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猫と犬と老婆

 我が家の犬と猫と祖母との関係は、褒められたものではない。両親を含め親族の多くは惨状の主因を、雄猫に恋をした雄フレンチブルドッグの異常性癖であると云うが、一人私だけは異を唱える。


 この犬は、雌犬のない生活に見切りをつけたのか知らん、ある時期から猛烈に雄猫への欲情を露にした。猫を見つければいつでも全速力で後方から掴みかかり、腰を振った。屹立した男根の先端は濡れており、私はそれを見つけるたび、殴打を施すどころか、笑いが止まらなった。同性異種、決して叶わぬ恋をするこの犬には、むしろ憐憫の情がわいたのである。


 猫のほうは本意でないから、犬と目が合うなり棚や机など高所へ逃げた。犬は、下から猫を見上げながら、恋慕のあまり全身を震わせる。どうかすると届くのではないか、必死に短い首を伸ばす。猫は、己への愛情の深きを下目に窺い且つ嘲り、犬の届かぬ位置でごろり寝そべると、無邪気に毛づくろいを始める……。


 斯様な展開を二匹して数週間も繰り返すうち、或る変化が猫のほうからあった。それまでは犬の干渉を受けぬ位置に座していたところが、身を伸ばす犬に、かろうじて尻だけが届くような姿勢をとるようになったのである。女豹の姿勢をとる猫と、その肛門に顔面を埋める犬。猫は、犬に肛門を舐めさせたいらしかった。


「この、ばか小僧!」


 割って入るのは、祖母である。私は祖母が犬に対してこの台詞を唱えるのを、日曜ならば日に三十回は目にするわけで、老齢による行動パターンの定型化を憂う次第ではあるが、それはさておき祖母は犬の破廉恥が許せないらしい。餌やりから日中の相手までを一身に引き受ける祖母としては実の息子が失態を晒すが如きに思うのかもしれない。しかしながら、猫の肛門をぴちゃぴちゃと舐(ねぶ)る犬の表情はいかにも幸福そうで、私はそれを止めたくはない。糞のついた肛門すら貴いとする犬の、確固たる被虐心、構ってくれるだけで幸福……。まことかつての自身を眺めているようで、泣けてくるのである。


 犬の愛情に猫が甘えっぱなしであることに気が付いたのは、つい先日のことであった。久々に猫を抱えたところ、何か柔らかい感触が指にあって、見れば糞のたいがいが肛門に残っていた。どうせ犬が舐めてくれるから、そのような怠惰極まった思考のもと、この猫はいつからか糞を切る作業を放棄していたのである。あくる日も、そのあくる日も猫は糞をたっぷりと肛門へ塗りたくっており、別に病気もないこいつは実に、最低の悪癖を身につけてしまったのである。


「ごはん食べたいでちゅかぁ、ネ〜かわいいでちゅね〜、コロ…チャッピちゃん」


 猫なで声で猫を転がすのは、祖母である。しかし祖母は、四回に一回以上の割合で猫を犬と呼び違えるものだから、上記のように甘ったるい雰囲気を一人で拵えては、失言によって勝手に破壊する。五回に二回以上の割合で私と犬とを呼び違えるのも、似ているからという理由だけではないのであろう。


 性欲過多の犬と、それを悪用する猫、二匹の関係はたしかに異質であるけれども、この物語に最もおぞましい狂気を添えるのは祖母に他ならぬ。爾来、捨て猫はおろか屋内に迷い込んできた蛙すら見逃しておけない祖母は、まこと博愛の人で、その深い愛情ゆえ、一度道を外れたら最期、獣道をも厭わないのであった。


「性欲の捌け口がないのは、あまりに気の毒だったから……」


 哀れ、猫に恋するこの犬は、祖母の手コキに身を委ねていたのである。或る晩偶然に現場を目撃した私は、流石に笑えなかった。雄猫を愛する雄犬の、満たされぬ性欲を老婆が処理する……、歪み切った三角関係、近親相姦と呼ぶにも、それぞれが別種、離れすぎていた。可愛さあまってなどという枕も、通用しない事態のように思われた。この、どす黒い靄のかかった心境は随分昔にも味わったことがある、そう考えた私は、それが両親のセックス、母親が潮を吹きながら絶頂を迎えるという世にも浅ましい瞬間を目撃したあの時と同質であることを悟った。祖母の狂態は、あれに勝るとも劣らぬ光景として私の脳裏に焼きつきまた、忘れかけた記憶を大いに呼び戻した。


「田舎の事件ですね」


 友人は、犬猫祖母のいびつな関係を指してこう云った。そう、まことこれは、田舎という土地柄にのみ生まれる狂気、不干渉主義の都会に生じる偶発的なそれとは完全に異質の、情緒過多ともいえる閉塞的な社会にのみ表出する類いのものである。


(これが、親殺し子殺しか……!)


 祖母が犬の金玉を切り落とさぬよう監視せねばならぬ。

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  • 2015.10.23 Friday
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コメント
笑いました
ひどいですね
  • 肌黒テスク
  • 2009/10/22 5:17 PM
肌黒テスク様

ひどい話ほど笑えるものです。
  • 本人
  • 2009/10/22 5:36 PM
 部屋とYシャツと私、愛しさと切なさと心強さと。都会と田舎の事件を比してみれば明らか、都会では若者が自殺する、かのように事件さえも情報学問の一環で自己とは遠いところにあるのですが、「いなか、の、じけん」は自己という人間の本質から糸をひいて決して他人ではない、ところに面白さも笑えなさもあるのでしょう。
 ざらり人志松本、修司寺山とみても真に面白いのは「いなか、の、じけん」を扱ったときであって、他者がそれを観て反応に困っているさまを楽しむ選民性それら内包し、自分などは「いなか、の、じけん」こそが本質に近く、インスタントではなく実地であるから、それを扱うのは本質に一番近いことだと狂喜してしまうのです。
 しかしながら例の案件一切笑うに重く、名状しがたい後味の悪さがあり、自分なんかはだからこそよいのだと勇ましいけれども、恐るべきは記事一切が事実であって公開までのリアルな時間差がより恐ろしく、いい話だと思う。
 明朝六時起床、大阪出張してきます。メッカのようなかの場所、ちょうどよい距離で起きればよいのだが。「いなか、の、じけん」よ。
  • 中川翔子
  • 2009/10/23 12:29 AM
れいたん様


そう、僕らの好きな松本や寺山、の扱う主題は常にここにありました。弟が姉のパンツ/ドラゴンボールを盗む、という行為の濃度を最長老様に引き上げてもらうと、この犬猫老婆に至り、そのさきには星の破壊/惨殺があるという思考の伸びかた。逃げ場のない狂喜はより先鋭的なものとなり、それゆえ見つめる傍観者の才覚如何によっては犯罪か芸術かに昇華され得る。

けれども社会が肉体的な相互不干渉を是とすることで濃密な愛憎は目下、田舎においてすら恋人間のみに限定されつつある。つまりは上記の事件が、リアリティを持つ世の中ではなくなってきた。これは、怪談や都市伝説を愛でる日本の精神性が壊れてゆくさまを眺めれば一目瞭然、狂気は突然訪れるのテロリズムにみなが感化されているのです。じっとりとした前ふりは、いらない。シンプル、ファスト、ラウドを念頭にいま、お笑いは音楽シーンに遅れること卅年、空前のパンクブームを迎えている。これが音楽同様の反動現象であることを願った時期もあった。


また、ネットが発達したことで、本来の家庭内狂気見届け人たる有能の輩どもは2ちゃんねるという名のサロンに集うようになり、姉のパンツを盗んだことが発覚しても、その萌芽を育てるどころかスレッドを立ち上げて解消・発散してしまう現実がある。これでは狂喜が小粒化、均質化してしまうばかり。役満をつくるには運と手数が必要なのに、安い手に甘んじる。これもまた親殺しとは程遠い。とはいえ大衆参加型の娯楽としては文明史上最高の質にあると思いますが。即興性の中には詩心とユーモアを要求されますから、面白い人はよほど面白い。


大阪出張ですか、飛田新地はあの小平すら唸りまた、貞操を捧げようかと思ったほどの美女ばかりがひしめく歓楽街です。いなかのじけんが起こらぬと判じたら逃亡するのも一興。いや、貴女ほどの美女はそりゃ存在しませんがね……。
  • 本人
  • 2009/10/23 3:39 AM
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