ、バタイユはそういうものを通してなんというか、生命の全体性を回復する以外に今の人間は救われないんだと、いう考えを持っているわけですね。で今あの、古林さんのお話を承っていますとね、つまり、私の純白ってものは観念だと、それから残酷なものはザッハリッヒなものだと。そういう風にお考えになる」
--○○○(抵抗ある?)。
「私はそう考えないです」
--はぁ。
「絶対にそう考えない」
--はい。
「つまり、もし、あの、白が観念的なら、残酷さも観念的だ、それから白がザッハリッヒなら残酷さもザッハリッヒである。その点は僕は全く同一次元でしか考えられない。それはね、まあ意地悪な人が見ればね、あいつは苦労を知らない、戦争も知らん、それから目の前でその、貧乏も知らん、そのようなことからなったと言うかもしらないけど。ただ僕は僕なりに戦争を見ている。例えばまあ、勤労○○ドウへ行ってですね、○○が今、あの、軽機関銃でやられた。行くとつまり魚の血みたいなものがいっぱいあってみんな箒で掃いている。それから僕らもつまり、あの、艦載機が来たってパーッと穴の中入るとその穴の端にババババババッと弾の痕が残っている。多少つまり、多少は見ているわけね。そして、平家物語ほどではないけれども、人間はもうすぐ死ぬんだって死ねばどうなるんだってことくらい多少は見ている、まあ焼死体も空襲焼死体を見ていますしね。だから今の青年よりは多少は見ていると思います。ですからこれはまあ相対的な問題で、俺は死体を百見たからお前より偉いんだってことは言えない。それから俺はお前よりちょっと貧乏だったからお前より偉いんだってことは言えない。例えば鴨長明が、あの、河原の死体を数えますよね。あの、鴨長明があの、死体を数えている時のあの心境※っていうのは僕ちょっと凄いと思うんですね。その、数っていうのは抽象的なものですよね。もしつまり谷崎さんの不浄感※みたいに、もしそこから何かを、つまり残酷さを通して何かを掴もうとするのならば一つの死体で十分である、一つの死体をずうっと見ていれば良いんです。で、鴨長明は数えるんです。で、我々の戦争中にはね、鴨長明と同じ心情にいたわけですよね。残酷さは確かにある。目の前で人が苦しむ死ぬ、或は焼死体になる。もう見るも無残ですね。しかし同時にですね、それを処理する仕方ったら数えるほかないんですよ。僕、それは末世の心情だと思うんですよ。で僕はねつまり、殺された側の人間はどうだとか、テロリズムはいけないとか、もうそういう思想は戦後聞き飽きたと。そしてね、例えばロシア革命でも何でもそうだしみんなそう殺されているんですから、あの貴族は。フランス革命でもそうですよね。それで、フランス革命の人間に向かってですね、マリーアントワネットが殺された時にどんなに苦しかったかお前考えてみたことあるかと言ったら革命は成り立ちますか。僕は二・二六事件が感心だと思うのは女子供一つもやってないですよ。僕はこれは非常に立派だと今でも思っています。女子供をやるのは僕はね、汚いと思うんですよね。ですから、まあ今の戦争は殊に汚くなっていますよね。だけどあの、僕はテロリズムは是認しますけどね。弱くなっちゃいけないって考え」
--まあだいたい分かったような気がするので○○ですか。
「うん」
--あの三島さんは、
「うん」
--純粋に記録者の立場に立とうというわけで、
「うん」
--まあ例としてはおかしいけれども、
「うん」
--芭蕉が道端で捨て子がギャアギャア泣いているのを見て通る。
「はい」
--で、救おうとしないで、
「ふんふん」
--まあ、汝が性の拙さは泣け※ってなことを言って、
「はあはあ」
--捨てちゃうと。
「ええ」
--その芭蕉の心境にやや近いというような。
「ところがね、あの、僕は弱い者をね、救おうっていう気持ちは確かに美しいと思うんですよね。ですけどねその、弱い者を救う人は他にいるっていう感じが僕にはしてしょうがないんです。そしてね、つまりあの自分がその立場に置かれた時に、お前はあの弱い者を今は救うかって時になったら僕だって救うでしょう。僕は芭蕉ほど冷たい態度はとれないと思いますよ空に(天に対しての意か、もしくは聞き違い)。だけどね、自分の任務はどうだ、自分のミッションはどうだって考えた時にね、僕はつまり、その、道端で泣いている子を救う、或は弱い人を救うってのは僕の任務のようには僕には思われない。僕はね、つまりあの、弱さってものはそうっとしておけばよろしい。そしてね、今強さが苛められている時代だと。強さってものがこんなに貶められね、人間のつまり、強がろうとするね、モラルがね、こんなにつまり軽蔑されている時代だと。だからそいつを復活するのが自分のミッションだと。意地でも何でもそれを復活させる。そうとしか考えていないんです」
--そうするとあれですか、文学の次元の問題と、所謂この歴史社会、というような次元の問題と、
「ええ」
--まあ、分けて考えようという。
「一応分けて考えて、まあそれは僕の文武両道でね。僕はあの、最終的には分けられないものだと思うんですよ。そして、文武両道っていうのはそんな器用な相対主義じゃないんです。最終的に一致しなきゃならんものをね、一応分けると。一応分けて、文も一所懸命やる、武も一所懸命やる。でまあ例えば、僕は変な思想運動みたいなことをやっていてね、僕の小説がちょっとでもね、芸術的にそれによって影響を受けたら僕の負けだと僕は思っております。ですから、小説を書くときには全身を使って書きたい。それから、思想運動なりまあ行動なり、大したもう行動じゃないけどね、やる時には若い者に負けないで、もうこの年になってもね、死ぬまでやると、いう気持ちでおります。それでまあ、まあそういう気持ちできたんですよね」
--三島さんが、政治にあんまり深入りしない理由、
「うん」
--石原慎太郎みたいに、
「うん」
--大臣になったりしないと、
「ええ」
--いうことはやはり今の考え方と関係ある。
「あります。僕はね、純粋じゃなきゃ嫌だから。そして、自民党から金一文貰うのも嫌です。そしてそういうことをしたらね、僕のつまり、やろうとすることが駄目になる。で、まあはっきり言って僕は未だに非常な反政府主義ですよ」
--反政府。
「反政府主義です。極端な反政府主義です。そして、自分がやろうとしていることは人に笑われても、まあ正義の運動であって正義を開顕するんだと。まあ大袈裟ですけどね、そうとしか思いようがない。ですから吉田松陰の生き方ですよね。もう全然正義を開顕する以外にやることはないんだ。で、少なくとも有効性ってものを考えたら政治にとらわれ、政治にとらわれたら行き先はもう泥沼ですからね」
--さっきの話にちょっと出てきたことで話は転換するんですが、
「うん」
--あの、セックス、エロティシズムというような問題についてですね、
「うん」
--まあこの頃の文壇には非常にそういうものが氾濫しているわけですが、
「はい」
--大体現在の姦通小説、セックス小説っていうのは、セックスの問題というのを秩序破壊、
「はい」
--反体制的なものという風にして捉えている。
「ふん、ふん」
--それはもう野坂昭如までを含めて、
「はい」
--大体みんなそういう風に思っているわけですけど、
「はい」
--三島さんの作品はですね、例えば『美徳のよろめき』見ても、
「ふん」
--恋愛心理はそれは深く追求されているけれども、
「ふんふん」
--別にセックス描写が出てくるわけではない。
「はい、そうじゃない」
--ね、それから『愛の渇き』みたいな小説を見ても、
「ほう」
--殺人が出てくるけど殺人そのものはあんまり三島さんにとっては大きな問題じゃない。
「そうじゃない。ええ」
--つまり、姦通、殺人。そういう世間で考える反体制的という言葉が当るかどうかちょっと問題があるんですが、
「ふんふん」
--まあそういう言い方をすればですね、
「ふん」
--姦通や殺人を反体制的な秩序破壊という風に捉える思考習慣に対して、
「ふん」
--三島さんは、あの、全然興味を持っていませんよね。
「持っていません」
--それはあの、どういうことなんでしょうか。
「それもさっき申し上げたことと帰着するんですけどね。美・エロティシズム・死って図式はね、つまり最高の秩序、絶対者の中にしかエロティシズムはないって考えですからね」
--もうちょっとそこを詳しく。
「例えばね、例えばヨーロッパならカソリックにしかエロティシズムはない。つまり、極端な戒律があって、その戒律を犯せば罪ですよね。罪を犯せば神に嫌でも直面せざるを得ない。そこに行けばね、つまりエロティシズムってのは最高のところに、裏側から神に達する。それは僕のサド事件のつまりテーマなんですけどね、あの、人の行かない裏側から梯子をかけて神のところへ行くという考えですね。サドはそれやったでしょ。十八世紀に。ところがサドっていうのはやはり、今でも非常に重要なのはね、単なる反体制なんて低い見地からやったんじゃない。フランス革命がね、あれによって補填されなきゃ僕はフランス革命じゃなかったと思うんですよ。つまり革命ってもののオプティシズム(オプティミズム)をね、完全に否定するペシミズムがなければね、革命ってものは成り立たんのだと。それからまた、革命ってものの合理主義をね、完全につまり否定するようなミスティシズム(神秘主義)がなきゃね、革命って成り立たない。で、革命ってものは一つのエグジスタンスであるためにはね、つまり、両側がなきゃいかんと。で、つまり日本ではね戦後言われてきた戦後革命がね合理主義に偏していた。人間主義に偏していた。そしてね、エロティシズムってものはね禁止された。まあ、○○さんがある意味(点)じゃ追求しましたけどね」
--うんうん。
「で、その後に来た者はね、エロティシズムは反体制だなんて思っているんです。だけどそれはとんでもない間違いでね、今のつまり相対主義的な世界におけるエロティシズムっていうのはフリーセックスでしょ。何にも抵抗がない。絶対者に絶対触れないエロティシズムでしょ」
--そうだねえ。
「僕はこういうものはエロティシズムって呼ばない。単なるセックスですよ。それで、エロティシズムと名がつく以上はね、つまりその、人間がつまり身体を張って、死に至るまで快楽を追求してね、あの絶対者に裏側から到達するのがエロティシズムである。それは『憂国』のモティーフなんですけどね。それで僕の考えるエロティシズムってそういうエロティシズムですから、だから従ってつまり、あの、犯罪者なんてものじゃない。で、もし神がなかったら神を復活しなければならない。神を復活しなければエロティシズムは成就しないのだから。無理にでもですね、絶対者を復活することによってエロティシズムを復活する。それはそのそのへんの日常のセックスなんかとはまるで次元が違う。一種のパラドックスなんですけどね。で、僕はそういうものが僕の文学の追求の一番のところだと自分では思っております」
--石原慎太郎のあれは『殺人教室』でしたっけ、三島さんが、これはあの、一種の未来小説で、
「ふん」
--今は問題ないかもしらんけど、
「ふん」
--十年先だか二十年先だかが非常に問題になるだろうと、
「ふん、ふんふんふんふん」
--いうようなことを確かお書きになっていたのを読んだような記憶が。
「僕はね、あの『殺人教室』じゃないんです。あのね、『完全な遊戯』」
--ああ、『完全な遊戯』でしたか。
「あれは今でも新しい小説ですよあれは」
--動機なき殺人。
「白痴の女をみんなで輪姦する話です」
--ええ。ええ、ええ。
「あれはね、つまり今のセックスの状態をあの頃あいつは書いていますよ。うん。僕はよく書いていると思います。ところが文壇はもう滅茶苦茶、(ここで古林氏につまみを無心?
)一つ頂けますか」
--あ、ええ。
「滅茶苦茶にけなしたのねあれを。何も解らなかったんだと思いますね」
--つまり、個人的な(こう、人的な?)ものは完全に空白になった、状態におけるそのモラルの在り方、倫理の人権、というような意味で褒められたわけですね。
「そういう意味です(酒をすする音や菓子を食うペチャペチャ音が前後に入る)。その通り。で、あの当時ね、みんなそういう危機感を持っていなかったんですね。そして、自由だ解放だっていうもののまだその残り滓が残ってて、セックスを解放することが人間性を解放することだと思っていたわけです。僕はそれはもう大きな間違いだと思うんですよ。人間性を完全にね、そういうような形で解放したらね、殺人が起こるか何が起こるか分からない。でつまり、現実に起こる解放ってのは全部相対的なものでね、スウェーデンだろうが何だろうがね、あの、え、ルストモルト(快楽殺人)ってのは許されないですよ、人間が社会生活を営む以上。そういう相対的な解放の中でセックスってものはね、あの、つまり絶対者に到達しないわけです。だからパラドックスから言えばね、戒律がない時には絶対に到達出来ないから、だからカソリックっていうのは凄いんです。あれはもう最もエロティックな宗教。うん」
--そうすると、三島さんの場合には日本におけるそういうこの絶対的な権威を確立すると、
「ふん」
--いうことになると、
「引かないわね」
--天皇陛下になるわけですね。
「ダッハハハハ」
--いや、そこへくると僕は三島さんの意見に賛成できなくなるんだけど、その、エロティシズムを確立するために天皇をやっぱり担ぎ出さなきゃ駄目ですかね、ええ。
「天皇じゃなくてもね封建君主だって良いんだけどね。あの、『葉隠』における、つまり、殿様ですよね。それはつまり階級史観における殿様とか何とかっていうものじゃない。ロイヤリティの対象ですよね。で、まあね、あの、古林さんの天皇観と僕の天皇観とどこで違っているのか解りませんけどね、僕はあの戦後一番ね、嫌いな天皇感っていうのはね、つまり、ヨーロッパの制度を真似てね、明治になって作られた、あの、創作品だという考えが非常に強いんですね」
--事実そうじゃないですか。
「僕は絶対にそう思わない」
--違いますか。
「うん。それと国学をよく研究し、或はあの、ずっと天皇観の変遷を見てくればね、それは絶対無い。そりゃ機構としてはそうですよ。機構としては確かにその通りなんです。機構と天皇の本質、全然違います」
--日本の天皇の話になるとですね、
「ええ」
--平安時代頃まではまあ天皇というのは一種の国家的な統合のシンボル、
「ええ、ええ」
--天皇が政治を行うという体制があったわけですね。
「ふんふん」
--鎌倉幕府ができてからはあれはもうまつりあげられてしまい、
「そう」
--それから、まあ中世においても天皇が政治に影響を及ぼしたという事実はなかった。
「ふんふんふんふん」
--○○の復興の時に、ちょっと何かあるけどもまあすぐに崩壊してしまった。
「はあ、はあはあはあ」
--それで徳川幕府になると、これはもう完全な、あの規制を行って、
「はい」
--天皇家が民衆に影響を与えないように非常に慎重に配慮されたんですね。
「そうですね」
--それで明治になって、
「うん」
--今度は天皇を神聖化というとやっぱり反発勢力が出来上がって、
「そうですうん」
--天皇は彼らの権力を維持するための一種のお飾りに使われていたと。
「ふんふんふん」
--というような状態で戦後まで来てしまうわけでしょ。
「そうですね」
--戦後になってはじめて、
「うん」
--天皇というようなものの、
「うん」
--まあ人間的な一面、文化的な一面というようなものが、
「へえへえ」
--我々に分かるようになってくるわけですが。あの、天皇家そのもの、天皇個人に対して反感その他を持っているわけじゃない。ただあの、復活されてきたものがまた別の形で政治勢力に利用されているんじゃないかという。
「僕はね、僕はむしろ天皇個人に対して反感を持っているんですよ僕は」
--いやその反感を持つほど今の天皇について知りませんから。
「いや僕はね、つまりしかし僕はね、戦後の天皇人間化ってことを全部否定しているんですよ」
--ええ、ええ。
「で小泉信三が悪い。とてもあれ悪い奴。大逆臣ですよね。ていうのはね、今天皇制が危機があるとすればね、あの今天皇個人に対するみんなの個人的な人気ですね、やっぱり御立派だった、あのおかげで戦争が済んだっていう考え、それに乗っかっているでしょ。そしてあの、やはり人格者でいらっしゃる。それ僕は何ら天皇制と関係ないと思うんです。僕は吉本さんとまあ、逆の意味でね共同幻想論を非常に面白く読んだんだけれどもね、つまり、穀物神だからね天皇ってのは。そして、個人的な人格ってのは二次的な問題でね。全てあの、もとの天照大神はそのために帰ってくるんだよ。だから今上天皇っていつでも今上天皇なんですつまり、次の天皇のお子様がどうだって問題じゃなくて、代譲位と同時に、あの、まあ天照大神と直結しちゃうんです。そういう非個人的性格ってものをね、天皇から失わせたってことがね、その、戦後の天皇制の作り方において最大の誤謬だったと僕は思っております。そういう作り方したからね、天皇制駄目になっちゃったと僕は思っております、ええ。で、その、それは所謂ね、貴方の仰られる政治的に利用された絶対君主制天皇制ってものとは意味が違うんですよ。僕のつまり、インパーソナルな天皇っていうイメージをね、滅茶苦茶にしちゃったと思うんです、うん」
--その、それがね、国家防衛論を読んでもね、どうもよく解らないんです。
「はいはいはいはい」
--つまり、橋掛け部分があそこで、
「躓いてる」
--三島さんはその、文化防衛的な天皇というものを志向して結局それが実現したら政治的天皇にならざるを得ないじゃないか、
「そうそうそう」
--そこに帰結しないといけないという言い方をしてあったけど、
「うん、そう、ああ」
--やっぱり私もそれが気にかかるわけです。
「ふんふんふんふん」
--だから三島さんの楯の会についてもそうなんですよ。
「ふんふんふんふん」
--それはあの、三島さんが私財を出して、
「ふん」
--百人でしたっけ。
「百人うん」
--百人の学生をああいう形でまあ、やる。これは所謂今の若い者が非常にだらけていると、
「うん」
--三島さん流に考えるとそれにじれったさを感じ、こういう青年もあるんだということをまあ、或は見せ付けようとしたのであって、
「ええ」
--別に軍隊を作ったわけでもないと思うんですけど、
「武器がないんだからね第一」
--しかしね、あれはやはり戦後再軍備徴兵制の一つのシンボル操作みたいなことになりませんかね。
「今にわかります」
--三島さんにその意識がなくてもですよ。
「古林さん今にわかります。僕は貴方に今の時点ではっきりと言っておきます、今にわかりますよ。そうでないってことが」
--いやいや、三島さんの意図じゃない。
「意図じゃなくても。僕は絶対に利用されませんよ」
--そうですかねえ。
「今の段階で利用されているってそれはまあそうでしょう。今の段階じゃあ彼らは僕を利用価値あると思ってますよ。まあ長い目で見ていて下さい、必ず僕はそんな人間じゃない」
--周りでね、三島さんの意図を離れてね、非常にあれが悪用されるんではないかと、
「うんうん」
--だからあの、天皇制に対して、僕があの、危惧を持つと同じような危惧をあの楯の会についても感じるんですよね。
「それはもうごもっともなご心配ですけどね、あの、僕はそうやすやすと敵の手にのりません」
--へっへ。
「敵っていうのは、政府であり、自民党であり、つまり戦後体制全部ですようん。社会党も共産党も含まれています。僕にとっちゃ共産党と自民党って同じものですからね。全く同じものです。偽善の象徴ですから」
--偽善の象徴という意味で、同じだというわけですか。
「僕この連中にね、手には絶対のりません。今に見ていて下さい僕がどういうことをやるか、うん、フッハハハハ」
--よく分からんけどまあ見ている以外ないですね。
「見ている以外ないですね。僕はその手には絶対のらないつもりで僕は腹決めてますよ。とにかくね、まあこんなこと今言ったってしょうがないのでね、まあ長い目で一つご覧ください。今の時点では仰るようですよ、今の時点ではそれは僕だってね、奴らが利用していること百も承知ですよ。で、奴らはね、その、まあ、馬鹿が一人飛び込んできてね、てめえの原稿料はたいてね、俺たちの太鼓叩いてくれるわい、そう思っているでしょうね。僕も思わせておくことは有意義ですからそれはちょっとあれですけれども、それは政治の低い次元の問題ですけど僕は、最終的には奴らの手にのらないです。その代わり僕はね、手にのるかのらないかは別にして天皇についてはね、貴方と根本的に考えが違いますから。利用されようと利用されなかろうが絶対者は復活しなきゃいけないっていう、僕は妄念ですからね」
--その絶対者をですね、天皇でなくて例えば共和制的な何かという風には考えられないわけですか。
「絶対考えられません。例えば共和制がどうして絶対者になりえますか。共和制自体が相対主義的理念じゃないですか」
--うむうむ。
「どうして共和制に絶対者が付着できますか」
--しかし、所詮あるでしょ。天皇制と言ってみたところで、相対的なものじゃないんですか。
「そうじゃないでしょうね。つまり相対性の上に何か上乗せされるでしょう、少なくとも」
--民衆というようなものがあってはじめて、その絶対的な天皇というようなものが存在し得るわけで、
「そうですね」
--民衆との相関関係において天皇制というものが考えられるとすれば、
「ふん」
--やっぱり相対的なものじゃないですかね。
「僕はね、民衆もやっぱり絶対どこかで求めていってると思うね。民衆が相対的なものだけで満足するとは僕は思えない日本人の歴史からいって。どうしてもだってね、日本はね、完全相対主義っていうものにね、あの、なっているのは今のほんのちょっとのね、ここ十年間くらいのね、現象ですよ。長い歴史から見たら僅かな間です。しかしそれだって底流しているものはね、僕これで満足出来ない風潮が色んな形で出ていると思うんですね」
--出てます。
「まあ哲学、仏教、色んなものに対する関心が色々起こっている。日本人ていう国民はね、そんなつまり相対主義的幸福ってところに僕は落ち着くとは僕は見てないんです。これは予想の問題ですけどね。で、この間ある人がね、スウェーデンのね、あの、残虐行為諮問委員会のね、情景を新聞に書いていた。そしてベトナムのね、あの、怪我をしてね、包帯をされたね、あの農民がね、あの証人台に立つ。で、もうぼろぼろの着物を着ている。で、今度はそれに同情(同乗)してその委員会を開いている連中がね、好い洋服を着てね、犬を連れて、中年の紳士たち。そしてまあ、一所懸命感心して聞いている。けしからんことだと言って同情する。それはなんとも言えない違和感が感じられたと言うんですね。で、僕はあのね、スウェーデンがああなったのはね、百五十年前のね、ロシアに戦争負けたその傷を回復しなかったからね、そういうつまり相対主義のね、あの、国になったと僕は見ているんですよね。で、国民精神というものをなくしたかわりにね、人類平和の理想に逃げたんですよ。で、人類平和の理想に逃げた果てにあるものはね、政治体制としてはね、単なる相対主義。それから最も人類最上の価値は福祉でしょ。今じゃね、○○党だって福祉に対する反省が起こってますよ、福祉国家共に対する。まあ、社会党はどうか知りません。福祉国家ということに反省が出来ているか……」

A面終わり

※生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を与えた上で死に至らす刑(wikipediaより)
※『方丈記』「その人数を知らむとて、四五両月がほどかぞへたりければ、京の中、一條より南、九條より北、京極より西、朱雀より東、道のほとりにある頭、すべて四萬二千三百あまりなむありける」を意図した言葉か
※『少将重幹の母』に描かれた、肉体への執着から離れるための仏教思想。九想詩絵巻に有名
※『棄児秋風』「いかにぞや、汝父に憎まれたるか、母に疎まれたるか。父は汝を憎むにあらじ。母は汝を疎むにあらじ。ただこれ天にして、汝が性の拙さを泣け」


テープ起こしなので、誤字脱字もありましょう。

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  • 2015.10.23 Friday
  • -
  • 12:57
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コメント
いいっすね〜♪
これCD持ってまして、MP3に落としてプレイヤーに入れてたまに聞いてますw
元々友人がテープで持ってまして、それのダビングしてもらったのを聞いてたんですけど
MP3にしたくて自分でCD探して買ったという経緯ですね。
私の目標は全文暗唱ですw
あ、「一つ頂けますか」の部分は、古林氏に「柿の種」を無心しているらしいです。
  • mekemeke
  • 2010/07/10 11:28 AM
メケメケ様

なんとこの記事に反応してくれましたか、しかもかきのたね情報まで下さりまして、ありがとうございます。

僕は音源しか出回っていない状況が気に入らず、わざわざ文字に起こしたわけですが、三島先生の話し言葉を文章として読みやすい、きっちりとした口語体に校正すべきか悩んだ挙句に完コピを選びました。音源が古いテープであるため各所に聞き取れぬ苦労があり後編はそれが顕著のため半端になっておりますが、手透きの折には後編もアップしますので、機会あらば一読して頂きそうして間違いを指摘して頂ければこれ幸いでございます。コメントありがとうございました。
  • 本人
  • 2010/07/10 4:21 PM
書き下ろし、ありがとう ございます。
私は このカセットテープを持っていて
昔 車でずっと聞いていました
始め聞いていた頃は 三島由紀夫さんって
分裂気味だなって思っていました

でも 何度も何度も聞いているうちに、
凄く含蓄が有る話しだし
三島由紀夫さんの話し言葉に引きこまれました

もう 何十回聞いても飽きないって感じでした

ところが そのテープを紛失し
凄く後悔し
偶然このサイトを見つけました

この対談以外でも 編集社の記者との対談も
別のテープで持っていましたが
それも紛失しました

それは、聞いた事無いですか?
  • 北一輝ファン
  • 2010/08/04 3:23 AM
北一輝ファン様

コメントありがとうございます。僕の起こしがお役に立てたということで、何よりでした。


三島先生は口調に淀みがないと云いましょうか、自信に溢れていますよね。ああまで自己を肯定できるのは洗練された知性とボディビルに鍛えられた肉体とがあってこそでしょうね。僕も彼の語り口は好きです。対極にある寺山修司や吉本隆明の、たどたどしい語り口も好きですけれど。

編集者とのやりとりのテープは存じ上げません、早稲田大生とのやりとりのほうは持っていますが、こちらは文字化されているようなので放ってあります。B面を早くアップせねばと思いつつもはや数ヶ月ですが、いつかは残りも掲載しますので、暫しお待ち下さい。何にせよ同じゅう趣味に反応して下さるのがとても嬉しい、ありがとうございました。
  • 本人
  • 2010/08/04 10:31 PM
>この対談以外でも 編集社の記者との対談も

『学習院時代の秘密』悠飛社(カセットテープ)、平成8年・徳大寺公英との対談。

というものがあるみたいですね。
私はまだ聞いたことがないので、探してみたいと思いますが、簡単に見つかるかどうかw

私は元々「ロマンティケル」という言葉を検索してこちらへ辿り着いたのですがw
その件で
「そういうものを○○○ないと僕作家の精神ってないような気がする」
という部分ですが、私見ですが
「そういうものに忠実である以外に僕は作家のセンスって無いような気がする」
と読みました。あくまで私見ですw
  • mekemeke
  • 2010/08/16 12:24 PM
mekemeke様

なるほど、そう読み取れるのですね。僕のほうもとのテープが部屋のどこかに埋没してしまいすぐの確認が出来ないのですが見つけ次第聞いてみて、誤りとなれば修正しておきます、ありがとうございました。ロマンティケルとか、ルストモルトでしたっけか、たしかにこの記事は特定言語で引っかかりそうですね、今日日あのような言語を操る人は少ないから。

NHKでとんでもない偏向番組を観てしまったので、三島由紀夫の肉声で中和しようとおもう盆でありました。
  • 本人
  • 2010/08/16 3:54 PM
活字化、とても興味深く拝聴しました。「最後の言葉」は、一応『新潮三島由紀夫全集』で文字化されているのですが、音源から相当手直しされていて、ほとんど別物です。その点、このたびの活字化はテープに忠実で、素晴らしいですね。
「学習院時代の秘密」は、『新潮三島由紀夫全集42巻(CD7枚組)』にあります。同巻収録の「我が国の自主防衛について」の音源も素晴らしいのでぜひ聴いてみてください。
  • shunpeiarea
  • 2012/01/31 2:22 AM
shunpeiarea様

コメントありがとうございます。全集に収録されていたのですか、それは知らなかった。僕も当初は校正してしまおうか悩んだだけに、加筆しないことでむしろ価値を具えたとあればそれはわざわざ起こした甲斐がありました。

本来ここから更にB面へと続くのですが、結局そのままとなってしまっていますね、怠惰で申し訳ないです。テープそのものをどうやら紛失してしまったようなので、発見すること能えば仕上げたいとは思っています。今後も、何らか珍しいもの見つけたら似たようなことをする可能性はありますので、その際にはまた読んで頂けたら幸いです。ありがとうございました。
  • 本人
  • 2012/02/02 1:24 AM
誤字脱字が何点か散見されますね。
「橋掛け部分」の箇所は「橋川文三」だと思う。
「安田」は「保田」
  • 通りすがり
  • 2015/01/29 10:45 PM
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