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  • 2015.10.23 Friday
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中国で猿脳を食べる話

 中国では清朝乾隆帝の時代に満漢全席なる宮廷料理が完成した。これは満州族と漢族との料理のうち、わけても美味とされる逸品ばかりを揃えた最高級コース料理である。満漢全席は清朝の滅亡と共に廃れたが、品目の中には現代になお残っているものもあって、猿の脳味噌などがそれに該当する。


 私が直接食べたわけではないが、近しい人間が二十五年ほど前に中国へ行った際、非常な歓待を受け、あちらの云うがまま毎夜毎夜、酒と女と高級料理とを貪り尽くす中に、二度、猿の脳味噌が登場したという。


 聞けば、これを食うにはまず専用の円卓が用意される。卓の中心には小さな穴が開いていて、猿は穴の下に設置された檻の中、鼻から上だけを露出している。頭の毛は奇麗に剃られている。料理人はこの猿の頭蓋骨に鋸を水平にあてる。ゴリゴリと気味悪い音を立てつつそれでも猿が全くの無抵抗だったのは何か麻酔でも投与されていたのかしらんとは知人の回想である。鋸が一周すると、料理人の手慣れた捌きによって頭蓋が外され、新鮮な脳味噌がお目見えする。そうしてこれを生のまま、箸なりスプーンで掬って食す。猿は、多少脳を齧られるくらいでは死なず、しばらく人間のほうをうつろに眺めていて、眼には涙が光っていた……。聞くにつけ壮絶だが、目の当たりにした知人は当然ながら度肝抜かれたようで、食うに及ばず汲々たる思いで酒に身を任せたという。猿はいつの間にやら絶命したとみえて、中国人がホラ今死んだよと教えてはくれたらしいが、見るにも耐えぬと言葉柔らかに伝えると、もう猿は勘弁してくれと嘆願したという。


 だがこの知人は中国人の厚意によって二度目の猿を味わう羽目となった。しかも次の店では調理用の猿たちの保管される檻をも料理人の案内によって見る機会を得てしまった。中国では生きたままの食材を店内に並べるのは珍しいことではなく、水槽内に泳ぐ魚は云うに及ばず、SARSや伝染病の今ほど危険視されていなかった当時にはハクビシンやらアルマジロやら、まず日本人は食べたがらない様々の陸生動物をも檻越しに見定め、食いたいものを選んでは料理人に捌かせていた。鮮度抜群、美味いものを食いたいという強い意志あればこその本物の食文化である。


 イタチやら犬やらの檻を素通りしつつ知人と料理人とが最奥部の猿檻に近づくと、何やらキイキイと複数匹が喚き出した。見れば檻の中で猿が猿を捕まえて、人間のほうへ向かって他の猿を或いは押しやり、或いは投げ飛ばしている。俺は嫌だ、お前が行け、いやいや勘弁してくれお前が行け、というわけで哀れなるかな猿たちは、ここで人間に捕まるとだいたいどのような運命を辿ることになるのか知っているらしかった。猿同士にしか分からない何か、絶命の状況に詰められた際に発せられる鳴き声のようなものが円卓の方向から聞こえているからなのか、単に直感が危機を知らせているのか。保健所の犬猫がいよいよ死の番を迎える段に至れば鳴くのを辞めて諦観の境地に項垂れるという話も聞いたことがある、猿とて本能的に死を察知するのであろう。料理人は、他の猿によって手前へ投げ出された猿を捕まえて厨房へと進んだ。日本人ならば、保身を考え仲間を売った猿をあえて捕まえたかもしれない。


 そうして前回同様穴の開いた円卓に猿が用意されると、頭を鋸で開くまでは同様であったが、今度はこのお猿、随分と煮えたぎった調味油のようなものをジュッと脳にかけられて、ギャッと絶命したという。この前よりも食べやすいだろうと笑顔満遍の中国人たち、こんなに美味い食べ物をどうして嫌がるのだ、さあ、さあ。十万円は下らないであろう本当に高級な料理であるから、彼らの行為は強要に非ず、むしろ最大限の真心である。知人は泣く思いで一口頬張ると、猿の死相にたちまち吐気を催しながら、味を楽しむまでもなく飲込んだ。周囲から聞こえてくるのは、どうだ美味いだろうの声、のみならず、もっと食え、じゃんじゃん食え、際限はないのである。郷に入りては郷に従わざるを得ず何度か口に運ぶうち、どうやらこれはずいぶん美味いらしいと知人の気付いた頃には皆も次々プリオンを頬張り、ほとんどなくなっていた。何猿を食ったのか知らないが、チンパンジーでもない限り猿とはいえ脳の容積はそれほどでもないはずで、複数の人間が一斉に貪ればたしかに幾らも渡らない。結局、知人の猿脳体験は、美味いと覚醒したところで止まっている。


 近年は禁猟の関係もあってあまり聞かない猿脳食だが、私の思うには本当に食いたければ今でもそれを提供してくれる店は中国に行けば少なからずあるはずである。昨年、東北地方で私が出された料理は、拳大の、それも模様入りのリアルな皮膚感や内臓もそのままの、蛙、これの水煮百匹てんこ盛りだとか、馬のペニスの輪切り、あとは味噌仕立ての鶏肉一匹バラバラ煮込み、鶏頭入りトサカ付き(巨大な椀の中にショートケーキの苺が如く鶏頭が屹立していて、最重要ゲストとちょうど目が合うように配置されている。頭が美味いとされているので、最重要ゲストは礼儀としてその頭を食わねばならない)、それと犬、程度に留まってはいるが、それにしたって矢張り食に対しては中国、相当に裾野が広い。上海や北京のような洗練された土地ではなく、私の行くような場所をあたれば、時の進み具合も緩やかであろうから、まず猿も食えると思う。知らないが。

ロナウドメモリアルマッチ

 ロナウド引退については昨日書いた。現人神には最大の敬意と感謝の念を捧げよう。箪笥の奥から大学時分に購入したブラジル代表のユニフォームを引っ張りだした。2002年日韓W杯仕様、背には9、RONALDOの文字が眩い。これを着て、今日のフットサルの試合に臨み、なおかつロナウドを彷彿させるような動きだけに徹しよう。決意して、大敗した。


 フットサルコートに到着すると、ほかには4人しかいなかった。集まらなかったという。まずはスタメン勝ち取った。対して相手は十数人からなる大所帯で、女子すら観戦するような賑わいのあるチームだった。チームメイトの曰くに、勝てない相手だからせめて楽しもう。……私は、ふだんリーグ戦には参加していないため顔見知りの1人を除く3人とはまったく面識がなかったが、やる前から負けを考えるどすこい節に対して、声を張った。


「強者に対する戦い方はある。トップ1人だけを残したカウンターでいきましょう。人数を残しておけば狭いコートですから少なくともスペースは潰せます。フットサルならディフェンスからの切り替えの早ささえあれば十分試合になる。ところで、ロナウドが引退を発表しました。この試合はどうか、僕の敬愛するロナウドに捧げさせていただきたい。戦術はロナウドでお願いします」


一同(……なに言ってんだこいつ?)


 とはいえ私は本気だった。戦術はロナウド、ボビー・ロブソン監督がバルサ時代に残した名文句である。じゃあロナウドは誰なんだ、聞かれるまでもなく私しかいない。ニット帽に手袋、これもまた寒さに弱いロナウドおなじみのファッションだ。縦ポン一発お願いしますなどと言いながら続かないリフティングを披露していると、奇怪なことには血の気がみるみる引き、眼前が白くなっていった。柔軟、パス回し、リフティングと矢継ぎ早に身体を動かしたせいで、試合前から早くも私のスタミナはかなり削られてしまったのである。


(正直、本気のダッシュは前半のうち1回が限界だな……)


 ところで、ロナウドを具現化するためには必ず披露せねばならぬプレーがいくつかある。


・またぎフェイント
・キーパー抜き去り
・圧倒的な突進力でディフェンス2人の間を突破
・キーパーが対応できない絶妙の死角を正確無比なインステップゴロシュートで射抜く
・ゴール後の飛行機パフォーマンス
・ディフェンス放棄


 特に、またぎフェイントとキーパー抜き去りに関してはどれだけやってもやり過ぎはないロナウドの代名詞、徹底せねばならない。


 私は相手の油断も大きい開始直後に全力を賭けることにした。ちょうど、キーパーまでの直線に相手が1人と、ドリブルコースも空いていた。キックオフの笛が鳴り、仲間がちょこんと球をくれる。今だ!


 猛然とドリブルにかかる私。のらりくらりしてスペースだらけとなった相手中央左陣を切り裂きにかかる。「ロナウドだ!」笑いと共に沸き返る相手ベンチ、呆れる仲間、迫るディフェンダー。パスコースなんて探さない。伝家の宝刀『またぎフェイント』を繰り出す。


 <状況>●=敵 ○=味方 ◎=自分
         ――
        |  |
          ●
        ● 
        ↑   ●
        ↑ 
        ◎    ● 
    ●ーーーーーーーーーーー

         ○
         
      ○        ○


 猛然とまたぎフェイントにかかる私。のらりくらりしてスペースだらけとなった相手中央左陣営を切り裂きにかかる。「まさにロナウドだ!」更なる笑いと共に沸き返る相手ベンチ、いよいよ呆れる仲間。左足から始まって1回、2回、3回、4回、5回……!? バランスを決して崩さないディフェンダー。あれよと囲まれパスコースなんて探せない。
 

 <状況>
         ――
        |  |
          ●
        ● 
        ◎●  
       ● 
             
    ーーーーー●ーーーーー

         ○
         
      ○        ○


(このマーク……、イタリアW杯マラドーナの悲劇再びか!)


 団子になって球を奪われ、むしろ相手の素早いカウンターからダイレクトパスを繋がれ美しい失点を浴びた。考えてみればこの、とりあえず1人がドリブルで突っかかって、失敗したら残りがフォローという戦法、策としては下の下で、負けるために時間を潰す弱小スポーツ少年団でしか見たことがない。私は、今更ながらドリブルが通用しないらしいことに焦りを覚えた。こんなにロナウドが好きなのに、誰よりも愛しているのに、なんで!? フットサルしながら乙女の心になっていた。


(ドリブルしたら失敗する。しかしパスへの飛び出しでキーパーとの1対1、これもまたロナウドだ。そこをまたぎで左右に揺さぶって、転んだところを抜きされば良い。ノルマだって一気に3つくらいクリアできるじゃないか。肝心のデ・ラ・ペーニャはいるだろうか?)


 デ・ラ・ペーニャどころかパスをくれる味方すらいなくなった。こねくり回されて失点の連続。たまにボールを持つも、もはやドリブルにかかる余力もないといった有様で楔となったり、すべてを周囲に任せて拍手と声をかけるばかりの地蔵となるうち前半が終わった。あまりに疲労が辛すぎて、わけわからず相手のプレーにもナイス! などと拍手喝采を何度か送ってしまったほど細胞の死滅は進行していた。


友人「猫木、またぐのいいけどさ、左右に揺れてるのがお前だけじゃしょうがねえって」
猫木「……」
友人「どうした?」
猫木「……(つかれすぎて声が出ない)」
友人「……」


 後半が始まった。相変わらず相手のペースで、味方陣営に押し込まれる時間が長い。私は千載一遇を狙って相手の裏に空いた広大なスペースを徘徊していた。前半のプレイを見て、相手もマークを甘くしたようだ。と、味方の眼鏡選手が、わけわからず相手の強パスを野球盤の如く思い切りはじきとばすと、猛烈な勢いで私のほうに飛んできた。


<状況>
         ――
        |  |
          ●
         
           ◎      
         ●  ↑
            ↑ 
    ーーーーーーーーーー
             ↑
      ●  ○    ↑
             ●↑           
      ○ ●     ○

   
 この、ロングボールがぐんぐん迫ってくる数瞬、私はいろいろのことを考えた。後ろには敵がいる、どの体勢でトラップしようか? 半身の体勢で受けたい、だがそんな難しいこと出来るか? キーパーまでの距離を考えたら胸で落として反転、早いタイミングでシュートを打っても構わない、相手のディフェンスも遠からずにいる。ただ、本物のロナウドなら、絶対に足で受けてキーパーを抜きにかかるだろう……。


 よし、右足で受けて、ディフェンスに背を向ける形で反転、そのまま斜めに突っ込んで右→左とまたいで右足で角度の浅いほうへキーパーをかわして、右足で流し込もう。イメージが完成するのはまこと早かった。そうしていざロビングボールを右足で受けると、軸足の左がふいに激痛に見舞われ、私はその場へ足を抱えて倒れ込んだ。おお、ロナウド! 友人が寄ってきた。


「おい、演技だったらキレるぞ、まじでふざけんなよ」


 膝十字靭帯を痛めたシーンの再現と受け取ったようで、しかし実際は、つってしまったのである。こうして私のロナウドメモリアルマッチは終了し、結果は1-11の惨敗、ロナウドのシュートは0だった。ロナウドであり続けることの難しさを改めて思い知らされた。夢をありがとう。

猫と犬と老婆

 我が家の犬と猫と祖母との関係は、褒められたものではない。両親を含め親族の多くは惨状の主因を、雄猫に恋をした雄フレンチブルドッグの異常性癖であると云うが、一人私だけは異を唱える。


 この犬は、雌犬のない生活に見切りをつけたのか知らん、ある時期から猛烈に雄猫への欲情を露にした。猫を見つければいつでも全速力で後方から掴みかかり、腰を振った。屹立した男根の先端は濡れており、私はそれを見つけるたび、殴打を施すどころか、笑いが止まらなった。同性異種、決して叶わぬ恋をするこの犬には、むしろ憐憫の情がわいたのである。


 猫のほうは本意でないから、犬と目が合うなり棚や机など高所へ逃げた。犬は、下から猫を見上げながら、恋慕のあまり全身を震わせる。どうかすると届くのではないか、必死に短い首を伸ばす。猫は、己への愛情の深きを下目に窺い且つ嘲り、犬の届かぬ位置でごろり寝そべると、無邪気に毛づくろいを始める……。


 斯様な展開を二匹して数週間も繰り返すうち、或る変化が猫のほうからあった。それまでは犬の干渉を受けぬ位置に座していたところが、身を伸ばす犬に、かろうじて尻だけが届くような姿勢をとるようになったのである。女豹の姿勢をとる猫と、その肛門に顔面を埋める犬。猫は、犬に肛門を舐めさせたいらしかった。


「この、ばか小僧!」


 割って入るのは、祖母である。私は祖母が犬に対してこの台詞を唱えるのを、日曜ならば日に三十回は目にするわけで、老齢による行動パターンの定型化を憂う次第ではあるが、それはさておき祖母は犬の破廉恥が許せないらしい。餌やりから日中の相手までを一身に引き受ける祖母としては実の息子が失態を晒すが如きに思うのかもしれない。しかしながら、猫の肛門をぴちゃぴちゃと舐(ねぶ)る犬の表情はいかにも幸福そうで、私はそれを止めたくはない。糞のついた肛門すら貴いとする犬の、確固たる被虐心、構ってくれるだけで幸福……。まことかつての自身を眺めているようで、泣けてくるのである。


 犬の愛情に猫が甘えっぱなしであることに気が付いたのは、つい先日のことであった。久々に猫を抱えたところ、何か柔らかい感触が指にあって、見れば糞のたいがいが肛門に残っていた。どうせ犬が舐めてくれるから、そのような怠惰極まった思考のもと、この猫はいつからか糞を切る作業を放棄していたのである。あくる日も、そのあくる日も猫は糞をたっぷりと肛門へ塗りたくっており、別に病気もないこいつは実に、最低の悪癖を身につけてしまったのである。


「ごはん食べたいでちゅかぁ、ネ〜かわいいでちゅね〜、コロ…チャッピちゃん」


 猫なで声で猫を転がすのは、祖母である。しかし祖母は、四回に一回以上の割合で猫を犬と呼び違えるものだから、上記のように甘ったるい雰囲気を一人で拵えては、失言によって勝手に破壊する。五回に二回以上の割合で私と犬とを呼び違えるのも、似ているからという理由だけではないのであろう。


 性欲過多の犬と、それを悪用する猫、二匹の関係はたしかに異質であるけれども、この物語に最もおぞましい狂気を添えるのは祖母に他ならぬ。爾来、捨て猫はおろか屋内に迷い込んできた蛙すら見逃しておけない祖母は、まこと博愛の人で、その深い愛情ゆえ、一度道を外れたら最期、獣道をも厭わないのであった。


「性欲の捌け口がないのは、あまりに気の毒だったから……」


 哀れ、猫に恋するこの犬は、祖母の手コキに身を委ねていたのである。或る晩偶然に現場を目撃した私は、流石に笑えなかった。雄猫を愛する雄犬の、満たされぬ性欲を老婆が処理する……、歪み切った三角関係、近親相姦と呼ぶにも、それぞれが別種、離れすぎていた。可愛さあまってなどという枕も、通用しない事態のように思われた。この、どす黒い靄のかかった心境は随分昔にも味わったことがある、そう考えた私は、それが両親のセックス、母親が潮を吹きながら絶頂を迎えるという世にも浅ましい瞬間を目撃したあの時と同質であることを悟った。祖母の狂態は、あれに勝るとも劣らぬ光景として私の脳裏に焼きつきまた、忘れかけた記憶を大いに呼び戻した。


「田舎の事件ですね」


 友人は、犬猫祖母のいびつな関係を指してこう云った。そう、まことこれは、田舎という土地柄にのみ生まれる狂気、不干渉主義の都会に生じる偶発的なそれとは完全に異質の、情緒過多ともいえる閉塞的な社会にのみ表出する類いのものである。


(これが、親殺し子殺しか……!)


 祖母が犬の金玉を切り落とさぬよう監視せねばならぬ。

スパルタンX永遠なれ

総合格闘技の人気に押されて最強の称号を完全に奪われたプロレスはいつしかショーであることを理由にそこにある真剣までをも大衆に否定されるようになり、近年においては無念至極の思いに駆られる愛好者の落胆、派遣村のそれより余程切実である。新星現れぬプロレス界では錆びた身体を引き引きリングに上がる中年レスラーたちが、かつての激闘通じて獲得した物語性のみを武器に、がむしゃらしている。長州、武藤、蝶野、ライガー、小橋、秋山、云々。人気選手が10年昔と、変わらぬ。プロレスラーは入場曲で客を沸かせる、この言葉は良い試合をする理由が、今ある物語転じて予定調和をどこまで引っ張ることができるのか、にあることを如実に語る。手抜き作品に中毒性は生まれぬ。


試合前が一番盛り上がるのだから、やはりプロレスは格闘技ではない。しかしその故、よほどの天才でないかぎり、奥深さを備えるには長いキャリアが必要になるのであって、しぜんいい年したレスラーが増えるようにもなっている。だから人気レスラーの多くは、結果的に生涯現役の形をとらざるをえない。


プロレスラーの使命は久遠のドラマを紡ぐこと、いずれレスラーはリングに死ぬがそれは引退というセレモニーに集約される儀礼的な意味での死、である。本当に死んで何になる、試合は演技で死ぬにガチとはこれ果たして誰が得をする。


あらゆる可能性に考察の及ぶいかなる天才であろうとも三沢の死は予測出来なかったであろう、彼はプロレスを知悉していた。ただプロレスしているだけでは、死なないのが三沢だった。では何故死んだ。バックドロップを見舞った斎籐、彼には何らの過失なし。手を抜いたらむしろいけない。テレビ放映中止、これは精神に致命的であったろう。テレビの金がなくなればただでさえ窮々の経営更に難しくなること誰の目にも明白、社長としての三沢はこれにあるいは魂を握り潰されていたかもしれぬ。しかし社長と選手を兼任するからには斯様の困難あること想定するのが立場ある者に課せられる責任、である。

三沢をプロレスに専念させるだけの余裕がなくなってしまったプロレス業界の縮小、カリスマが実務に庶務に試合に追われねばならぬ現状、を嘆きたい。プロレスはテレビ黎明期におけるドル箱産業で、それは映像文化に馴染みの薄い無学の民にとり、分かりやすく壮絶だったためである。また作り手側にとり、1ラウンドで終わりかねないボクシングよりも時間の読めるコンテンツであったため、つまり台本ありきで構成できたため、生放送に便利であったためである。強さえげつなさを伝えるにはもはや総合がある。しかも総合は、煽りVTRに明白なように、プロレスのショー的要素を実に上手く接収している。みんな、総合を見て、かつての民がプロレスを見た際に感じたような興奮を覚えている。さればプロレスにはいかなる存在意義を見出だせよう。そこに答を出すべく、数多の団体が奮戦している。或は王道或はデスマッチ或はお笑い、等々。


プロレスと総合の違い、それは男女が支持するか、男ばかりが支持するか、の違いである。どちらがどうは云うまでもない。スタイリッシュを求めるよりは、臭いえげつないうそくさいを求める人がある以上、プロレスはなくならぬ。禿げた太った中年同士がチョップをぶつけ合う奇態、呉越ながらに気を遣いながら雪崩式をキメるに代表されるような、本質的な敵不在の奇妙な試合、不思議が随所に存するのがプロレスである。こんな貴いものをなくしていいはずがない。


そんなプロレスの偉大さを大いに体現していた三沢が死んだ。死ぬには早く、あまりに惜しい。彼の存在には自分の思い出も依存している。スパルタンXが流れる日曜の夜全日本プロレス、生きる意義なきろくでもなかった中学時代、これを聞いて新たな1週間に向かう力をもらっていたのだ私は。タイガードライバー、タイガースープレックス、真似するにはあまりに危険且つ高難度の持ち技にあってエルボー、これは実に強烈だが真似するに芸がないというか、武藤のほうが動きがあるから結局三沢の技は何一つ真似しなかったが、それらを実に刺激的に流暢に操っていたのだから三沢はやはり名レスラー、真似をさせない優しさ、色白ボディに小さめ乳首、腋毛、忘れられない。

祖母の死と女

 祖母危篤につき長らくを静岡で過ごしていたが、いいかげん仕事もあるものだから今朝東京へ戻ってくると、その足で深大寺へと向かった。友人の云うに、良い場所であるらしかった。が、まずいことに空色は鉛、雨の冷たさ連れ添いの女性が歯を打ち鳴らすほどで、立ち並ぶそば屋ほかたいがいの店が閉まっていた。どうやら日を過てたようである。


 深大寺のある調布はゲゲゲの水木しげる先生住う土地であるから、売店には鬼太郎にまつわるあれこれがみっちりと陳列されている。書籍ずらりの絢爛に昂って、おれこれ持ってる、これも、おおこれも、いやあほとんどあるわ、おれ水木しげる好きだからさ、自慢だか何だかわけのわからぬ台詞をぬかしたりもした。女性はそれらすべてをまったく聞き流すと、ぬらりひょんを指差して「これは貴方ね」と云った。他の場所でのっぺらぼうを見れば、また同じことを云ったりもした。その後も頭のつるりとした妖怪を見るたび笑うので、じゃあ君はこれかなみたいなことを此方が云うと、それについてはきっちりと怒ってみせた。歯に鋭い彼女ではあるものの、サラリーマン山田ではなかったらしい。


 飯を食うにも明るいそば屋はわずかに一軒ばかりだったので選ぶまでもなくそこへ入ると、通されたのは天井に松の板目を、床に畳を敷いた純和風の座敷部屋だった。欅のテーブルは経年に古色蒼然としており、乾燥に裂けた箇所にはこぼれた七味みたいなかすが詰まっている。鼻糞もあった。客はどれもが初老で、蕎麦をすするほか音はない。窓越しに外を眺めれば雨に打たれた竹青く、さながら古都である。が、自分はもう少しガヤガヤした場所を望んでいたのであって、それというのも連れの女性の声が人の三倍大きいのであった。甘やかされて育ったのかなんなのか、良くも悪くも他人というものを気にする性質を持たぬ彼女は、此方の声の小さい理由などいっこう考えず、幽体離脱から市松人形から様々の怪奇現象について、張り上げた声でもって非常によく喋った。無粋とはかくの如きであろうがほどなくして客もいなくなったので、それから先は気兼ねすることもなく冷えた手を湯のみに暖めながら、他愛もない話に終始した。


 そうして平穏な一日を終えたかと思ったら、丁度東京に戻ってきたこの間隙を狙ったように祖母が死んだ。昨年末には元気な祖母ではあったが、肺の膿を除去するとかいう手術を境に見違えるように衰え、人工呼吸器を装着してからは意識も戻らずの最期であった。当時は楽観視されていた手術ではあったが、なにぶん老体である。自分の予感としては手術に耐えられる身体であるかどうか大いに疑わしくもあったから、いろいろを話すために手術当日の十二月半ばに一度病院へ出向いたのであるが、結果としては良かった。死に目に立ち会えぬは悔やむべきことではない。元気のうちに励ましてやれたことが、当人にとってもまた、自分にとっても一番である。思えばあの時にはもう死別の覚悟はできていたし、何より母から電話があったその瞬間、自分は電マ片手にセックスの有様だったのである。中折れすることもなく、貫徹した。


 ばあちゃん、おれ、頑張ってるぜ!


 と、阿呆らしく終わってしまえないのが我が家の複雑なところで、今回亡くなった祖母は父方にあたる人なのであるが、生前にはたいした圧政を親戚連中に敷き、女傑を誇っていた。


 祖母は長男家族と長らくを同じ屋根に暮らしていたが、巧妙なことには、それぞれの家を同時に介するような真似は決してしなかった。正月にしても、長男夫婦の出かけた際に、父のつまり自分の家族を呼ぶ。次男の家族も同様である。いつでも次男家族と三男家族は時間をずらして家に呼ばれた。また、兄弟間で何か伝えたい用件があれば、必ず祖母が間に入った。知らぬところでの直接の連絡を決して認めようとしなかった。今は亡き祖父が一度孫たる自分に単身会いにきた時にも、後から知った祖母はそれをひどく怒ったという。曰く勝手な真似はするな。万事において自分が掌握しておきたかったらしい。さながら王朝である。


 そんなくだらないことばかりしているうち、親戚間には様々の誤解、亀裂が生じた。全ての情報が祖母を通じて発信されるものだから、祖母の用いる二枚舌三枚舌によって互いに互いを憎み合うのような展開となり、一体誰が何を考えているのかも分からなくなってしまった。たとえば祖母が独り暮らしに至った経緯一つとってみても、長男に対しては「嫁がきつい」からと云い、次男には嫁ばかりでなく「あの家族がのけものにしている」からと云い、三男たる父には「本当は次男と住みたいのに次男が嫌がる」などわけのわからぬ妄言を繰り出す。万事こんな調子でそれぞれに応じた正当性みたいなものを捏造するものだから、心の所在まるで見当もつかぬといった状態に陥り、混乱するのである。


 ところで父方は某県に本家があって、小さい頃に一度だけ行った記憶を辿るに、明治時代の大屋敷のような時の移ろい止まった感のあるとてつもない家であったように思うが、聞くところによると女系というか、代々に女性の実権の凄まじい家であるらしい。祖母も或はそうしたイエの気質を継いでいるのかもしれない。というより、父方の男共がそういう女性を求める傾向にあるのだろう。とにかく、祖母は強い女性であった。


 そういうことを色々考えていると、どうも自分のこの拭いがたい女性信仰は、血によるものではなかろうかという邪推が生まれる。せいぜい一所懸命に働いて、女性に尽くすのが我が宿命のようにすら思えてくる。自分の範疇を超えた女性に焦がれる気質は、父方の男共に底流するものではなかろうか。いずれにせよ本家については知れば知るほど興味深いので、今少し精査してみたいと思う。


 独裁体制を敷いていた祖母の死によって、これから父方の親戚連中にはソ連崩壊よろしくの問題が巻き起こるであろうことが予想される。祖母が遮断していた情報のあれこれがだだ漏れとなることによって、数多の誤解が解け、同時に新たな認識が生まれてゆくことだろう。同時に軋轢が生まれることは云うまでもない。自分にとってそれらはまったく眼前に広がる小説みたいなものである。孫として祖母の死はこの上なく悲しいが、一人の人間として、この類いの泥沼に愉悦を覚えずにはいられない。

合コンに完勝

 日曜、嬲の三人で代官山の写真展に行き、夕刻より新宿へ向かった。そこで新たに嫐と合流し、変則的ながらも男女三対三で飲むという算段となっていたのである。ところが現地に到着すると、相手方の女の一人が来られなくなったため、嬲で居酒屋に向かうよとの報が入った。結局、男四に女二のしまらぬ会合となった。


 さて始まった。初見の男連中は、一人が狂乱の八十年代を引きずったような業界人風情、もう一人はギャンブル狂であった。風情のほうは、率先して話を進めるのだが面白いところ一つもなく、かといってもう一人ももう一人で、たまに口を開けば例外なしにつまらない。聞けばメロコア好きだそうで、やっぱりなと思った。しかし女性は小さくて可愛らしい。快活な物云いと立ち振る舞いに活動家のにおいを嗅ぎ取りそこが引っ掛かったので、話しかけてみた。


「大学では何をされていたんですか」
「社会学のほうを」
「ほうほう、デュルケーム」
「いやそんなの知らないけど」
「さてはフェミニストですか」
「ええ、まあ」
「やっぱりな」

 
 もうこの時点で話すべきことなど一つもなくなった。こちらのお供の女性は業界風情を狙っているという事前情報通り、つまらぬ話にも強いて笑い、わけのわからぬ自慢話にも感嘆の声をあげてみせる。女性というのは器用なものだ。キャバ嬢みたいなヨイショを間近に、閉口した。一緒にやってきた元同僚の鬼畜男も、頭の中は同じである。と、風情がナルシシズムをアッピールするが如くの汚らしい言を飛ばした。


「俺、誰に似てるかなあ」
「窪塚ソックリですよー」
「民生ですなあ」

 
 元同僚の男は窪塚と褒め、自分は民生と讃えた。誰よりキャバ嬢めいていたのは我ら怒れる男達だったのである。卑屈。泣きたくなった。


 当初の目的は、やってくる女性のいずれかと懇意になることであった。しかしながら蓋を開けてみれば眼前には男、面白いならまだしも冴えない話題ばかりで、女性ファッション誌のクオリティ? 知らないよそんなものは。黒い塊が胸中を覆い始めた。たとい流れ星銀に及ぼうとも、それを展開するのが風情である限り全てが退屈に思えて仕方なく、実際その通りであった。烈・天狼抜刀牙とか云うのである。間違い一つについても、いつもの三倍腹立った。気付けば戦うべき相手が『女性』から『合コン』そのものに変化していた。この場ァが憎くて仕方なかった。と、隣の長髪の元同僚が本気を出し始める。


「僕はジーパンのポケットをハサミで切ってあるんです。で、電車の中とかで彼女にポケットに手を突っ込ませて、チ●ポをいじらせるっていう」


 っていう、のところで彼は既に一人噴き出していて、当然自分も面白くて仕方ない。場違いの発言、つまり悪ノリ。天の邪鬼気質にはもっとも香ばしい愉悦の類いである。こいつはこの場に至っても裏切らない、頼もしくすら思えた。相手方の反応は、笑い半分ひきつり半分といったところである。今しかないような気がした。


「ローターをアナルに入れると射精が早いから、精神安定剤を飲んでいた一時期には愛用した。気分は女だね、イッちゃうとか云って、自分の言葉にビンビンくる」
「さすがっすね深●さん、僕も彼女に開発してもらって、最近では指が三本も入りますよ、陽子イッチャウ! とか云いますもん。ヤリマン陽子で売り出そうかな。コンビニにバイブ突っ込んだまま行ったこともありますよ。フラッシュ立ち読みしながらグラビアページでキターみたいな」


 こうしてその場を完全に粉砕することに成功した我々は、めでたく合コンに完勝したのである。帰りの総武線、あざとく座席を獲得した二人は、勝利の余韻と未だ冷めやらぬ悪ノリ話とに夢中の体であった。


「僕ね、酔った勢いで工事現場の黄色と黒のあれボキボキやっちゃったことあるんですよ」
「犯罪じゃないですか」
「あとね、秋葉原の万世橋から川めがけて自転車投げたりオラーって…フッ」
「犯罪じゃないですか…フッ」
「フッ」
「フッ」


 高円寺に到着した。二人は、例の風情のいかにつまらぬかを云い云いしながら、つまらぬ男に成り下がることを風情の名前になぞらえて『花村化(仮名)』と名付けた。改札をスムースに通れば『やばいっすよそれ花村化ですよ』、女心分かった風を吹かそうものならそれこそ『ウワー花村化』、などと各々に潜む下劣な性質すべからくに花村の烙印を押し、嘲笑を浴びせながら歩を進めた。


「このまま帰っちゃいけないと思うんだな。今日のあのつまらない男の記憶を消すためには、ラーメンを、それもかなりコッテリしたやつを食わねばならん」
「深●さんまじっすか、この期に及んでラーメンすか!」


 そうして二郎ラーメンに酷似したZERO ONEという店に入った。


「ゼロワンとか云って、プロレスじゃないですか!」
「そうだ、そうして俺は全部のせを食う」
「ウオー!」


 麺がやってきた。自分は豚骨、彼は醤油を頼んであったのだが、どう見ても醤油のほうが美味そうだったので、


「ちょっと一口頂戴、こんなことすると花村化しそうでアレだけど」
「あ、はい…プッ」
「えっ」
「いや、一口もらうのが花村化っていうのがわけわかんなくてツボに入ってしまって…プッ」


 麺を食いながらも、花村の話が止まらない。先の宴席において、自分とこの朋友が、クラブで踊るという行為が苦手で、人前で踊るなんて恥ずかしいという話を花村にし、余裕だよと不敵に返された場面が話題にのぼると、麺そっちのけに盛り上がる。


「あの時、じゃあどんな風に踊るんですかって聞いたら、あいつ胸元あたりに手を当てて身体を揺らしてこんな感じとかってやったじゃないですか、あれ超ダサくないっすかアイドルみたいプッ」
「あれ…酷かったなあプッ」
「あいつ、僕らに踊らされてましたよ」
「うまいこと云うなあ」


 という具合である。世間が我々と風情のどちらを酷いととるか、分かり切っていることなのであえて問わない。聞けば聞いたで間違いなく傷つく。が、歩み寄る気もないのであって、というのも元来ユーモアとは弱者の側にあると信じているのである。

テレビガイド

 遡ること十余年、ネット前夜の日本では、テレビガイドが今よりずっと売れていた。計画的に情報を接収するためのデータベースとして、テレビガイドは文字通り番組選びの案内に一役買っていた。ドラマ特番スポーツ中継、各人かの本眺めつつ、嗜好を思考し至高の施行を指向した。


 若い女性がドラマのコラムに意を得る中、中学二年の自分は深夜番組、とりわけ放送される映画の情報に目を通していた。アダルトなものだけを求めた。というのは、パソコンのないあの頃、未成年がエロに触れるには相応の労力が必要であり、本にしろビデオにしろ、買うとなったら一に法、二に金銭、三に親の目、様々の困難が容易に若者をエロに触れさせなかったのであって、自分も一度、クリスマスに親より貰った金で山ほどAVを購入して店を出たところに同級の女子と遭遇し、たいへん気まずい思いをしたことがあり、ただこれは当時から現在同様興奮したのであるが、それやこれやするうち性欲に拍車がかかりまたそれと並行するようにして深夜型の生活が板につきテレビを眺める時間もしぜん増えてゆく中で、どうやら深夜には稀にエロい映画が放送されているらしいことを知り、翌日の鼻息荒い友人の弁から良作を見逃したことを悔やんだこと一度や二度に留まらず、それからは取りこぼしがあってはなるまいとジャンプ購読を止めてまでしてテレビガイドなのであった。金より手間を惜しむ若さが、あの頃の自分には今よりずっとあった。


 火焔乳の印象深い『くの一忍法帖』は、裸体の露出度合いは当時最高であったものの、和装を良しとする感性があの時分にはまだ足らず、エロい映画の時間帯にそのシリーズが埋め込まれている週には、親知れず落胆した。折しも十代半ば、誰もが一度はそうであったように、当時の自分は大の金髪愛好で、深夜のその枠には、なんとしても外国映画があってほしいと切望していた。


 そんな折、テレビガイドに『アグレッシヴな熱帯夜』という外国映画を発見した。こんなのを待っていたのである。扇情的なタイトルに、これは間違いないという確信を抱き、抱くだけでは足らず、赤ペンでタイトル文字をグリグリにした。さて当日の夜である。灯りを落として布団に寝そべり、半身裸に映画を眺めて、全て観終わって、絶望した。記憶する限り、二時間中をドライブするような内容であったように思う。


 翌日には風邪を引き、エアーマックス95を購入した靴屋が捕まり、ドラクエ3はバラモスを前に消えた。あらゆる最新の情報がテレビの中から降って来た時代の話である。

友達の友達

「4時44分に校庭の真ん中に立っていると、足下から消えてしまうらしい」
「本当? 誰に聞いたの?」
「友達の友達」
「えっ、お前、友達いたっけ」
「そういうこと言うともうダブルドラゴンやらせてあげないからな!」
「いいよ、ケイタの家でNEO GEOやるから」
「ネオ、ジオ…?」


 友達の友達、便利な言葉だ。責任を負う必要もない。学生時代、よく聞いた。出自不明の情報は、必ずこの体裁をとって耳に届いた。事実を確かめようとするのが億劫になる絶妙の位置だと思う。友達を飛び越えて友達というのは、群像めいていて、考えても面倒臭い。


 都市伝説は友達の友達を通じて広がる、そんな風に説いた学者もあった。誰もが友達の友達から聞いたとするから、噂の出所は、あるはずなのに決してない。その匿名性が、かえって人々に不気味な印象を与える。


 多くの人の曲解、虚飾を経て、最後にはずいぶん珍妙な物語となることも、珍しくない。口裂け女に出会ったらポマードと唱えると逃げられるなど、いかにも子供じみた脈絡のなさを覚えるが、そのちぐはぐさが実は、恐怖を煽るようになっているから、都市伝説は侮れない。手術中、医師のポマードの悪臭にたまらず顔を背けた女性が、それを原因に口を裂いてしまったという因果を聞かされた時、やあこれは本当の話に違いない、そう思ったものだ。頭の悪い小学生などは、それらしい理屈さえあれば、信じてしまう。


 高校時代、エノキというあだ名のついた、教室きっての大ブスがいた。顔が悪いと性格も腐るの見本みたいな女で、空威張りに凄みのある奴だった。体型は鈍重で、そのくせスカートが短く、下着をつまびらかにすること再々に及び、見たくもないのに見てしまう男の性を逆手に「ちょっとあいつ今私のパンツ絶対見た」のごときを大声にて放言する、悪辣な不細工だった。


 或る放課後、男子五人と一人の女子が、お喋りに興じていた。


「今日エノキのパンツ見ちゃったよ」
「俺も見た、何か毛ェ透けてたよな」
「女の子の陰毛初めて見たけど、汚いね、エノキだからかな」
「ちょっと、一緒にしないでよ、私のは違うんだから」


 ゴクリ。


 男子は報われない童貞ばかりだが、一方の女子は鼻こそ上向いているものの、割と綺麗な顔立ちをしていた。何故彼女が見るからして不毛の軍団に割って入ったのかは覚えていない。ただ、五人のうち二人はすっかりその女子に心を奪われていたことは覚えている。いずれもが童貞で、彼らの後日に言うには、分け隔てない態度に優しさが溢れていた、清らかな精神に惚れた、というのだった。お喋りするだけで惚れてしまう童貞の底の浅さに閉口したし、それは童貞の純粋性というよりは、単なる無知に思えた。もちろん、そうやって人をたやすく信じてしまう純情の気質が童貞の値打ちであることは分かってはいる。そうかといって、その値打ちを認めてしまったら、女性はただ美しくさえあれば、眠たげな色気と博愛めいた薄愛をちらつかせることで底辺をうよつく男共を食い物に、その美が画期的である限りは楽して世を渡っていくことが出来る、ということをも認めねばならない。ヤリマンとかいう言葉で自分に見向きもしない女子を疎んじるのは他ならぬ童貞のはずだ。これでは童貞精神は食い物にされるだけだ。端正な美女なのに優しいという理屈で己の愛情をたやすく注ぐなどというのは、ただの多情ではないか。自分に優しくしてくれるから僕は君が好きだなどと言っていたらば好きになる女子の数はうなぎ上りの一途、結局付き合えるのなら誰でもいいというのが童貞の本質と指摘されても、非難のしようがない。それは平素において忌み嫌うヤリチンと大差ない。彼らは思った相手とのセックスに成功しているが、童貞は失敗している、それだけの差異でしかないからだ。だから、童貞に限って好きな人は10人いるかなみたいなばかなことを云う。それは結局、セックスに昇華出来ないことで愛情を消化出来ないと云っているに等しく、愛とはセックスを標榜しているヤリチンの論理と、寸分に違わない。なんだしょうもねえな、童貞。出来ないからって、僻むなよ。


 そのように高校男子らしく冷笑気味に童貞達の興奮を眺めていると、女子の口から驚愕の言葉が出た。


「××ちゃん、夏休みに処女捨てたらしいよ」
「本当か?」


 思わず声が大きくなった。童貞達は、慄然としている。セックスをいかに早く済ますか、というのは高校男子にとっては一つの大きな指標であるから、エノキよりも価値のない人間、という思いが彼らの胸を去来したのかもしれない。


「誰と、いつ、どこでよ?」
「それがさ、地元の友達の友達の先輩だってさ」


 女子は、含み笑いをおさえつつ、そう云った。


「絶対嘘だよ!」
「びびったー!」


 童貞達が、狂喜している。おれは、その話を聞いて、哀しくなった。きっと、セックスをしたという既成事実をでっちあげることで、一つ他の女子よりも抜け出たかったのだろう。もとより誰もエノキの言葉などに誰も耳を傾けてはいなかったのだが、周囲の冷淡の熾烈に、己の位置を今一度高みに運ぶべく、つい口から出た嘘であること、疑いようがない。地元の友達の友達の先輩、なんと遠い縁であろう。都市伝説以上に真偽を確かめようのない話だ。三親等すら知らないおれには壮大すぎてものも云えない。ここまで自傷的な嘘をつかざるをえないほどに虚栄に満ちたエノキ、あらゆるが自業自得で酌量の余地などまるでないが、彼女に宿るセンチメンタルは、おれの中にあるそれと、違わぬ物だと実感した。


 その翌日から、おれはエノキに優しくなった。もとより遠ざかっているだけで誹謗中傷の何を云うでもなかったが、たまに雑談をふってみるなどして、これまでよりも親身になった。威張らずとも平穏な学生生活だってあるのだということを、さりげなく教えてやりたかった。


 そうしたところ、後日になって、エノキがおれを熱愛しているという話をエノキの親友より直截に聞いた。都市伝説ではなかった。とんだばかやろうがいたものだ。以来おれは、調子に乗った不細工が好きではないし、構おうとも思わない。

返歌

 十年来の友人に向かって一升瓶を振り下ろそうとしたまさにその時、頭を駆け抜ける戦慄のリリック。束の間、清風の煽動的な言動に対する怒りは消失、忘れる前に頭の中で復唱した。


俺・最近気になる・サンポール
俺・未来は多分・段ボール
俺・いつも夢見る・ドラゴンボール


 かっちり韻も踏んでいる。自画自賛に値した。鮮烈にして簡潔、弱者からの求心力、弱者に対する訴求力、いずれをも備えているような気がした。これぞ貧乏人に送る哀歌、金にはならない。しかしラップは、反社会的であらねばならぬ。富める者の心の隙間を埋めるものであってはならない。


「呪術的にな!」

「お前、日記つけてるのか!」


 俺がぼんやりと思案に暮れつつ瓶を片手にバルザック然としている間に、清風は枕元の日記帳を熟読していたのであった。木村カエラと熱気球に乗った夢に関する記述を読み上げると彼は、爆笑と同時にごみの山に身を投じ、弁当箱からたちのぼる腐臭も忘れ、捻転した。


「おい、部屋は良いけど俺の心を汚すなよ」

「報われないね」


「しかしだな、報われていないのは何も俺だけではない。生ける亡霊の呻きをリリックに起こしてこそ、ラップだとは思わないか。ワルからワルへの不毛な連鎖、内輪で完結したオナニーラップはもういらない。稚拙な政治性など、論外だ。そこにこそまこと、俺のような人間が必要な気がするのだ。怒れることすら忘れた絶望の民の声を束ねて、それをラップで表現したい。ただ、これは常々思っていたことだが、やるからにはコンテンポラリーに韻を踏むのではなく、パースペクティブにあちらこちらをきちきちと合わせてみるべきだ」

「つまり、いとうせいこうが大昔にやったことを繰り返すというわけだな。そしてその方法論、さっき俺が言ったことだが、まさか俺から聞いたのを忘れて、さも自分が考えついたかのように、己の理論に組み込んでしまったんじゃなかろうな。飲み過ぎだ。まあいい、まずは瓶を置け」

「オケ(置けにかけたOK)」

「それは、ラップじゃなくてオヤジギャグの範疇だ」

「うるせえな、とにかく俺の渾身のラップを聞いてくれよ。いくぞ」


 俺は、清風に先程のサンポール、段ボール、ドラゴンボールのくだりを、聞かせた。


「もう一回やって」


 再び聞かせた。ここでは、オン、ィエーのごと、相槌をも入れてみせた。


「はいもう一回。今度は手もつけて」


「さては遊んでるだろ俺を使って。だいたい、メールしながら聞くなよ」


 清風はどうやら、既にラッパーとしての俺の技量を見定める宵の会に、飽きているらしかった。文学的素養に裏打ちされた彼の箴言いちいちに、粉砕された無根拠の自信。ああ、やはり、自信とは根拠ありきなのだ。自信の根拠とは、認められること。これまでろくに認められてこなかったおれの薄っぺら人生。もう、俺は、生きていく自信がない。そもそも、生きるための根拠が見つからないのである。


「そろそろ帰ろうかな、終電も近い」

「ぷふい、今夜は一緒にいてくれよ」

「女々しいな、おかまか。じゃあ思いをラップで表現してみろ。うまいこと出来たら朝まで付き合ってやろう」

「迷妄・で・不毛・な日々の・消耗・に心は・摩耗・体型は・相撲・それでも今夜は・飲もう」


 清風の顔色が、変わった。


「…ビールが切れたな。しょうがねえ、コンビニ行ってくるか。お前発泡酒だよな? すぐ戻るから待ってろ」


 思えば、これが清風に初めて認められた瞬間であった。その時の思いときたら、到底筆に尽くしがたいものがある。万事、報われた気がした。してみると、俺のラップ転向というのもまた、実にその理由の平明なことがはっきりしてきたのである。俺の望んでいたことはただ一つ、山本清風に認められたいという、ただその一心に他ならなかった。同じジャンルで勝負をかけても負けること必定、それならば俺は、彼の歩まぬ道を進もう、たといそれが本分ではなかろうとも、そうした決意のもと、ラップに挑戦し、めたくそにのめされながらも、かろうじてひり出た最後の一節、それが清風の心に響き、琴線に触れた。無上の喜びである。


 清風もまた、そんな俺の心中を察していたに違いないのである。文学もラップも、いずれも言葉の紡ぎ合い。比類なき文才を誇る彼から見るに、物書き手としては一流足り得ぬ俺が斯様な転回を見せたこと、予想の範疇であり、同時に、安堵すら与えたかもしれない。これで、文学という敷居の高く、且つは拘泥せざるをえない世界から、彼も解放されるかもしれぬとーー


 三十分が経過した。清風は戻ってこない。片道一分のコンビニにしては、随分な手間のかかりようである。メールをした。


「まだですか?」

「もう家です」


 俺・最近気になる・サンポール
 俺・未来は多分・段ボール
 俺・いつも夢見る・ドラゴンボール
 俺・最近気になる・サンポール
 俺・未来は多分・段ボール
 俺・いつも夢見る・ドラゴンボール

 
 白目を剥きながら、いつ終わるともなくこのリリックが頭をくるぐる回ったまま、俺もまた、腐臭極まるごみの中に身体を埋め、捻転した。

床に落ちた食い物と別れた彼女には未練を残すな

 昨晩、潮騒のように轟く予感を胸に、男は動揺していた。


 ーーはて、俺の付き合っていた娘は、こんな色情魔であったか


 酒の進むほどに本音の湧出が止まらない女は、男に対して実にさまざまの本心を話した。とはいえ直截に物事を言い表すことはなく、それはたとえば次のように展開されたのである。


 貴方は出会いがないと言っているけれど、それはそういう場に出ていないだけのことじゃないかしら(私は飲み会に出まくっているから目下のところ出会いを一身に受けています)、私は例えば髪型一つにしろ、提案されないと満足出来ないの(あの頃の貴方は、私がたといどんな髪型をしても、良いも悪いも一度として言及してくれたことがなかったわ)、貴方は結局、趣味や知識の伸びる方向が同じでないと、人を人と認めることが出来ないのよ、私はそういう風には男性を選ばないけど(うわべで判断する貴方と違って、私は本質を見ています)。


 よくもまぁ、言ってくれたものである。偉くなってくれたものである。男は憤慨するよりむしろ、好まざる方向へと劇的な変貌を遂げた女に、失念を覚えたのであった。


 女はその後も、麻雀を覚えたいが、あいにく周りには遊びで麻雀をする男がいないから、その遊びとは縁がないことに不平を漏らしたりした。とはいえそれもまた、聞けばずいぶんとうすら色情狂った話で、どうも女の言うその男達というのは、賭け麻雀には精を出しているようである。つまり、ルールを教えるのは面倒だが、やり方さえ覚えればいつでも混ぜてやる、という男達との口約束が果たされているのである。ギャンブルの一切に嫌悪の感情を示していたかつての女は、一体何であったのだろう。


 更には、女は男の酒に弱い様子を眺めるなり、実に哀れな視線を投げ掛け、お酒が飲めない人って何が楽しいのか分からない、本当にかわいそう、なんだかこっちまで白けてくるし、絶対に一緒には飲みたくない、などと口走るのであった。男は、つっても新宿では朝まで飲むことも珍しくはないんだ、などと一応の反撃を試みるが、そんな量で朝までなんて、店にとっちゃ嫌な客だわね、そのような口調で一蹴されるのであった。


 その後も、折りに触れては新たな男の影をにおわし、隙を伺っては眼前の元彼氏批判に精を出す女の態度にさすがに嫌気の指した男は、諦めの口ぶりでこう総括したのであった。


「まあ、おれってのは人を否定出来ないから、個人というものを信じているから、尊厳を認めているから、君に対して一切の不平不満を漏らさなかったし、文句の一つも言わなかった。君からして、きっと何を考えているのか分からなかったんじゃないだろうか。しかしそれが俺なりの肯定だったわけだ。全てを許すこと、それ以上に出来ることって一体何があるだろう。しかもそれは言葉にはならないところの、一つの態度だ。だから、全身全霊をもって君を褒めようとしたところで、言葉の上では「オシャレだね」がせいぜいのところだ。で、君としてはこんな張り合いのない男はいないという結論に達したわけでござりましょうが」


「うんそうだね」


「せいぜい幸せになれ」


 恐ろしく冷たい寒風の吹きすさぶ昨晩に見た女、それはかつて男が愛でていたあらゆる美徳の腐敗した、一人のつまらぬ女であった。折しも男が放蕩に飽きた頃に、女は淫蕩に目覚めた。美しい花も枯れれば犬の糞まみれ、この世の春を謳歌せんとばかりに大股を広げる女の姿はラフレシア、小虫を集める腐臭の妖花、つまらぬ男をとっかえひっかえするたび、輪をかけてつまらぬ女へとメタモルフォーゼを繰り返してゆく。女もまたそのような堕落を歩んでいくのだろうか。男は寂しさを覚えずにはいられなかった。


 別れ際に女が言った。


「貴方がドイツにいた頃のブログも、全部読んでたんだからね。ドイツ人の三姉妹に囲まれて、私がいなくてもずいぶん楽しそうにしてたね」


「分かってないな」


 その時、全ては記憶から思い出に変わった。

 

 

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