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スパルタンX永遠なれ

総合格闘技の人気に押されて最強の称号を完全に奪われたプロレスはいつしかショーであることを理由にそこにある真剣までをも大衆に否定されるようになり、近年においては無念至極の思いに駆られる愛好者の落胆、派遣村のそれより余程切実である。新星現れぬプロレス界では錆びた身体を引き引きリングに上がる中年レスラーたちが、かつての激闘通じて獲得した物語性のみを武器に、がむしゃらしている。長州、武藤、蝶野、ライガー、小橋、秋山、云々。人気選手が10年昔と、変わらぬ。プロレスラーは入場曲で客を沸かせる、この言葉は良い試合をする理由が、今ある物語転じて予定調和をどこまで引っ張ることができるのか、にあることを如実に語る。手抜き作品に中毒性は生まれぬ。


試合前が一番盛り上がるのだから、やはりプロレスは格闘技ではない。しかしその故、よほどの天才でないかぎり、奥深さを備えるには長いキャリアが必要になるのであって、しぜんいい年したレスラーが増えるようにもなっている。だから人気レスラーの多くは、結果的に生涯現役の形をとらざるをえない。


プロレスラーの使命は久遠のドラマを紡ぐこと、いずれレスラーはリングに死ぬがそれは引退というセレモニーに集約される儀礼的な意味での死、である。本当に死んで何になる、試合は演技で死ぬにガチとはこれ果たして誰が得をする。


あらゆる可能性に考察の及ぶいかなる天才であろうとも三沢の死は予測出来なかったであろう、彼はプロレスを知悉していた。ただプロレスしているだけでは、死なないのが三沢だった。では何故死んだ。バックドロップを見舞った斎籐、彼には何らの過失なし。手を抜いたらむしろいけない。テレビ放映中止、これは精神に致命的であったろう。テレビの金がなくなればただでさえ窮々の経営更に難しくなること誰の目にも明白、社長としての三沢はこれにあるいは魂を握り潰されていたかもしれぬ。しかし社長と選手を兼任するからには斯様の困難あること想定するのが立場ある者に課せられる責任、である。

三沢をプロレスに専念させるだけの余裕がなくなってしまったプロレス業界の縮小、カリスマが実務に庶務に試合に追われねばならぬ現状、を嘆きたい。プロレスはテレビ黎明期におけるドル箱産業で、それは映像文化に馴染みの薄い無学の民にとり、分かりやすく壮絶だったためである。また作り手側にとり、1ラウンドで終わりかねないボクシングよりも時間の読めるコンテンツであったため、つまり台本ありきで構成できたため、生放送に便利であったためである。強さえげつなさを伝えるにはもはや総合がある。しかも総合は、煽りVTRに明白なように、プロレスのショー的要素を実に上手く接収している。みんな、総合を見て、かつての民がプロレスを見た際に感じたような興奮を覚えている。さればプロレスにはいかなる存在意義を見出だせよう。そこに答を出すべく、数多の団体が奮戦している。或は王道或はデスマッチ或はお笑い、等々。


プロレスと総合の違い、それは男女が支持するか、男ばかりが支持するか、の違いである。どちらがどうは云うまでもない。スタイリッシュを求めるよりは、臭いえげつないうそくさいを求める人がある以上、プロレスはなくならぬ。禿げた太った中年同士がチョップをぶつけ合う奇態、呉越ながらに気を遣いながら雪崩式をキメるに代表されるような、本質的な敵不在の奇妙な試合、不思議が随所に存するのがプロレスである。こんな貴いものをなくしていいはずがない。


そんなプロレスの偉大さを大いに体現していた三沢が死んだ。死ぬには早く、あまりに惜しい。彼の存在には自分の思い出も依存している。スパルタンXが流れる日曜の夜全日本プロレス、生きる意義なきろくでもなかった中学時代、これを聞いて新たな1週間に向かう力をもらっていたのだ私は。タイガードライバー、タイガースープレックス、真似するにはあまりに危険且つ高難度の持ち技にあってエルボー、これは実に強烈だが真似するに芸がないというか、武藤のほうが動きがあるから結局三沢の技は何一つ真似しなかったが、それらを実に刺激的に流暢に操っていたのだから三沢はやはり名レスラー、真似をさせない優しさ、色白ボディに小さめ乳首、腋毛、忘れられない。

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コメント
>三沢をプロレスに専念させるだけの余裕がなくなってしまったプロレス業界の縮小、カリスマが実務に庶務に試合に追われねばならぬ現状、を嘆きたい。

連日連夜のスポンサーとの接待のうえに現場は相当負担でしたでしょう。となると武藤あたりも僕はとてもとても心配です。三沢でああなのですから。
昨日のザ・サンデー(番組名なんだっけ。徳光さんのやつ)で倒れた直後からの映像を10分くらい続けて流してたんですが、あれは直視できませんでしたよ。到底出来るもんじゃない。
  • morimoriyosirou
  • 2009/06/15 9:59 AM
森森様

亡くなったの知らせをヤフーに見たのみで報道には殆ど目を通していないのですが、最近の試合からは練習できていない様子がありありとしていましたから、最悪の事態にただただ、おいーという思いです。しかしそんな映像を流していたのですか。一体誰のために。戦争報道は偏向数多だが、個人の死には遠慮が微塵もない。個人の尊厳を守るべきがテレビという権力機構の果すべき役割ではないのか。気質がよく出ていますテレビは割ったほうがよい。ホンジャマカの恵「ぼかよく知りませんが三沢選手はかなり強い方だったんでしょう、三沢のエルボーなんて言葉もありますからね、優れた格闘家がこういう最期っていうのは残念というか―」こんなことを云ったわけですが、レスラーと格闘家の区別も出来ぬ人間に意見を総括させるテレビの、視聴者をばかにした番組作りはこういう状況において露骨です。腹立つことこの上なし。
  • 本人
  • 2009/06/15 5:48 PM
例のイベ。使命じゃないか?
  • NOAH
  • 2009/06/15 6:13 PM
ノア様


使命とは、テレビたるものあれこそ流さねばならぬ、現実を伝えねばならぬ、という意味でしょうか。たしかに一面にはそのとおりです。が、普段テレビは事実をねじ曲げてばかりいるじゃないですか。スポンサーの圧力に権力の恐喝にやられやられ、ろくでもないものばかり垂れ流している。死人の出るコントは駄目だが三沢の死ぬ過程は良い、そんなわけがない。三沢の映像流すなら、レイプコントも流せ、気違いにレンズを当てろとテレビには云いたい。


人が死にでもしない限り目立つ時間帯にはプロレスを放映しないテレビサイドの、あまりのご都合主義に僕は苛ついてしまったわけですな。テレビ連中は、菊間アナが背骨を折った映像、男アナが泥水に飛び込み首?を折った映像など、生放送中の事故で身内が怪我を負った際の映像は半ば封印し、ほとんど放送しなかったように僕は記憶しているのですが、それら二人と三沢の違いは何なんでしょう。僕は腑に落ちぬ色々を思うわけです。


レスラーなのだからリングに死ぬ姿を映すべきだ、この考えはわかるけれど、今にすぐやるべきでしょうか。映像を見て、バックドロップを放った斎藤は、どんなにか辛い自責にかられるだろう。あれは事故、仕方のないこと、だけれども、人は故意でない過ちに対してこそ、嘆くのです。己の無力に哭くのです。斎藤の無念を思えばこそ、人に心あるなら、映像はしまっておくべきじゃなかろうか。

僕は、大多数の人間の好奇心、知りたい欲を無視してでも、今は斎藤を庇わねばならぬと思います。それがテレビという力ある者の、正しい在り方だと確信している。死を美談にする作業に焦る、これに勝る愚はない。
  • 本人
  • 2009/06/15 11:15 PM
↑のコメントは、求められている回答が全くずれている可能性がありました。例のイベなる言葉が僕の活動に関わるあれを指すのなら、まさしくあれはやらねばなりません。テレビへの怒りがぐつぐつですが、何せ抽象的なお名前からの投稿では、誰が誰やらまるで分からず、返事に頭が悪くなるのです申し訳ないです。とかいってこのコメントもずれていたら僕はきっと電波なのでしょう、風呂に入ってきます。
  • 本人
  • 2009/06/15 11:33 PM
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