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  • 2015.10.23 Friday
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かくすれば かくなるものと知りつつも やむにやまれぬ 大和魂

 運命共同体たらんと誓い合った女性が、実は公安に追われているからこれ以上は一緒にいられないと云うので、二人は好き同士であるにも関わらず早々に離ればなれになった。そういうわけで不本意ながらも彼女との最初で最後の思い出となった先月末のラルクアンシエルである。豪雨の中で棒立ちした二時間強は私の生命力をおおいに奪っていたようで、下痢目眩高熱嘔吐悪寒諸々考えられる熱の症状すべて押し寄せてきた。一週間、私は点滴を打つため夜な夜な病院に通い、同じベッドから天井を見つめながら目地に沿うてあみだくじをした。ある日、行き着く先を目で追ううち、空間を隔てるカーテンの向こうから、院長を取り囲むようにしてナース共がお喋りするのが聞こえてきた。私のあみだもしぜんそちらへ引き寄せられるように流れ流れて、


「○○先生も、昨日だったら見れたんですよ! 伊藤英明とか、ガッキーとか」


 そういう会話内容が耳に入ってきた。ドラマか映画のロケ地としてこの病院が使用されたらしかった。バチスタの栄光、ヘブンズなんとか等、他の作品も同様にこの病院で撮影されたのだとナースは解説しており、こんな糞田舎の病院が採用されるからには斡旋する会社なり団体なりが相当に頑張っているのだろう。私は、ちょっと話に混ざりたくて便所に行くような素振りでひょっこりと起き上がると、点滴のガラガラを片手にスリッパを履いた。ちょうど視線の先には鏡があって、そこには照明の落ちた院内に、病的なまでに白い顔に目立つ無精な髭と、縮れたもみあげを黒々とさせた、村一番の谷崎潤一郎通が映っていて、他ならぬ私だった。蛍光灯の眩さに面食らいつつカーテンを捲ると、半ば仕事も終わったような面をしたナース共が、私の顔を見て忌むべき職務に戻されたとでも云わんばかりに蠢き始めた。病気になると自虐も勝る、


「どうしましたか?」
「う、う……飲み物」
「あらあら、何を飲みますか?」
「お、お……お茶、十六茶」
「十六茶?」
「ガガガッキー」


 ほほほ、と四十路のお局風情が笑ったから、私も笑顔を返すと、若いナース共は、(患者のくせに会話盗み聞きすんなよ……)とでも云わんばかりの引きつった笑顔で、放射性物質がふんだんに盛り込まれた牧之原茶を振る舞ってくれた。おまんこ見せて下さい。



これであなたもなぞかけ名人

謎掛け公式:AとかけてBと説く、その心はC


 大して面白くもないが、巧いことを云ってはいる、と聞く人を感心させる。謎掛けとはそんな芸。最近ではこれを武器に活躍する芸人さんもいらっしゃる。彼の武器が謎掛けなのか、それとも所属する宗教団体なのか、それは心理学者が芸術作品を分析するほどに無意味な問なのでここでは割愛。今回は、謎掛けの作り方をこちらへ書かせて頂く。感性は先天的、だけれども技芸は後天的。少し要領を掴めば謎掛けは誰にでもすぐに作ることが出来る。謎掛けに積極的な人間は少数で(それは面白くないからだが)、敷居が高いと思いきや習得にかかる時間はせいぜい五分なのだからこんな楽な芸も珍しい。他人にない芸を身につけて就職活動を有利にしたいと考える学生には必読の記事である。今回は難度順に作成のための方法論を説いてある。上記の謎掛け公式A・B・Cの関係を踏まえた上で読み進めて欲しい。


・Cを決めた後、AとBを考える方法


謎掛け例:春の平安神宮とかけまして、バラエティ番組と説きます。その心は……さくらが満開でございます。(サクラ・桜)


 日本語には同じ音でも違う意味の単語が無数に存在する。上記のサクラはほんの一例で、謎掛けの基本は駄洒落を使いこなす点にある。なので、答えから作るのが一番易しい。肴・魚、目・芽、向き・無期・ムキ・剥き、のように無限にある。とにかく同音異義語を二つ揃えれば宜しい。ただし、言葉選びは慎重に。一人でブツブツ謎掛けするぶんにはどんなものを用いようとも構わないが、他者のいる場合には相手の知能にあわせた言葉を選ばねばならぬ。独りよがりの謎掛けは場の空気を凍てつかせるたいへんな人災。だから難語はなるたけ避けるべきで、


悪い謎掛け例:ジャケ買いの後悔とかけまして、真冬の登山と説きます。その心は……えしには注意しましょう。(絵師・壊死)


 これは、大人には易しいが子供には難しい。加えて、前提条件の『ジャケ買い』という言葉も、音楽や本を好きでない人には意外と知られていない。謎掛けで公園に遊ぶ小学生女子を口説きたい男性は、くれぐれもこのように独りよがってはいけない。……ヨガらせたければな!


 枝葉に逸れたので幹に戻る。たとえばあなたは今、とても謎掛けがしたい。眼前には石が転がっている。よし、この『いし』という言葉で作ってみよう。そう考えた。これが、答えありきの作り方である。そうして、石・意志・医師・縊死・遺志……。難語は避けるべきだから誰にでも分かりが良いのは『石』『意志』『医師』あたりだ、そこまで煮詰まった。とはいえ注意すべきは、石と意志で『かたい』なんてオチでは、ひねりがなさすぎる。つまり、


最も悪い謎掛け例:ベニスのドゥカーレ宮殿とかけまして、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェの哲学と説きます。その心は……どちらもかたいいしからつくられています。(石・意志)


 これに関しては前提条件二つがそもそも認知されづらいのだから話にならないのだが、たとい知っているにせよ『かたいいし』という結びでは全然相手をハッとさせないし、何より石造建築に詳しくニーチェの書物を読んでいる人には、途中段階で答えを読まれる。謎掛けに最低限必要なのは、オチを読まれない程度の意外性である。だからこの場合はせめて、


改善謎掛け例:スフィンクスとかけまして、私と説きます。その心は……今にも崩れそうないしをみんなに支えられています。(スフィンクスは日本の援助によって補修されている)


 当事者が絶望の淵に立たされていて、周囲がみんな助けてくれる。感謝の言葉を述べたいが、照れくささもある。そんな時にはこんな謎掛けで濁せば、笑いあり或いは感動ありと橋田壽賀子らしさを発露することも出来る。以上が、答えありきの作成方法。


・AとBを決めてCを導く方法


 基本は先と変わらず、とにかく異なるお題から重なる単語を見つけることが肝要である。お題の選び方は当時流行った大迷路というおもちゃのパターンよりも膨大で、言葉の数だけ存在する。ただ、注意しなければいけないのは、AとBとの意味が近いとそこから連想されるオチの単語がかぶってしまうため作成難易度が跳ね上がってしまう点。また、聞き手にしてみても思いがけない単語二つがオチで交わることに感興を覚えるのだから、片方に物質を用意したのならもう片方には観念を、という具合に同類同士を並べないことを心がけよう。


難易度の非常に高い謎掛け例:カレーとかけまして、味噌汁と説きます。その心は……れとるとかえって高くなります。(レ、とると・レトルト)


 カレーからレをとるとカー、つまり車になってしまうから高くなる。味噌汁は一人前でない限り、自分で作ったほうが安い。同じ汁物を並べてしまったがために、難易度の高さから無理矢理感の強い頭でっかちなオチになってしまう。これは作り手聞き手、双方に得がないので自信のない限りは挑むべきではない。


・他人にAとBを提案されてCを導く方法


 これは、先の二つの方法論をしっかり把握しておけば、あとは頭の回転率と詰め込まれた語彙量に問題がなければ特に新しいことを覚える必要もない。謎掛け芸の神髄は即興性にあるので、単語と単語の結びつけに要する時間を極限まで短縮するための要領つまり謎掛け用の思考回路を鍛錬の末、頭に一つ設けておけばこれであなたも宴会部長。ただ、緊張しいの人はその性質に邪魔される可能性がある。そもそも私が謎掛けというものに興味を覚えたのはつい一時間前のこと、聖教新聞を風呂場で広げるうち謎掛けのことを必然的に思い出した。そうしてその構造たるやツーバイフォー住宅よりも単純であることに気がついた。ただ元来からしてが回文やアナグラムに興味のある人種なので、完璧な素人というのでもないが、それでも私にはオヤジギャグの亜種くらいにしか思われない。聡明な人なら五分、ユーモアの苦手な人にしてもせいぜい三日間もあれば恐らくは習得できる類いの芸であることには間違いない。みんなが謎掛けで会話をすれば、ねずっちや笑点の凄みが本物であるか否か、それが肯定か否定かはさておき、分かる時が来ると思われる。


−おまけ−


・もしも期待した合コンで身も心も横柄な女性(瞳ちゃん24歳・B105W105H105)に巡り会ってしまい、皮肉を云いたくなったら……

瞳ちゃんとかけて、学校のホウキ当番と説きます。その心は……どちらもはくほうでございます。(白鵬・掃くほう)


・もしも自分が長州力で、行きつけの中華料理屋でコックを褒めたくなったら……

おいコラ、長州力とかけて、料理人と説く。その心は、タコこら、どちらも腕が命。


不定型(掛詞の部分を比喩にする場合、つまりもはや謎掛けでもなんでもない)
・もしも見積書類を添付したメールで先方の既婚美人積算部(菜穂32歳・B82W60H84・不倫願望あり)をニヤリとさせたかったら……


弊社の見積額と、菜穂さんの左手薬指と説きます。その心は……そのカルティエ三連リングを外していただけたら、ゼロを三つのせて頂いても結構ですよ……。




 もう謎掛け飽きちゃった。

便座

 洋式の便座が男性に不向きであることは周知の通りで、同棲相手がどれだけ寛大な女性であろうとも、男の小便の飛散だけは許さない。そうして近年では座って小便をする男性が増えてきた。古い人はこれを女々しいと詰るけれども、あの便座の形状から最適の姿勢を思惟すればやはり座るのが清潔である。男は直立で小便をせねばならぬという旧弊な観念は、男性に小便器と大便器の二種が用意されてきた歴史の賜物であろう。便座を選ぶ権利は男性にだけ用意されてきた。


 これには益もあれば損もあった。益でいえばライブ会場などで女性とは比較にならないほど便所の回転率が早い。かたや損……、たとえば学校では糞をする生徒とそうでない生徒が客観的に明確に区別されてしまう。黒人と白人とがレストランの入口を分けられていたように、そこには選ぶ権利よりはむしろそちらを選ばねばならぬ強制力が働く。まさか糞を小便器にするわけにはいかない。ただ、小便器に糞の盛ってある事件は全国の男子便所に定期的に発生した。これは様式にとらわれぬ猛者の所業ではあるが洋式を選べというのが掃除する人間の本音であった。


 学校の便所は音を遮断するはずの壁も薄ければ上からは覗き放題でホースの水もかけ放題、うんこ野郎と呼ばれることを恐れる小心者は人目を避けるためわざわざ体育館裏の便所に通ったりせねばならなかった。こうなると時間はとられるし簡単に糞は出来ないぞと強迫観念もついてまわる。私の青春を思い返す限り、小と大とで便座を選ぶ自由を謳歌する生徒よりは、便座に己を縛られた奴等を多く見てきた。学校の便所では絶対に糞をしてはならぬと心身律するあまり、我慢の臨界に意識が遠のき、こともあろうか教室にて脱糞などの惨劇もあった。ああいった事件を巻き起こした大半が男子生徒であったのは、女子生徒にはない大便座への畏怖を抱えていたからである。


 ところで洋式便座には蓋がついている。しかし風呂と便座の同室にあるアパート住まいでもない限り、便座の蓋ほど意義の薄いものも少なかろう。臭気を閉じ込めるための蓋、そんな作り手の着想かもしれないが、糞は出てから水没するまでの一瞬間に立派な臭を放つ。蓋を閉める頃にはとっくに便所に充満しているのである。それを殺すための芳香剤やスプレーは多く流通しているが、何故だか蓋はなくならない。ないよりはあったほうが安心できるからであろうか? UなりOなり、座る部分を粉塵から守りたいからであろうか? それとも便座の中なんぞはブラックボックスに他ならぬ、そんな部分は剥き出しにしたくない、斯様な女性的な感性が具現化されているのであろうか? おそらく全部であろう。


 であるから個人的にどうでもよくとも便座の蓋の需要は理解しているつもりではある。私としてはもっともっと胴の長い洋式便座が出て欲しい。百センチ弱の高さがあれば直立でも小便が出来ようし、何より高いところから糞を落とす格好になるのだから、引力的にも凄者の手助けとなる。現行の便座は男女兼用を考えてみればまだまだ改善の余地がある。


 


 


 

 

演繹と帰納

 これら二つの言葉の意味を混交しがちな人は、円高ドル安円安ドル高に惑い、アノミーアンチノミーに混乱し、相武紗季と安田美沙子が区別つかず、AKBが群像めいていて個人としてそれぞれを把握できない。以前の私がそうだった。しかしそんな頭の朧な人間は次代に生き残ることが出来ませんと学研のムーにあった。だからここに演繹と帰納の違いを記すので、二年後にはなるたけ皆でアセンションしましょう。


 演繹とは、


 すべての人は死ぬ
 島田紳助は人である
 ゆえに島田紳助は死ぬ

 AはBである
 CはBである
 ゆえにAはCである


 のように、確実な前提から新たな事実を導くための推論方法。数学の証明にはこの演繹的推論が用いられる。前提が確かならば結論もまた確かでなければならぬという論理。


 かたや帰納とは、


 処女春子は初体験を痛がった
 処女夏希は初体験を痛がった
 処女秋奈は初体験を痛がった
 処女冬美は初体験を痛がった
 ゆえにすべての処女は初体験を痛がる


 のように、個別事例から一般法則を導きだす論理。一般法則を採用して個別事例に適用する演繹とは逆のアプローチを採る。ですから帰納は推定事実を提出するに留まる。前述を引き合いに出せば、痛がらない処女が存在する、という可能性を残している(実際にいる)。有名なのはカラスの話で、カラスといえば黒が常識だけれども、白いカラスがいないとも限らない。この可能性、世界中のカラスを残さず調べてみないことには帰納的推論では否定できない。帰納法によって導きだされる命題の是非は多くの場合、世の中の善意に委ねられている。ですから偏屈者に対しては通用しない。


 帰納的推論は主婦・探偵の得意な芸当でもある。『個別の証拠から犯人を特定する/浮気を暴く』ための形而上学こそ帰納法。数多の証拠を積み重ねてゆくことで、推定事実を導きだす。ただ、犯行現場を直に見たわけではない以上、無実である可能性はいつまでも残り続ける。この絶無ではない無実の可能性を信じるか否かは、人次第。まこと解釈者の善意に委ねられている。


 ひとたび悪意ありきとなるや、帰納的推論の恐ろしいこと、他に類を見ぬ。短気や妄念と絡み合うことでわけのわからぬ屁理屈をひりだす。


 あなたは昨日セックスしてくれなかった
 あなたは昨日仕事で遅く帰ってきた
 あなたは昨日メールに返信しなかった
 
 あなたは浮気をしているのでしょう?


 仕事中に返信するわけにもゆかぬ妻からのメールを放置するうち忘れてしまい、終電帰りで疲れていたため帰宅するなりすぐに寝てしまった夫が、こうしてあらぬ疑いをかけられる。


 演繹でばかり話を展開する人はつまらぬだの退屈だの冷たいだの言われるが、帰納でばかり話を展開する人は、知ったかぶりだの嘘つきだの気違いだの言われる。


 使い分けましょう。


 

猫好きの語る、人慣れした猫の見分け方

 --教えて下さい。


「まず猫を飼う他人の家に伺うわけですな。そこで私を見て猫がひゅっと飛んでいったらこれはもう論外。噛み猫の可能性すらありますな。で、リビングなり応接間に通されて、そこに丸くなっている猫がいたらここからが私の遣り口なんですが、その猫を転がすわけですな」


--転がす!?


「こう、たとえば左巻きに寝ている猫があるとしましょう。私はその猫の右手右脚の下に手を突っ込んで、仰向けの姿勢にするわけです。そこで腹をむき出しにされてなお微動だにせず寝続ける猫、これは余程人に慣れていますな。或いは暫く固まった後、右に転がって再び寝に入る猫、これもまあずいぶん慣れていると云って宜しい」


--なるほど。


「近づいても起きないが、いざ転がすなり逃げ出す猫は、さほど慣れていないと見るべきでしょうな。とはいえ無論、これは私飼い主でもなければ他人ですから、猫としても驚いて然るべき事態。他人に対してどこまで肝の太いかを見分ける方法論を私はここに示しているのであって、飼い主に懐いているかどうかとはこれ、全然別の話。飼い主以外に気を許さぬ猫というのは存外に多くて、それがまた猫のたまらない魅力ですからな」


--では他人の家で寝ている猫を見つけたら、まず転がせと?


「そうです。猫を見るには転がすに限ります」


--ありがとうございました。

天国は君にやるよ

 恋する者と酒のみは地獄に行くと云う
 根も葉もない戯言にしかすぎぬ。 
 恋する者や酒のみが地獄に堕ちたら 
 天国は人影もなくさびれよう!

 おれは天国の住人なのか、それとも 
 地獄に堕ちる身なのか 
 草の上の盃と華の乙女と長琴さえあれば、
 この現物と引き替えに天国は君にやるよ 

 天国にはそんなに美しい天女がいるのか? 
 酒の泉や蜜の池があふれているというのか? 
 この世の恋と美酒を選んだわれらに、 
 天国もやっぱりそんなものにすぎないのか?      

 -オマルハイヤーム・ルバイヤートより- 


 セルジューク朝の重要人物として山川世界史教科書にも名を連ねるハイヤーム氏、さぞ高尚な詩歌を残しているものとばかり思ってルバイヤートを読んでみたところ、神よりも酒と女を重んじる幾分刹那的な男だった。私は詩というものの気持ちよさがあまりわからない詩心のない人間だけれども、このルバイヤートはずいぶん気に入った。もっと酒を好きな身であったなら、なお感銘を受けたかもしれない。 


  夜も更けた時分、或る女性から公園に呼び出された私は、適当なベンチに座ると噴水の向こうに広がる閑散とした静岡の街並とそれを申し訳程度に彩る街灯を眺めていた。闇に呑まれた地方都市の寂しさは私の心をそのまま映ずる鏡のようであった。生気を欠いた不快な湿度は外の空気か或いは心の澱みであったか。 


  出かける前にガムを噛んで清潔にした口腔も、合流する頃には缶コーヒーとキャメルの煙にすっかり衛生的ではなくなっていた。そんな次第で私は適切な距離をとりつつ最近興味のあるコルビュジエやフランクロイドライトの建築哲学について話したり訊ねたりした。相手は終止笑顔である。私はおそらく眠い顔をしていた。一刻も早く帰りたかったけれども、呼び出されたからには相応の話があるに違いない、私は待ちに待って、実に四時間もの長丁場を煙草と前屈屈伸と缶コーヒーとのローテーションで乗り切った。午前二時を回ったあたりでようやく彼女の方が本題を持ち出してきて、まってましたとばかり私は夢想転生を繰り出したが、北斗剛掌波をまともに正面から食らう形となったので、仕方なしに魔封波返しで葬った。私には勿体ない、良い娘でした。 


  もちろん彼女は欲しい、たまらなく欲しい。切れてしまった冷房リモコンの電池よりもまず先に欲しい。それ程までに目下の私は女性の肌に癒されたい。けれども、キャッシングと彼女選びは慎重に。ガールズバーで可愛い娘に唾つけて、赤ら顔で口説いて、成功したこともある、されど恋人というのは何もセックスだけが共同作業ではない。対話、対話なんです。同程度の水準で物事を語ることの能う、頼り頼られの関係を構築出来得る、そんな異性でないことには、少なくとも心の満たされた関係性を育むことはできないらしいことに気がつくまでになんと長い時間のかかったことか。 


  週末は勉学のためスタバに籠ることが多くなってきた。もし、憂いに沈んだ表情を浮かべる黒髪の美女が、一人ウメ星デンカの単行本をめくっていたら、きっと私はその人に求婚しよう。  

鉄骨ラーメン構造

 さあ私は前世こそ人であったが今では自分が何者やらわけがわからぬ。


 生まれたばかりというのに、私は今まさに、高い地点から結構の速度で落下している。意志にかかわらず?が回転を止めない。臍を軸に、実に規則的な回転を続ける。頭を下に逆立ちの姿勢で固まると、こんどは波風にさらわれ沖へ消え行く小舟の如く、右へ右へと強制的に流され始める。どこまでゆくのやら案じているとそのうち巨大な壁が見えてきた。その容赦のない壁面に全身を強く打ち付けると、横移動が終わった。
 

たちまち、経験したことのない圧倒的な速度で落下を始めた。地上に視線を落としてみれば凸凹としたビル群、しかし私の落ちる先だけがばかみたいな更地になっている。驚くべきことには、この新しい私には、ばたつかせるべき手も、もがくべき脚もそなわっていないようで、ビルとビルの狭間を滑降する最中に窓硝子に映ずる己を眺めて更に驚いたことには、  


 なんと私の正体は、実に全く、一本の、太い棒状の、鉄骨ラーメン構造の、ビルであった。


「びしっと実に魚雷の如く、正しく『きをつけ』の姿勢のまま地面に激突してね、こうたん☆」
 

 なんという新生であろう。あがきすら用意されていないのである。してみれば地面に凹凸を醸すビル共もまた、私のように生まれては死んでいった先人たちであろうか。私は、テレビ画面の向こう側に広がるゲームの世界の正体は、ただのドット絵で、そのドット絵は人間の想像力という助けを借りてはじめて意味を備える、生物としての意義を備える、そんな受動的で鏡面的な存在であるとばかり生前には思っていたのだが、いざ画面の中に生命を宿してみるとその過ちを悔いるよりはむしろ、どうしてテトリスだったのか、きゃんきゃんバニープルミエールでは何がまずかったのか? 人生の本質ではなく、形式を呪詛したまま、四列の亡骸の隙間に突貫して、もろとも消失した。  

静岡県立森林学園高校

 日本の山々を眺めてみますと、実にモコモコとブロッコリー状に好きなだけ繁茂した樹木が遠目に可愛らしいのですが、あんな畸形じみた森林は早晩にも憎しみの炎に燃やされ尽くさねばならぬ。


 戦後、我が国の森林並びに林業に対する施策は、針葉樹をとにかく植える、これに終止してきた。ところが本当に森林を育てるためには適切な管理とそれに携わる人々の貧しくならないビジョンつまり商売として成立するシステムの構築こそが必要だったわけで、そういうものを放棄した結果、聡明な人から次々に離れて林業は無能無才の行き着く経済墓場のような趣をそなえるに至った。実際、北海道の山の安さといったら駄菓子並である。


 躾の足らない人間が心を曲げるように、樹木も管理をしないではそれぞれ勝手にいびつに伸びる。グニャグニャの珍木は柱になるわけでもなし、ゴミですから、商品になりそうもないゴミを機材で伐採するなんて考えてもコストの無駄、当然放置する。こうして人手不足に放っておかれた日本の森林には斯様の如き役立たぬ樹木ばかりが大発生している。渋谷のスクランブル交差点を覆うギャルギャル男の群れよりも、日本に密生する樹木どものほうがよほどラリパッパなのであって、もちろんそれは経済本意であれらを捉えた上での見解だが、樹木たちには今一度視覚的な意味で背筋を伸ばしてもらわなければ製品価値が上がらないから困るよというのが、これまでの材木を転がす人間たちの本音であった。


 ところが、『公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律』このようなマニアックな法令が施行される(た?)。ラリパッパ森林をそろそろ片付けねばならぬという国家戦略に基づいていて、目指せ木材自給率50%を合い言葉に、ゴミみたいな木材をたくさん消費しようとお上がやっきになっているのである。これまでゴミとしていたものに国がわざわざ価値を付与しようというのだから材木を転がす人間にとっては大いに結構な話である。文字にするのも忌わしい『エコロジー』の観念から持続可能な森林運営という思想潮流が特に海外に勃興し、日本は四半世紀遅れでこれにあやかろうとしている。今後、畜産業界の地産地消と近似した発想で一定のキャンペーンをメディア経由で張るのではなかろうか。


 私としてもこの転換は今しかないと思う。日本の山を席巻する杉の木は、その多くがゴミながらも成長し、まさに利用期に達している。あれらは擬人化すれば14歳処女でもありまた、花粉という名の精子をふんだんに飛ばす筋骨隆々の青年男子でもある。放っておいても老いるばかりでろくなことがないので、花粉症の身としては是非これを気運として日本中から杉の木を殲滅してほしい。貯水、地盤、将来への投資、はたまた景観、あらゆる要素を鑑みても山に必要なのは針葉樹ではなく広葉樹である。現状日本の山は海外のそれとは違っていかほどの銭をも産まぬ実に単なる景観に堕しており、見た目ばかりを自然と賞する世論の五月蝿さからどうせ更地にする気もないのだし学問として森林学をおさめた聡明な人間たちによる計画的な森林運営を是非とも推進してほしい。大した金を捻出することもない事業には違いないが、やらないよりは良い。


(この話はデフォルメしてあります)
 

 

おそ松の……チョロ松の……

 -前章(コンクリート大回廊)のあらすじ-


 大江戸線に乗り込むべく新宿駅を地下へ地下へともぐる伸一だったが、いつもならすぐに辿り着くべき改札が、この日ばかりはずいぶん遠い。三時間を降り続けた挙句に階段は絶え、四辺をコンクリートに囲まれた小部屋に行き止まった。部屋の中心にはマンホールが一つ。『大江戸線の改札こそは一番深いところにあるのだ』この信念を少しも疑うことのなかった伸一は、これより更に下るためマンホールの蓋を開けた。暗闇に視界を奪われ梯子を掴む手にも夥しい汗、しかしながら伸一は、『大江戸線の改札こそは一番深いところにあるのだ』この信念を少しも疑うことがなかった……。


 最終章・トンネルタイム


 どこまで続くのやらも判然としない無限の縦穴を尚も下り続ける伸一の、梯子を踏んでゆく靴音のみが、音楽であった。一切の視界を奪われているせいで、伸一はもはや、本当に下っているのか、あるいは逆に上ってしまっているのではないか? 肉体への不信に取り憑かれていた。実を言えばいい加減あきらめて上がりたい気もするが、下るというあの決断を否定してしまっては、自分が自分でなくなるような気がする、恐怖に惑い邪念も理性も削ぎ落とされた伸一の頭に残ったものは、唯一不器用な精神主義だけであった。荷物が重くてかなわない、そう思って穴の底へと投げ込んだバッグは、二時間を経て未だ地面に音を立てぬ。


「いったんここまでおりてしまったらもう、半笑いで戻るわけにもいかない。きっとで、俺がこうしている間に、上の世界ではみながみな、立派な大人になってしまっているズラ……ズラ!」

 
 信念と信仰をはき違えていた伸一が、暗闇に見出した一筋の光であった。人の一生のようにも思われた長い長い盲目の旅路の果て、伸一は確かに悟りのようなものを掴んだ。遅れをとっても良いじゃないか、何を恥じらうことがあろう、ここにきてはじめて、伸一の軀が重力に抗った。


「俺みたいな人間でも人並みを目指して、何が悪いズラ……ズラ!」


 ズラ! 伸一は、上腕の筋肉がぶちぶちと裂けると共に、奈落へと消えていった。


 


 現代という時代はまこと、このようなきらいがあるよなあと、詠嘆気味に或いはれいたん気味に俯瞰している次第でありますが、日々追われる業務と頭の回転がようやく逆向きになったところで、入稿直前の原稿にかかります。

報連相! これだけはやりなさい

「何か素敵な話が聞きたいわ」 
「徹夜が続くうち目の下にクマができる。もう少し深刻になると、顔面が蒼白となる。寝ない人間はだいたい、深夜に菓子をつまむから、塩分でむくみもする。そしてそれは僕だ。小さくなった君は、膨張したこの白はんぺんの表面に降り立つ。するとどうだ、見渡す限り毛穴が広がっている。君は、この毛穴でゴルフをするんだ。ドライバーは鼻毛、睫毛がパットさ」 
「玉がないじゃない」
「玉は僕がいなくて君が流す泪一粒」
「縮尺が合ってないわ」



「甘酒って優しい味がして大好き」


 とんでもない! 鍋の中では白い濁流となって地獄のマグマみたいな渦を巻いているのだ。お前は、世のきれいな部分ばかりを汲み取っているから、人生って素晴らしいなどと恐ろしい言葉をいつでも簡単に口にするがもう34歳…。



「満員電車の空席を売る仕事をする浮浪者、というのはどうだろうね」



 一年亀山ザウルス『杉本君』

 僕たちは海で同じように泳いでいて、同じように溺れました。でも、杉本君だけが沈んでしまいました。杉本君は頭も良くてサッカーも上手で、クラスの人気者でした。杉本君の夢はお医者さんになることでした。杉本君の胸の中には、いつでも希望が詰まっていました。だから杉本君は、その重みで海底へと沈んでしまったのです。僕の胸は空っぽだから、空気がたくさん入りました。杉本君はフジツボの餌になりました。



 こうして、原稿が進まぬうち朝がきた。

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