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  • 2015.10.23 Friday
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古着からくり

「イヤー、若槻が扱ってる商品、あんまり良いものじゃないよ。ネームバリューだからしょうがないんだけどさ」


 そんなことをぼやくのは、とある古着屋の店長。若槻の古着経営が順調であるという昨今を鑑み、彼女への嫉妬もさることながら、看板一つでこうもたやすく煽動される大衆に不満を抱いているようだった。正直な意見である。


 とはいえ、ネームバリューは価値である。古着屋店主もそれを重々承知であるからこそ、参っている。『お前がそれをやったら、おれが負けるに決まっているじゃないか』のパターン。これは至る所に散見される事態で、オダギリジョーが聴いてしまうキャプテンビーフハート、峰なゆかが愛読してしまう三島由紀夫、千秋が作る子供服、言わずもがな、椎名林檎。多才な人間が物事の表層の殻を突き破って奥深くへと手を突っ込むたび、僅かばかりの自尊心を糧に細々と生きていた人々がアイデンティティを奪い取られる。不毛の人々の『勝てないけど、アイツとは土俵が違うから』などといった屁理屈みたいな理論の本質は『俺のほうが部分的には幸せだ、何故なら俺のほうが音楽のなんたるかを理解しているからな』の如き詭弁である。そこをかつてバカにしていた芸能人に、自分と同様もしくはそれ以上の才覚でもって実行されてしまったら、これは死ぬしかないのである。全面的に劣った己の人生に、今さら気がついてしまうのである。高嶋政宏が熱烈なキングクリムゾン信者であるという事実に限って誰も傷つかないのは、彼が俳優として大成功はおさめていないという、こちら側の勝手な思い込みに過ぎない。彼とて、あちら側の人である。多分。


 と、筆が逸れた。別に人間の抱えるルサンチマンについて書きたいのではない。店長の話の中で特に興味深かったのは、古着の流通経路である。てっきりアメリカあたりから買っているものとばかり思っていたが、最近はタイをはじめとする東南アジアへ買いつけに行くのが好尚であるらしい。ああいった貧国には救援物資という名目でアメリカからコンテナ単位で古着が届くらしく、そこから商品になるものをバイヤーが選り抜くのだという。あちらとしても、タイ国内で売りさばくよりは日本業者向けに販売すれば遥かに高値で売れるし、古着屋のバイヤーとしても旅費も仕入れ費用も格段に抑えられるのだから、相互利益の大アジア主義に優しい、実に有効なルートであると思った。


「ぼろ儲けなんでしょう」


 にこにこしながら褒め言葉。ところが、古着屋はこう言うのである。


「ところが最近はまずい。まず、国内での値崩れがあって昔みたいな相場はとてもつけられない。それに、仕入れ段階であちらも値段を釣り上げてきた。加えて海外との競合もある。とにかくユーロが強いよ」


 古着という一大ファッションジャンル発祥の地は日本である。九十年代半ばにかけては大古着時代とでも呼ぶべき時代があって、例えばリーバイスのジーンズ一つとっても壮絶で、赤耳、66前期、後期、XX、ペンキステッチの第二次世界大戦モデル等等、時代考証に基づくランク分けも盛んに行われ、古ければそれだけ価値があった。一本三十万とかいうジーンズも出てきたり兎に角盛り上がった時期だが、ファッションリーダーはよりによって浜田という珍事態であったのだから、それがお祭り的な狂騒であったこと、想像するに難くない。


 そしてその後、古着への価値の付与は欧米、アジアへも広がりを見せたのだ、古着屋の店長は、そんな話をしてくれた。最も裏をとっていない情報なのでどこまで本当か分からないが、8割方正しいのではないだろうか。そういえば、ロンドンのカムデンタウンには古着がギッシリで、古着は外国でも流行っているのか、そんな思いを抱いたし、そこには日本人の店員もいたのである。


 現在では救援物資を送り込んでいる当のアメリカ人業者がはるばるタイへとやってきては、そこで仕入れを行っているのだというから手際の悪さに閉口する。その他、リーバイスは高値で日本人業者が買い占めてしまうから、香港などではラングラーやリーが流行しているなどといった話も聞いた。ジーンズには、リーバイス、ラングラー、リーというヒエラルキーが仕入れ値的にあるらしい。こうした内情を聞くにつけ、流行もまたその国の経済によって規定されるのだという思いを抱かずにはいられない。日本のブランド過剰も、バブル酔狂の80年代あればこそである。金なきゃ誰も買えないわけですから。


「丸太も全く同じような状況ですよ」


 かつて丸太を海外より仕入れる業種に携わっていたおれとしてはこの、古着の盛衰に共感するところ非常に多く、流行の移ろい、ユーロの強さ、いちいちを痛感したのである。そこで、思いつくより早くそんな言葉が口からこぼれた。すると古着の旦那は、

  
「いや、丸太は知らないけどさ」


 と、淡白この上なく、共通項一切なしといった風でがぶりとビールを呑むのであった。お会計お願いします。


 領収書を切ってバーを抜けると酒場の喧噪はどこへやら、お店帰りの風俗嬢のヒールがコツコツと地面を叩く音ばかりが響いていたが、雨が強くなるとそれも聞こえなくなった。

J'ai parlé avec le français

 入稿をとっくにぶっちぎり、独り黙々と仕事をこなして時計を見れば子の刻、無理をして明日に響いてはいけない。社会人たるもの身体が資本である。何よりお酒を飲みに行きたかった。会社を出ると外は月光のさえない澱んだ闇夜、するとそこで瞬く星よりあかるい瞳をしたシャム猫と目が合った。


「にゃーごこの野郎!」


 こちらの怒声に怯んだ猫は一目散に逃げ出すと、前後不覚が祟って鼻息荒いダンプカーに原型の留まらぬほど壮絶に轢かれてみせた。運転手も気付かぬまま車輪に巻き込まれた猫はその躯一切を残すことなく、忽ちこの世から消滅した。わずかばかりの体毛が、欺瞞に満ちた夜風の間で申し訳程度に舞ってみせた。


 というのは全部嘘である。


 馴染みの酒場へ行くと、沈鬱な表情で酒に溺れる常連のU子が目に入った。


「最近どうですか、仕事とか」


「ふん」


 なんだおい、細雪の雪子みたいなこと言う奴だな、思ったところ、新たな女性常連客P子がやってきた。するとU子はP子に向かって、


「もうね、仕事どうですかとか言われるの本当辛いのよね。その人のことムカつくとかってんじゃないけど、勘弁してって思う。どうせダメ人間くらいにしか思われてないんでしょ、私」


 と放言するや、ふてくされてしまったのである。ヒステリックな愚痴を間接的にこちらへ聞かせてくれてありがとう。闇より黒い言動に少なからず動揺していると、今度はそこへフランス人男性が、ジョージハリスンの『Here comes the sun』を美声で歌いながらやってきた。意図せずして絶妙の選曲をとる洒落っ気に、スノッブとエスプリ入り交じる香ばしいフランスを見せつけられた。彼女に光明あれ。ところでフランス人は酩酊で、席につくや女性の乳の話を始めた。


「ドンキホーテに、Fカップになるというクッキーが売っていた。私はそれがたいへん心配だ」


 そうですか、まあインチキでしょうな。男が食べたらどうなるんでしょうな、聞いてみたところ、


「男が食べたら金玉こんなに大きくなっちゃうよ! タヌキ!」


 そう言って金玉の皮を広げて空を飛ぶ真似をするのである。豪気だがしかし、思い描くフランスジョークの最果て、かぎりなく団塊なブルーアイでもある。とはいうもの、狸=金玉というきわめて日本的な概念を知る貪欲な彼にの姿勢には非常な好感を抱いた。それ故に不毛なユーモアセンスをも、身につけてしまったのかもしれないが。影響というのは、いつだって善悪両方向に伸びるものである。


 その後も彼の独壇場は続き、パンケーキヌンチャクとか言って巨乳をヌンチャクに仕立ててみたりと、虚飾の盛り上がりに沸く反面、稚拙である。良く言えばパーティロック、悪く言えばイナゴライダー、というわけで明日も早いのだしと店を出て今に至る。


 
 

最終戦争論・戦争史大観

 昨日、夜もとばり、フランス人女性がこんなことを仰った。


「日本はヘンですね、国家のなんちゃらとか、日本人のなんちゃらとか、そんな本ばかりが売ってありますね、そんなに民族とかを強調している国はちょっと珍しいですね」


 たしかにここ数年というもの、殊に日本かくあるべし、を強調する書物が増えている。正しく言えば、メディアの寵愛を受けているせいで注目されやすい傾向が目立っている。ところで己の優越性を誇示するには二つのやり方があって、一つは斯様な自画自賛の演出、もう一つは、他者を貶めることによる己の価値の相対的上昇である。好例として、鯨を喰らう日本人を罵倒しては自らの崇高な精神を愛でる諸外国のやり口などが挙げられる。


 ファミコン世代としては鯨食になじみも薄ければ、それを指して日本人特有のアイデンティティであると諸外国に叫ぶことの意義も理解しないのだが、これもグローバリズムの害悪かと思うと、反骨心ひとひら握りしめ、立ち向かいたくなる気持ち、分からないでもない。しかしそうやって伝統云々を引き合いにピュアなマイノリティの権利を主張するのなら、アイヌ民族に対して加害者となっているマジョリティとしての自己など、鯨よりも考えねばならぬことがあるはずである。アイヌ民族は、同じ人間ですから。大なる矛盾あるうち、説得力は乏しい。それよりむしろ、日本の文化だからという前置きを外してしまって、肉は食肉、鯨油は燃料、腱は繊維、良質な海洋資源なんですと宣言したほうが、エコの時流に沿っている。みんな大好きじゃないですか、エコ。イルカやクジラがエコと近しいイメージに置かれているのは、謎である。


 ところで、アイデンティティを殊更に強調する本が溢れているという話。そこで、石原莞爾を調べてみたわけである。関東軍作戦参謀、本来のルビは「いしわらかんじ」だが、アップル社は米帝発なので、よく誤解されがちな「いしはらかんじ」でないと、正しい漢字が表記されないようだ。こうして日本国民は偽史を植え付けられるわけだが。


 彼の著作「最終戦争論・戦争史大観」は、青空文庫で目下ダウンロード配信中である。太平洋戦争に突入した原因を「軍部の暴走」ただこの一言で片付ける現代にあって、その暴走がいかほどのものであったか、教えてくれる人は少ないし、戦争に言及する数多の賢人たちにあっては、戦後左翼主義の洗礼を浴びた人間が多く、フェアではない。原文ママで、自ら確認することが肝要であろう。そう思い立つや、会社のA3用紙33枚を頂戴し、印刷、紙面に水性ペンさらさら滑らせページ番号記入、ホチキスで止めた。以下、興味深い箇所を引用。


「…この次の、すごい決戦戦争で、人類はもうとても戦争をやることはできないということになる…世界の一地方を根拠とする武力が、全世界の至るところに対し迅速にその威力を発揮し、抵抗するものを屈服し得るようになれば、世界は自然に統一することとなります」


「今日のように陸海空などが存在しているあいだは、最後の決戦戦争にはならないのです。それ動員だ、輸送だなどと間ぬるいことではダメであります…一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行われる時が、人類最後の一大決勝戦の時であります…破壊の兵器も今度の欧州大戦で使っているようなものでは、まだ問題になりません。もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねばなりません」


 恣意的に抜き出せば、ご覧の通り、石原莞爾は大予言者である。武力によって世界を手中のところとするアメリカと、一撃多殺の原子爆弾とをずいぶん早い段階で予期している。白眉である。更に、最終戦争を行い得る4つの勢力を分析する(そして、日米がその行い手であるだろう、という考えを表明するに至る)。


ソ連「ソ連は非常に勉強して、自由主義から統制主義に飛躍する時代に、率先して幾多の犠牲を払い幾百万の血を流して、今でも国民に驚くべき大犠牲を強制しつつ、スターリンは全力を尽くしておりますけれども、どうもこれは瀬戸物のようではないか。堅いけれども落とすと割れそうだ。スターリンに、もしものことがあるならば、内部から崩壊してしまうのではなかろうか。非常にお気の毒ではありますけれども」


ヨーロッパ「ヨーロッパの組はドイツ、イギリス、フランスなど、みな相当のものです。とにかく偉い民族の集まりです。しかし偉くても場所が悪い。確かに偉いけれどもそれが隣り合わせている。いくら運命協同体を作ろう、自由主義連合体を作ろうと言ったところで、考えはよろしいが、どうも喧嘩はヨーロッパが本家本元であります。その本能が何と言っても承知しない。なぐり合いを始める…ヒットラー統率の下に有史以来未曾有の大活躍をしている友邦ドイツに対しては、誠に失礼な言い方と思いますが、何となくこのように考えられます」


東亜「ぐうたらのような東亜のわれわれ」


米州(アメリカ)「成金のようでキザだけれども若々しい米州」


 ついでにこんな一文も。


「日本の(これまでの)戦争は主として国内の戦争であり、民族戦争の如き深刻さを欠いていた。殊に平和的な民族性が大きな作用をして、敵の食糧難に同情して塩を贈った武将の心事となり、更に戦の間に和歌のやりとりをしたり、あるいは那須の与一の扇の的となった。こうなると戦やらスポーツやら見境いがつかないくらいである。武器がすばらしい芸術品となったことなどにも日本武力の特質が現われている」


 というわけで、いや、俊英と呼ばれただけあって、粋な文章を書く。最終戦争論などと銘打ってあるものだから、仰々しい檄文めいたものかと思ったらば意外、エッセイよろしくといった文体で、様々が語られていた。もちろん内容は太平洋戦争へと大衆をいざなうもので、八紘一宇の云々に始まり、戦争には老若男女、山川草木、豚や鶏までが参加することになる、など、予言書にしては微細に穿っているものだから恐ろしい限りである。実際その通りになったわけですし。


 しかし、軍部の恐ろしい心情を表明するにしては足取り軽やかでございます。戦争に遠足の気分を抱いた児童の気持ち、分からないでもない。勉学に秀でて主席ながら、冬でも半袖など服装の汚いことを理由に次席させられるなど破天荒な様子からして、この人は平和な時代に生まれていたらば軍部で辣腕を発揮した才能をきっと他にもまわすことが出来ただろう。この類いの文書は「我が闘争」や「二十世紀の神話」をはじめ、退屈比類ないのが常である。発狂に至った海軍秋山然り、あの時代の軍人には並の才能を外れた人間が沢山いたのだが、みんな死んだ。


 プロパガンダには、注意しよう。

 


 

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