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  • 2015.10.23 Friday
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祖母の死と女

 祖母危篤につき長らくを静岡で過ごしていたが、いいかげん仕事もあるものだから今朝東京へ戻ってくると、その足で深大寺へと向かった。友人の云うに、良い場所であるらしかった。が、まずいことに空色は鉛、雨の冷たさ連れ添いの女性が歯を打ち鳴らすほどで、立ち並ぶそば屋ほかたいがいの店が閉まっていた。どうやら日を過てたようである。


 深大寺のある調布はゲゲゲの水木しげる先生住う土地であるから、売店には鬼太郎にまつわるあれこれがみっちりと陳列されている。書籍ずらりの絢爛に昂って、おれこれ持ってる、これも、おおこれも、いやあほとんどあるわ、おれ水木しげる好きだからさ、自慢だか何だかわけのわからぬ台詞をぬかしたりもした。女性はそれらすべてをまったく聞き流すと、ぬらりひょんを指差して「これは貴方ね」と云った。他の場所でのっぺらぼうを見れば、また同じことを云ったりもした。その後も頭のつるりとした妖怪を見るたび笑うので、じゃあ君はこれかなみたいなことを此方が云うと、それについてはきっちりと怒ってみせた。歯に鋭い彼女ではあるものの、サラリーマン山田ではなかったらしい。


 飯を食うにも明るいそば屋はわずかに一軒ばかりだったので選ぶまでもなくそこへ入ると、通されたのは天井に松の板目を、床に畳を敷いた純和風の座敷部屋だった。欅のテーブルは経年に古色蒼然としており、乾燥に裂けた箇所にはこぼれた七味みたいなかすが詰まっている。鼻糞もあった。客はどれもが初老で、蕎麦をすするほか音はない。窓越しに外を眺めれば雨に打たれた竹青く、さながら古都である。が、自分はもう少しガヤガヤした場所を望んでいたのであって、それというのも連れの女性の声が人の三倍大きいのであった。甘やかされて育ったのかなんなのか、良くも悪くも他人というものを気にする性質を持たぬ彼女は、此方の声の小さい理由などいっこう考えず、幽体離脱から市松人形から様々の怪奇現象について、張り上げた声でもって非常によく喋った。無粋とはかくの如きであろうがほどなくして客もいなくなったので、それから先は気兼ねすることもなく冷えた手を湯のみに暖めながら、他愛もない話に終始した。


 そうして平穏な一日を終えたかと思ったら、丁度東京に戻ってきたこの間隙を狙ったように祖母が死んだ。昨年末には元気な祖母ではあったが、肺の膿を除去するとかいう手術を境に見違えるように衰え、人工呼吸器を装着してからは意識も戻らずの最期であった。当時は楽観視されていた手術ではあったが、なにぶん老体である。自分の予感としては手術に耐えられる身体であるかどうか大いに疑わしくもあったから、いろいろを話すために手術当日の十二月半ばに一度病院へ出向いたのであるが、結果としては良かった。死に目に立ち会えぬは悔やむべきことではない。元気のうちに励ましてやれたことが、当人にとってもまた、自分にとっても一番である。思えばあの時にはもう死別の覚悟はできていたし、何より母から電話があったその瞬間、自分は電マ片手にセックスの有様だったのである。中折れすることもなく、貫徹した。


 ばあちゃん、おれ、頑張ってるぜ!


 と、阿呆らしく終わってしまえないのが我が家の複雑なところで、今回亡くなった祖母は父方にあたる人なのであるが、生前にはたいした圧政を親戚連中に敷き、女傑を誇っていた。


 祖母は長男家族と長らくを同じ屋根に暮らしていたが、巧妙なことには、それぞれの家を同時に介するような真似は決してしなかった。正月にしても、長男夫婦の出かけた際に、父のつまり自分の家族を呼ぶ。次男の家族も同様である。いつでも次男家族と三男家族は時間をずらして家に呼ばれた。また、兄弟間で何か伝えたい用件があれば、必ず祖母が間に入った。知らぬところでの直接の連絡を決して認めようとしなかった。今は亡き祖父が一度孫たる自分に単身会いにきた時にも、後から知った祖母はそれをひどく怒ったという。曰く勝手な真似はするな。万事において自分が掌握しておきたかったらしい。さながら王朝である。


 そんなくだらないことばかりしているうち、親戚間には様々の誤解、亀裂が生じた。全ての情報が祖母を通じて発信されるものだから、祖母の用いる二枚舌三枚舌によって互いに互いを憎み合うのような展開となり、一体誰が何を考えているのかも分からなくなってしまった。たとえば祖母が独り暮らしに至った経緯一つとってみても、長男に対しては「嫁がきつい」からと云い、次男には嫁ばかりでなく「あの家族がのけものにしている」からと云い、三男たる父には「本当は次男と住みたいのに次男が嫌がる」などわけのわからぬ妄言を繰り出す。万事こんな調子でそれぞれに応じた正当性みたいなものを捏造するものだから、心の所在まるで見当もつかぬといった状態に陥り、混乱するのである。


 ところで父方は某県に本家があって、小さい頃に一度だけ行った記憶を辿るに、明治時代の大屋敷のような時の移ろい止まった感のあるとてつもない家であったように思うが、聞くところによると女系というか、代々に女性の実権の凄まじい家であるらしい。祖母も或はそうしたイエの気質を継いでいるのかもしれない。というより、父方の男共がそういう女性を求める傾向にあるのだろう。とにかく、祖母は強い女性であった。


 そういうことを色々考えていると、どうも自分のこの拭いがたい女性信仰は、血によるものではなかろうかという邪推が生まれる。せいぜい一所懸命に働いて、女性に尽くすのが我が宿命のようにすら思えてくる。自分の範疇を超えた女性に焦がれる気質は、父方の男共に底流するものではなかろうか。いずれにせよ本家については知れば知るほど興味深いので、今少し精査してみたいと思う。


 独裁体制を敷いていた祖母の死によって、これから父方の親戚連中にはソ連崩壊よろしくの問題が巻き起こるであろうことが予想される。祖母が遮断していた情報のあれこれがだだ漏れとなることによって、数多の誤解が解け、同時に新たな認識が生まれてゆくことだろう。同時に軋轢が生まれることは云うまでもない。自分にとってそれらはまったく眼前に広がる小説みたいなものである。孫として祖母の死はこの上なく悲しいが、一人の人間として、この類いの泥沼に愉悦を覚えずにはいられない。

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  • 2015.10.23 Friday
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  • 03:03
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コメント
 大変そうで…まさに崩壊後のソ連か、フセイン亡き後のイラクみたいなものですな。

 ちなみに亡くなった我が祖母は、お嬢さん育ちであったそう。ただ若くして夫を亡くし、そのため親戚連中に騙されて土地を含めた財産を根こそぎ奪われたとか。そして周辺住民からは完全に孤立して、苦労して父を育てるはめになったと聞いております。
 そのためお嬢様は、煙草も酒も好きで男との喧嘩も辞さない姉御肌に大変貌して周囲に恐れられたとか。おかげで我が母親は苦労したようです。しかし記憶にある祖母は孫には優しかったのか、そんな印象は皆無なんですが。でも、もしかしたら独裁者だったかもなあw
 だから我が家は親せき付き合いが全くなく、父の姉と母親の実家ぐらい。
 まあ、こじんまりと生きております。 
子猫侍様

なるほど、どの家にもならではの祖母があるわけですね。姉御肌とはいいですね、昭和文学ならば一生を追った大作に仕上がりそうです。大谷崎の達者な分野ではなかろうか。しかし核家族おびただしい昨今にあっては、まめまめしい親戚付き合いのほうがむしろ珍しいでしょうね。我が家は母方がうってかわってたいへん社交的で、正月ともなれば広間に親戚からギャルから近隣のレタス農家から、がちゃがちゃです。同じような集まりが年に何度もあります。仲良きことは素晴らしきことですが、息子あるいは孫の立場からすると、ああいった空間は居場所がなく、少し前まではただ絶句でした。気心知れた連中の一員という認識がもてなかった。まぁ、青い時代の話です。
  • 本人
  • 2009/01/12 12:04 AM
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