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  • 2015.10.23 Friday
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南京

 男が出張から戻ると、部屋の真ん中に段ボールが置いてあり、上にはくりくりとした野良猫が寝ていたのである。


「おい起きろ」
「ニャーゴ」


 猫のどいた箇所には伝票が貼り付けてある。ちょうど爪を研いだらしく住所の欄が裂けているため何処から来たのかは分からぬ。差出人の名には婉如(えんにょ)とあった。婉如、はて婉如。こんな知り合いいたかしらん。ガムテープを剥がす。剥がしたはいいが、ゴミ箱が見当たらぬ。してみたところさっきの猫が再来したので、これの背中に貼り付ける。手近に転がっていた饅頭の封を開け、半分くれてやる。あとの半分は自分が食うために残す。


 中身は南京という銘柄の煙草が二十カートンからの大量であった。南京、はて南京。こんな煙草日本にあったかしらん。赤地に金字と華美のデザインから察するに、この荷物はつい今朝まで滞在していた中国より届いたものらしい。こんなに大量の煙草を送るのだから婉如とは自分と何らか因果のある者であるに違いないが当該の人間まるで浮かばぬ。仕事に関与した人物は、三人が三人「ワン」と名乗っていた。


「ニャーゴ」


 ものを考える時には煙草が必須の自分であるから、ちょうど送られてきた煙草を呑めばよいとして一箱を手にとった。十二ミリとある。強そうである。火を点ける前に臭いを確かめる。辛い香りが鼻腔を刺す。不味そうである。


「ああ、婉如か」 


 舌に合わぬ煙の味に、忽ち記憶が蘇る。さては婉如とは、北京で行きずりとなったあの女に違いない。酒場に偶然隣り合わせて、そのまま我がホテルに転がり込んできたあの女、確かに婉如と名乗った。北京に滞在したのは出張初日のことだからもう十日も前の話になる。感じあったことよりむしろ、此方会話も通じぬ日本人だのにどうしてわざわざ筆談までして迫ってくるのか、気質の異様に印象が強い。二十歳の割にはつやつやとした美しさに乏しく、色白の肌にしても美しさより病弱の趣に勝るような、どちらかと云えば薄幸の雰囲気を備える地味な女であった。隣室には貴方の上司がいるからとて声をおさえつ耽る表情の色っぽかった場面を除いて、まるで顔が思い出せぬ。


「我欲煙草」


 二人相果てベッドに身体を埋める室内は、筆のさらさらと紙を滑るばかりが音楽であった。間が持たぬ。煙草を求める旨したためて起き上がるとテーブルのキャメルに手を伸ばした。すると婉如はこの手からそれを奪って自前の中国製を一本差し出してきたのである。中国には煙草を振舞うが如き習慣のあること、ここに初めて知った。


「美味?」
「美味美味」


 常ならば灰皿に潰す不味さであるが、それは婉如の笑顔もまた潰す結果となろう。婉如の心を思えばこそ、フィルターの焦げるまで吸い尽くした。そうしてあの日無理繰りに嗜んだ煙草こそ、眼前の段ボールに敷き詰められたこの南京である。翌朝去り際に住所を聞かれたのも、さては自分の気に入った味とみたが故かもしれぬ。


 国外便となれば値段はかなりのもの、決して安からぬ贈物である。それにしても二十歳の女が段ボール一杯の煙草を送るとは、姿に哀しく気質に不器用この上なし。洒落も洗練も知らぬ心は穢れを知らぬが文化も知らぬと見える。更に悪しきことには何か送り返そうにも野良猫の悪爪が婉如の住処の記された伝票を切り裂き、我らが仲をも引き裂いた。どうしてこの女の薄幸を嘆かずにいられようか。


 渋い表情に咥え煙草をフィルターまで焦がすうち、半分残しておいた饅頭も、はや野良猫に食われてしまっている。怒る気になれぬ。ああ、野良野良と罵られるばかりが芸のこいつにしても、名のないばかりで我が家に毎日顔を出すこと飯を食うこと飼い猫と変わらぬ、ただ産まれた場所の違(たが)うばかりに夜ともなれば家を出されるとは、これもまた随分の薄幸である。おお、なんということ、野良にしろ婉如にしろ、報われるか否かは自分の意志にかかっているではないか。さればこいつを冷たくあしらうことは婉如に対して不義を働くようでいかにも心苦しい。助けられる者は助けねばならぬ。よし、今日からお前は野良ではない、名前をつけてやる。同居する親が許さずとも、毎晩この部屋に来れば宜しい。金玉のないところをみればどうやら雌のようであるから、この世にまたとない、一番可愛らしい名前をつけてやろう。


「れいなでどうだ。れいたん」
「ニャーゴ」


 我ながら得心のゆく名前をつけたからには、段ボールを巣としてやろうと思い座布団の二三枚を中に詰めようと煙草をどかすと、なにやら底から紙が出てきた。手紙のようである。差出人は婉如、たったの一文ではあるが、日本語で書いてある。一読するなり泣けてきた。


「貴方の五千元、盗みました。ごめんなさい」


 はたして婉如は単なる盗人であった。人間万事塞翁が馬、それからというもの雌猫れいなもすっかり自室を訪れなくなり、庭に出くわそうものなら目の合うより早く姿を隠す有様である。南京の不味いにも慣れた。

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