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  • 2015.10.23 Friday
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たとえばカバキコマチグモのように

 カバキコマチグモの雌は、巣の中でおよそ百の卵を産む。そうして、膨大な子グモを育てるため自らを餌にする。子グモが一度目の脱皮を終え心身に外界へ出る境地に達する頃には、母グモは外皮のみを残すばかりとなっている。周囲には母の肉を原料とする子蜘蛛の糞が散らばる。脛かじりどころの話ではない。生物多しといえども産まれて直後に母殺し母食いの原罪を背負う悲劇的な種は少なくもないが多くはない。種の保存を自明とする生物は、自らの運命を疑うことすら知らぬ。食われたくないからと巣を破って逃げ出す母グモはおらず、母を食うのは気が引けると生まれながらにして悟りを開く仏じみた子グモもおらぬ。畜生の畜生たる所以である。


 翻って目下のところ人類は、種の保存という最重要であらねばらならぬ本能すら喪失しつつある。私などかなりこれを軽んじている。というのは人間のみが供えるこの意識というものは、絶えずあらゆるを疑う。どんどん疑ううち、己をも疑う。じき、存在の根拠がなくなる。他者との断絶を自明として受け容れるうち、歴史の中の自己という認識が希薄となり、遺伝子を残すことに執心せず、生き方そのものが自己完結的になる。結句、自分が楽しければそれで良い。そのように知能の高さゆえ滅びざるを得ないというのがSF作家の論法である。それでも生きていこうやと人間を支えるのは理性の学問『哲学』の役目だったが最近あまり活躍していない。思想が死ねば思想に基づいていた人間もろとも死ぬ。思想に基づいていない人間は思想に基づかぬゆえ生き延びる。あまり子の後先を考えていない人ほど子だくさんになりがちなのは後者のような人の多いためであるとは思う。比較的畜生に近い。同時に、疑うばかりで解決を用意せず、子を育てぬ自由などとおかしなことを云うのも理性の賜物っぽくみせた理性の放棄、人類に産まれた者として負わねばならぬ義務の放棄に他ならないので、やはり畜生に近い。つまり私は畜生である。


 人間を生物として捉えれば、子供がいる人が絶対に正しい。聡明な意思に基づいて、肯定的に子育てが出来るのならば、それがいちばん偉いのである。子を食わすに足る立派な職業に就いて、日々の労働に勤しみつつ、余暇には妻なり夫なりと苦楽を分かち合う、まことに美しい人生というほかない。けれども、そのような偉い両親から『適切に輩出された子ども』と、ろくな人生設計もないままにうっかり中出しで『不適切に排泄された子ども』では、そもそも質が違う。産まれてしまえば平等だから、確率的には後者から偉人奇人も当然誕生はするだろうが、だいたいが前者に劣る。そもそも、この世の優劣の基準は前者によって規定されている。世を取り仕切るには非常にしばしば、計画的に生産された子供たちにのみ刻まれがちな優秀な遺伝子と、成功への筋道を築いた実績を持つ両親の傍で育つという他ではまこと得難い経験が必要とされる。計画の出来る人間とそうでない人間とを分つ資質、この差はたかが一生では到底埋め難い。近年では永久恋愛と書いて『えくれあ』の如き名付けがちらほら聞かれるが、いかにも感性のなせる業だと思う。それというのはつまり、親に知性が欠落しているため感性に委ねるほかなかったということだ。知性に基づかぬ感性にろくなものはない。


 チョムスキーの生成文法説がどのような評価を受けているのか私はよく知らないが、少なくとも人間は後天的に、自らの体験によって多くを習得する。一方、蜘蛛は教わるでもなく糸を吐き、子馬は羊膜を破るなりまるで頼りない脚を何故だか信頼して、よろよろと立ち上がる。このあたりを考えてみれば親が動物的に本能の赴くまま子供を産んだとて、育て方までが動物的であったならば、自他をしっかり認識して然るべきを反面教師と捉えつつあらゆるを糧としながら成長しないことには子供は物事を覚えられず道理に暗く育つ。子供が自己責任的に自己を形成せねばならぬというのはあまりに酷というものだ。


 ところで、カバキコマチグモは漢字では樺黄小町蜘蛛と書く。樺の木肌は濃い桃色に近く、それに黄色の混じったすなわち橙色の胴体が小野小町のように美しいからというのが語源だそうである。カタカナにすることでわざわざ意味の通らない日本語にしてしまう悪癖はどうにかならないものかと、そんな調子を文字に刻んでおくつもりが、いきおい逸れた。冒頭の語句を誤ると文章が意図から大幅にずれる。

 


 


 

あすなろ味噌

「明日は檜になろう!」


 あすなろという言葉の大和らしい柔らかな響きに、藤井フミヤの歌声が遠く聞こえて九十年代。不況不況と云いつつも、一般中学生がエアーマックスを買うだけの購買力が、あの頃の日本にはまだあった。私は木材を触っているのであすなろがヒバという檜(ヒノキ)科の材であることを知っている。属する業種によって頭に詰まる知識は千差万別、そうしていかなるプログラミング言語も解さない大人に育ったが、願わくば後者になりたかった。


 私はあすなろを、ヒバを許さない。ヒバがあすなろと呼ばれる説の中には、『あす(はひのきに)なろ(う)』などというものがあって、これはいかにも情けない話であり、ヒバのおかま根性をよく表している。ヒバには、ヒノキチオールという成分が極めて豊富に含まれていて、その量はヒノキ以上である。ヒノキチオールさえふんだんならばヒノキになれる……、ヒノキらしくあろうと努めるあまり、本家以上にヒノキらしくなってしまった。これは、いい女になりたいのに、ちんぽぶら下がる胸毛まみれの怪男児として生まれてしまったおかまの悩みとそれのもたらす結果に等しい。職業おかまは、女以上に女らしくありたくて、女の腐ったような部分ばかりを取り込んで、挙句、ぜんぜん男にしか見えないのだが、とりとめもなくうるせえところと独我的なナルシシズムは女以上という屑と化す。女を女たらしめているのは永劫おかまの獲得できぬ天賦、つまり出産可能な私という少なくとも男が夢にも考えない一つの性質による。たとえ不妊体質であれ「女なんだから普通は産めるはずなのに」という前提からその悩みが出発しているだけ、産めるはずのない男とは悩みの質が根本的に違う。ヒバもおかま芸人も、己の限界を見知らねばならぬ。
 

 昨日、私は味噌のふんだんに詰まった北海道の蟹を喰った。隣で蟹を吸う人間が私に云う。


「みろ、えらい味噌の量だ。お前よりも賢い蟹だわな、ガハハ」


 私は手近に飾ってあった水牛の角で殴打したい気持ちをようよう堪えて、


「蟹味噌は脳味噌じゃないですよ、脊椎動物でいうところの肝臓と膵臓ですよ、これを脳味噌とか云っちゃうんですか、へぇ、貴方はそういう人か」


 テーブルの下でwikipediaのカニミソ頁をちらちらと見ながら、威張った。端折るが、蟹味噌もおかま芸人みたいなものだ。是非行間を読み取って欲しい。
 

やっと焼きですもん

 豪勢な料理に誘われたところ、人数が多すぎた。一般人を指して「ははあ、さては民間ですか」と高慢たれそうな方々がずらりと揃っていて、つんと漂う上流の空気に息が詰まる。俄然、周囲に敵意が兆した。


「ねえ、ねえ」


 振り向くとそこには静岡でいちばん美しい中学時代の初恋女性がいて、招待されたらしい。好物のワインを他人のぶんまで飲んでいた。彼女は良い人。ところで、静岡の狭さを推し量るにあたって、彼女はひとつの指標となっている。知り合った人間としばらく話をしていると、「えっ、●●と同級生なの?」こうやって、どうしてか繋がってしまう。人脈はクモの巣状に張り巡らされていて、それはだいたいお洒落らしい人間に集中しているのだが、何にせよ一人の人間がこれだけ認知されているというのは善し悪しを別としても静岡の匿名性のなさを示している。


 人口の少ない地方では一人あたりの役割が実に重くなりやすい。それは私に、社会人であり音楽好きであり博識であり手先が器用であり絵心がありライターであり大卒であり二十代であり美術好きでありギター弾きであり受け身であり能動的であり変人であり真面目であり……と、場面に応じて都度、過剰な多面性を要求してくる。そんなんじゃねえ。都会にいれば各分野でよほど私よりも凄い人が焼き鳥屋にも転がっているところが、静岡では、なかなか人がいないのでしょう。居心地の悪さはここにある。そういう評価が、恥ずかしくも哀れ過ぎて。


 たまに何かを懸命に語ろうとすれば、枕も終えないうちに「おめえ、マニアックだな」糞のような反応に虚しく消費される。それで一体、こちらの何を汲んでいるのだろう。つるつるとね、上辺を滑って前に進まないアイスクライマーめいた会話は職場が限界、身銭を切る場面ならばデリヘル嬢相手にだってしたくない。けれども、そんな日々ばかりが過ぎてゆくと、知らず色々が矯正されて、静岡的に面白い程度の鋳型に収まってしまう。恐ろしいですね、学校世界への退化だ。しかしそういう恐ろしさの片鱗をさっきの晩餐で味わった。ばばあに感心される程度の知識披露、初対面のおっさんを笑かす程度の、冗談。あの人たちにとってあれが私であり、あれを私と認識するあれらの人たちは、他の人に対してあれはああいう人だからと喧伝する。そこで私はああいう人という役柄を演じ切ることで、ああいう人としての質量を少しずつ増やしてゆく。


 都会の一票は田舎のそれと比べて軽いと云う人があるが、都会と田舎は世界が根本的に異なるので、都合の良い時ばかり田舎を羨ましがってはいけない。田舎における一票の重みの内実とは、未来を見つめれば墓守、見上げれば思春期時分にも眺めた退屈な空、逃げられない、変わらない、鉛のように鈍重な思考は灰色に、そうして軋む心、閉塞感。本当に重いのである。私は、仲間のほか不可視の都内へ戻りたくて悶絶している。へんに求められない都内の心安さが恋しい。自分の変わりは見るからに沢山いた。楽しい人生を求めて何が悪いのか、素朴な疑問を解決するに足る何物もここにはない。何よりあちらでやり残したことがまだある。だが出られない。


「いよいよ出られないというならば、俺にも相当な考えがあるんだ」


 ない。山椒魚というより心情は蛙に近く、作品と異なるのは死ぬ間際に臭い呪詛を吐きそうな点。痔が酷くなってきた。静岡の水道水にはしっかり殺菌するだけのカルキが足りない。肛門すら都内を欲している。


便所の星

 洋の東西を問わず甲冑は頼もしい。全身を覆ってしまえば怖くないとは安易な発想だけれども、その愚直さゆえ甲冑はああまで徹底的に肉体を保護する。


 私は仕事の間中、甲冑を着込みたい。それは別にうっかり角棒で頭を強打した先日からの反省ではなくて、心に甲冑を着込みたい。一語に尽くせば肌が合わない。合わせようにも合わせられない。適応能力の限界である。とはいえ七年前から知っていた。


 どちらが善悪だとかそういう話ではなくて、世の中にこれだけ多くの職種が有象無象としているのはやはり適材適所の真理があるからだろう。口に出しては言わないが、みなもきっと何かしら私に対して違和感を覚えている。どうして私はこの人たちと一緒にこれをやっているのだろうと、私が放心するよりも、どうしてこいつは俺たちとこれをやっているのだと、周囲こそが明らかに鋳型の異なる私をまじまじと眺めてそのたびムシャクシャしている。私が逆の立場なら、あいつはクビにしたほうがいいんじゃないかと進言するほど今の私はたいしたことをやっていない。温度の低いルーティンワークに本気を忘れてしまった惰性の日々、されど時間は忙殺されてしかもミスは無限に募っているのだから本格的に使えない。或る実力派服飾デザイナーが言った。


「車の免許を取りに行ったら、あまりの下手糞さにこれまで育んできた自信を失った。私のやってきたことは何だったの。態度悪辣なヤンキー共はどんどん上達するのに、私だけがいつまでも下手で」


 彼女の本領と運転技術の稚拙は無関係、それによって生じる株の上下も本来はあったものではない。ところが、たったそれだけでも精神的な挫折というのは大いに発生するのである。そうとすれば役に立たない領域が免許のような余技にはあらで、人生の主戦場たる労働環境に符合してしまった私が、いきおい地場のプロレス団体に所属しても、やむなしの思いでどうか責めないでほしい。


与謝野さん!

 これは父親のものだと思うが、私の本棚に『民主党が日本経済を破壊する』という一冊の退屈な本があって、分厚いベルばらに押し潰されてぐしゃぐしゃになっている。与謝野氏の著作だが、病床に伏せながらテレビを見ていると、なんと入閣だという。

 
 無念なるかな燃ゆる血の 価少なき世の末や (人を恋うる歌)


 鉄幹が嘆き、


 この世ひとりの君ならで ああまた誰をたのむべき (君死にたまふことなかれ)


 昌子が哭く。人生佳境、それでも血潮にたぎる我々こそが青春だ云々と、結党時にはずいぶん調子良く大衆に高説宣っていたと記憶するが、ドズルがビグザムに乗ってそのまま連邦へ寝返る程の裏切りを見た。


 その後はじめてニコ生を体験してみた。JKタグであさるうち、せんべいを食いながらきわめてどうでもいい話をだらだらと流す女子高生の主の放送にあたって、十分ほど付き合った。終わる頃には百人ちょっと集まっていたようで、やれかわいいだのやれモテるでしょだのとやたら褒める男もちらほら、とはいえ主は顔を出していないのであって、服装から想像力たくましく美顔を連想している。目を覆いたくなるほどの不毛がそこにはあった。が、アマチュアの才能がひしめいているとも聞くし、発掘すれば面白い人は多そうだ。金脈を当てるところからがニコ生の面白味なのだろう。


 画太郎先生がドストエフスキーの罪と罰を描く。今年一つ目の楽しみ。
 
 

或る按摩との淫猥な問答

於:密室

聞手:猫木二十代男

語部:按摩六十代男

 


 猫木、按摩を受けながら種々雑多の話をするうち下ネタへ突入することに成功。


――大人のパーティーというものがありまして、あれは行った人の話を聞くと三十路から五十路の女性複数を相手に四時間四発の苦行だそうで

「へえ、しかしその年代といいますのは女性の最も盛んな年代でございます」

――経験ありますか

「いえね、こういう仕事をしていますとね、求められることがあるんですよ……」

――どう求められますか

「リンパマッサージ、オイルマッサージ、これらはね、所謂暗黙の了解なんですよ」

――暗黙の了解!?

「はい、特にリンパなんてのはデリケートな部分でございましょう。密室に男女が二人、その言葉がかかれば暗黙裡に指を、というわけで……」

――いや僕はそんな暗黙の了解があるなんてことは知りませんでした。求められて、それで、やっちまうんですか

「いやあ、私どもはそういう誘いを受けないようなマニュアルというかね、そういうものがありますから」

――しかしあなた、男性自身はオートマチックでございましょうが

「はあ、うまいことを言うもので。しかしいちばんまずいのは、我々から提案することですね、これは本当にまずい」

――まずいも何も、それを口に出した時点で犯罪でしょう。なんといっても相手はあなた、按摩を受けているのだから無防備この上ない。そこへきてそんなことを提案されたら、よほど恐ろしいんじゃあないですかきっと

「いやね、雰囲気というものが、ありますからね……」

――雰囲気って何ですか

「やっぱりそこは男女だから、真面目に按摩やってるつもりが変な空気にもなりましょう」

――確かに、指先の力加減が仕事なのですからいかにもいやらしくはありますが

「そうです。密着しているわけですからね。たかが按摩とはいえ、不妊を治すことだってあるのですから……」

――不妊治療!? 按摩でですか!? それは特別な何か性的な実践があるのですか

「いえいえ、全身の骨肉を解し、矯正することで万全の肉体をこしらえれば、西洋医学では五百万かかるところを数万円で治癒できる、なんてケースはありますからね……。現に私は五人の婦人の不妊を……」

――そいつは聞くにつけても卑猥この上ないのですが、やはりやっちまうのですか

「いえいえ、何も私まずいことはしておりません」

――しかし、不妊治療となれば、相手もばばあではございますまい

「二十代、三十代ですなあ」

――いつやりますか

「いつ?」

――時間帯ですよ

「昼間ですよねえ」

――旦那は留守ですか

「そうで御座います」

――密室で人妻の柔肌に手をかけるわけですか

「まあ、そうで御座います」

――服装は乱れていますか

「全裸になれとは言いませんが、すくなくとも外にいるよりは薄手の格好になってもらわないと、按摩はできませんからなあ」

――服装は乱れていますか

「ですから、シャツに半ズボンのような具合ですなあ」

――服装は乱れてゆきますか

「いえいえ」

――しかし尻の頬を絶妙の指で揉まれたら、いきおい変な声を出す女性もおりましょう

「ええ、います」

――そんな仕事ってあるか! 

「いえいえ、ですから別に変なことをするつもりではございませんで……」

――そうですか。しかし奇妙だ。と言いますのはね、私は男、貴方は爺さんだ。ところがね、やはりもし自分が女であったとして、密室でこのように全身を執拗にそうして絶妙に揉みしだかれたら、おそらく、焦らしていないで穴に指を突っ込めよと思うと思うんだ

「はあ」

――常人にはない指遣いを極めているところの按摩さん、そんな人に身体を委ねてですよ、肝心の部分を揉んでもらわないのはね、非常な消化不良の気がする

「はあ」

――そりゃあね、按摩が欲情するのは駄目ですよ、しかしながらね、女性から求められたらきっとやっちまうんでしょう、そうして旦那よりも凄いって言わすのでしょう……おいおいそんな仕事ってあるか!

「いえいえですから別に変なことをするつもりではございませんで……」



 以下、猫木激怒の無限ループ。しかしながら私は確信する。この按摩は、昼下がりの人妻たちを背徳の炎で火照らせているであろうことを。ロリコンは教師に、人妻食いは按摩になるのが快楽主義的人生を送る最短路であろう。


水嶋ヒロは日本文学史に煌めく星

 ポプラ社の文芸賞に水嶋ヒロが選ばれたようで、世間では出来レースとの声が嫉妬と嘲笑交じりに叫ばれている。受賞した人間をよくよく調べてみたら吃驚、水嶋ヒロだった! と謳われているからには高橋英樹の娘同様、コネではないということだ、コネだが。


 彼は芸能活動を辞め、文筆家を目指すのようなことを放言していたように思うが、転向した矢先から早速これではその文才たるや芥川・三島の再来であると期待せざるを得ない。何せ賞金は二千万、賞の設立された第一回目を除けば長らく大賞不在を続けてきた、あの、謎の、ポプラ社小説大賞である。試みに小説を一本書いて即座に二千万の賞を獲るとは極彩色に煌めく鬼の才能の持ち主、ラディゲに劣らぬ天才、そんな人間がたださえ文藝不毛の平成にあって生存していて、それも迸る能力をひた隠し在野に埋もれ続け、いざ正体を明かしてみればなんと水嶋ヒロだった、なんて、私は夢想だにしなかった。彼の話芸には善人の雰囲気こそ漂ってはいるが、秀逸な比喩で現実の様相を一変させるような詩的言語感覚も、凡人をして驚嘆せしめるような論の緻密さも覚えたことがない。本人が書いていないか、もしくは賞のハードルを彼に対してだけ極限に下げたか、のどちらかである。それというのも、↓


 処女作が二千万の価値を有する作家の出現、これは我が国の近現代文学史を百年以上遡っても比肩する例を他に持たぬ未曽有の歴史的大事件で、谷崎の『刺青』、芥川の『老年』、三島の『花ざかりの森』、その名を容易く語るも畏い大作家達ですら、ここにあげたものでは刺青を除けばお世辞にも激賞を受けたとは言い難く、況や二千万円。紙幣に作家の顔を載せるを今後も好尚とするのなら、水嶋ヒロは漱石に次ぐ千円札候補筆頭、世間はもっとこれについて賑わわねばならないし、八百長を糾弾せねばならない。今回の受賞は、文藝という分野への冒涜であり、ゆきすぎた商業主義の犯した大罪にほかならぬ。もし三島由紀夫が存命ならば日本刀を持って殴り込みをかけるも、美輪以来久しく台頭しなかった男娼的美貌を宿する水嶋ヒロにエレクティオたまらず枯れた文才に最期の炎を灯したかもしれぬところの、つまるところ世紀の大茶番である。


 ↑というわけで、たいへん腐臭の漂う有様となっている。ところで芸能人の出版する小説には、ゴーストライターの噂が絶えない。妬みの生んだ都市伝説くらいにしか捉えていない人々もおられるが、勿論ゴーストライターは存在する。物語を演じる者と、物語を紡ぐ者、両者を同時にこなそうとするとよほどの才能がない限りはシュワルツネッガーやスタローンを見ればその結末察するに易く、あまり面白くならないので知名度を利用するほかない。ですから、看板を貸してプロの売文家に投げるわけである。ざっくりとした主題と載せて欲しい単語さえ与えられれば、プロットの練り直しから校正まで、実に要望通りの文章を、あげてくる。売文家とは文字の調理人であり、彼らにかかればどんな食材でもとりあえずは口に合わせてくる。不味くさえなければ、あとは知名度が助けてくれる。「俳優なのに文章も上手で凄いねえ」平等とは言い難い視点から、文学を嗜まぬ人間によって評価される。誰が買おうとも一冊の重みに違いはない。


 役者の仕事は文字を紡ぐことではなく、声に出し動作に表すことで文字に生命を吹き込むことである。この役割の違いは、たとえば或る作品を眺めるにしても作家と演者には視座を大きく異とすることを強いる。ゆえに、自伝でもない限りは文章の捉え方の作家的でない役者達に読み手を唸らせる技量などあるはずがない。なるほど自伝も広義においては自然主義文学に収斂されようが、AV女優が阿鼻叫喚の茨道を歩むうち気づけばカメラの前で裸になっていたのような物語は、それが芸術なのかと問われれば私は甚だ疑問で、作家の素顔を覗きたいなどといったゴシップ的関心に基く私小説的作品は、選ばれた人間達がその他の人々を扇動していた往時ならいざ知らず、汎ネット時代にあっては珍しくもなければ不変性も持ち得ない。極上の自分語りとて、2スレも消費すれば飽きられる時代である。


 そんなことは発信者側も十全に理解しているからこそ有名人に創作物語を執筆させるなどという壮大にして軽薄な八百長を仕掛けてくるのだろうが、私は斯様な売名的マッチポンプ産業に携わる人間には潔く死んでもらいたい。文学をつまらなくしているのは、文学を工業製品同様に扱おうとする鈍感な人間達にほかならぬ。同時に、水嶋ヒロには恥という概念を覚えてもらいたい。怪しい人間関係によって彼の一瞬にしてのぼりつめたその地位は、純粋に実績として捉えてみれば太宰川端鴎外紅葉露伴独歩に春樹公房等等を、軽く超越してしまった空前絶後の高みであることを実感していただきたい。私なら迂闊にもそんな中に身を投げ入れてしまったことを恥辱の極みとして発売前に焚書を申し出る。





 

秋の空に花粉が舞って女心もむず痒い

 倦怠感と耳鳴り更には鼻づまり、これら諸症状から察するに早くも杉の花粉が飛散しているようで、花粉の害が秋にも及ぶとなると私の好きな季節は一年を通してただ、冬のみとなる。いっそこれなら北海道へでも住んでしまいたい。あちらには杉の人工林が少なく、かつて好んで植えられたのは松である。白樺の花粉が脅威とはなっているが、それでも被害は本州に比して格段に少なく、同じ樹木にしても擬人化すれば白樺のほうが美人の気がする。杉は安価な針葉樹、白樺は高価な広葉樹。その差は金にして五倍十倍、生命に貴賤あり。


 あらゆる花粉が木の精子であることには相違なく、そうなると白樺はいま流行りの『ふたなり』、白樺には萌える部分もあろうが、杉には燃えてほしい。そもそもこんなものを吸い込むたび身体が反応してしまうのは考えても淫らな話、公害認定は難しいにしても国民の生産性を高めるためには一定の医療補助があっても良い。鼻を拭うにも手一杯なのに、知らぬところで奨励された杉の人工林乱造計画なる国の失策の、尻拭いまでをさせられるのはどうかと思われる。無用の杉は早急(さっきゅう)に間引いて欲しい。山林管理に予算を回せば花粉症も軽減し、田舎地帯に職も発生する。私の住む静岡や隣接する山梨なんぞは抜群に杉が密生していて、無駄にもっさりしているし、燃えねえかしら。単一樹種からなる下層植生の少ない杉の森は見た目ばかりが優しくてその実、野生動物の餌も育たぬ通称『緑の砂漠』、食物求めて下野する獣の獰猛たるを憂えるくらいなら、一旦ぜんぶ燃えたほうがむしろ土地は肥沃に生まれ変わり人と動物との共生も易しくなる。


 ああ、跡形もなく燃えねえかしら。(都内在住・三十歳OL)

聞いて楽しむ日本の名作の惨さ/衝動買い

 先月あたり、静岡では新聞からコマーシャルに至るまで猛烈なるいきおいで『聞いて楽しむ日本の名作』なる商品が宣伝されていた。CD16枚にも及ぶ内容はといえば、或いは芥川の羅生門、或いは樋口一葉のたけくらべ、或いは中島敦の李陵といった具合にどの収録作品をあたってみてもまごうことなき名作ばかりで、私の懇意にしている谷崎にしても細雪と春琴抄とが収録されていた。収録作品は既読作品のみであったが、車移動の多い生活をしている私にしてみればFMでハングル講座やポルトガル語講座を聞いているだかいないだか漠然としているよりは美文を耳から浴びれば多少の勉強にもなるであろうと購買意欲をおおいに駆られたところが、怪しいことには漱石の我輩は猫である一作をとってみてもよほど早口で突っ走らない限りは到底CD1枚に収まるものとは思われない。よくよく広告内容を精査してみると、あらすじとあった。猫の糞紙に使った。


 後日、私が帰宅すると居間の卓上には無性に開けたくなる大きさの段ボールが置いてあって、果たして中身は先述のCD群であった。しきりに欲しそうな顔をする祖母を思って父が買ってやったようで、偉い! 私はそれを誰に断るでもなく勝手に拝借して自室へ籠りMacBookに落とすと、iPhoneに詰めて翌朝、意気揚々と会社へ車を走らせた。なんぼあらすじとはいっても作風を破壊するような改悪はないであろう、制作者の文学愛を信じた。


 シガーライターからiPhoneをつなぎ、まずは春琴抄を流した。『本当の名前はもずやこと』なるあり得ない糞文を聞くなり中断、谷崎は斯様な稚拙な言葉選びをする人間ではない。語尾の『でした』も私の心象を最大限に悪くした。谷崎が『ですます』を用いている作品は痴人の愛などもちろん少なくはないけれども、春琴抄から『である』調を割愛した意図が読めぬ。憤慨したまま鴎外の自伝的小説、舞姫を続けた。流麗な文語体が耳に心地よい。と、一文が終わるごとに現代口語で語り直すではないか。まさかと思い擬古文の一葉たけくらべを聞くとこれも同様で、金色夜叉は聞くまでもなかろうと、予想の斜め上をゆく程度の低さに怒りがこみ上げた。発売元がユーキャンという時点で信用してはいけなかった。確かに、購買層の見込みは文字に目がしんどい年配にたてられているかもしれぬ、けれどもそれかといって作家の文体を歪曲して宜しいはずがない。そもそも、あの長編細雪を朗読で二十分弱にまとめることなど正気の沙汰に非ず、先生が生きていたならどれだけ嫌がっただろう。


 とはいえ会社まではまだ道がある。そこで、中島敦の李陵を選んだ。漢武帝の統治する中国が物語の舞台で、漢学に秀でた氏の文章は、音声になって一層、粛々たる重厚感に心ときめくばかりであるが、驚くべきことにはこれも現代口語への翻訳が毎文なされている。中島敦は永井荷風やその他文語作家とは一線を画するところの口語体作家であり、教育勅語や軍人勅諭をそらで暗誦出来る老人たちがこれしきの言葉に意を過つことは考えられない。かいかぶりすぎなのだろうか。鏡花の高野聖に至っては昔話風情に『〜じゃった』の語尾である。私の目眩は交通事故をするかと思うほどであった。アマゾンのラインナップにこの製品が存在しないのは、苛烈なる一つ星の連続を、ユーキャンがあらかじめ悟っているからではなかろうか。この出来に満足してしまう人がいたとしたら、その人は文学好きではなく、文学が好きな自分を好きな人であろう。あれは文学という名を借りた、ただの物語解説である。もし買った人は、聞く前に捨てたほうが良い。


 そのようにして憤怒剥き出しのまま業務を終えると帰宅、材木屋であるから無限に転がる資源を活かして家具を作るべくラフ画したためているうちタッシェン社発行『60'sデザイン』をぱらぱら眺めて、そうしてEero Aarnioの大傑作『Globe chair』に目が止まった。学生時分にキューブリックの2001年を偏愛した私にとって、あの時代の人々が思い描いた宇宙的なデザインは深く己の美観形成に作用しているというか、ある種思想的薫陶を受けたと表現してもいかさま誇張ではない。久々にお目にかかるなりどうしても欲しくなった。私は、言葉には角の立つ類いの人間だけれども図形としては方形よりも円を好む。そうして立体になればなおさら球を好む。これは、積み木をやるより泥団子で四角錐を作成していた幼児期から変わらぬ不変の嗜好で、そんな私にとり通称『ボールチェアー』は、かねてより彩パンの膝の上の次に、座ってみたい物体であった。


 ネットで検索してみると、オリジナルは90万前後とあった。さすがに買えない。ところが、ジェネリック製品(オリジナルではないが、権利の切れた家具は複製が合法、それを一般にジェネリック製品と呼ぶ)はおよそ一割の価格で流通している。もちろんそこにも値段の相違はあるが大同小異、素材にしてもジェネリック製品はFRP(強化プラスチック、等身大ガンダムはこれで作られている)が主流で、クッション材は正直のところ座ってみないことには分からないのだから重要なのは形状である。ジェネリック製品はサイズがまちまちで、値段が多少高くともオリジナルがW110、つまり横幅110センチであるのに対してW80などというものもある。幅の30センチの違いは座り心地に大きく響く。であるから私は値段はどうあれ寸法が限りなくオリジナルに近いものを探した。してみたところ幅から高さ、奥行きに至るまで全く同じ寸法のジェネリック製品を発見した。9万円。ジェネリック製品の中でも一際安価で、まず座り心地の再現度はお世辞にも期待できない。何より不安なのは、私のように寸法を重んじる人間を騙すために、それを詐称している可能性が否めない、という点であった。「ああすみません、多少の寸法違いはそれはメーカー側の改良ということだそうで」こんな言い訳を食らった日にはたまったものではない。


 けれども、そうなったらこちらのとるべき解決の道はいくらでもあるので、部屋に足の踏み場一つもない私ではあるが、意を決して購入した。本来ならばベクターワークスなりAUTO CADを買わねばならぬところだが、図面はとりあえずフリーのjwcad、パースのCGはshadeという超格安だがユーティリティー性に著しく欠ける1万円のソフトに妥協することとした。最近はmikuInstallerがあればマックでも簡単にウインドウズのソフトを起動させることが出来るので便利になったものだ。


 あとは、先般購入した新型Kindleが到着するのを心待ちにしている。iPhone便利この上なしとはいえども、発光するディスプレイで長編を読み続けるにはいささか眼球の衰えを覚えてきた。いまや著作権切れの洋書は無限にウェブ上にたゆたっており、ボールチェアーに埋まりながらアラビアンナイトをKindleで読む秋の夜長なんぞという未曾有のお洒落な生活が程なくして到来することを思えば、路線バスとの衝突事故に車がべこべこになった憂鬱など吹き飛んであまりある彩パンの涙であった。


 

 


 


 


 

口まわりの腐った話

 中学時分、クラスにとにかく寡黙な男がいて、話しかけても笑顔は浮かべるが声を発しない。授業中にさされても、すっと立ち上がり笑顔は浮かべるがここでもやはり何をも語らぬ。一度、連絡網で私に電話をかけてきたことがあったが、電話の向こうでも「あ……あ……」と呻くばかりで言葉にならない。後ろからは母親の、しっかりしなさいだのといった声が聞こえてくる。今思えば吃りの人間だった。


 彼は肉体の成長が早かったのであろう、誰にも先んじて髭に口のまわりを青くしていたが、剃り残しとは趣を異としており、産毛とも繊毛とも呼べる細く短い柔らかなる髭が、天日を浴びぬ卓球部員らしい蒼白とした顔面に密生することで、一種黴のような、そんな気味の悪い青さをたたえていた。私は彼をさして、


「あいつはきっとあんまり喋らなすぎて口のまわりが腐っているのだ」


 などと非道な言を弄しては、ツーブロックのヘアースタイルを毎休み時間便所の鏡で念入りに整えていた。


 時を経て現在、私は再び静岡に住んでいる。かつて誰より雄弁で且つは軽口であった私だが、話し相手の不在にいつの間にやら言葉数そのものが激減していたようで、先日に友人と長い電話に興じた際には、言葉の速度に口まわりの筋肉が追いつかない。ぜんたい呂律の回らぬ酩酊者の如き有様で、口のまわりの腐ってしまったのは他ならぬ自分であった。


 私は、仕事上の会話は会話ではなしに詐術であると捉えているので、リハビリのためにも書を捨て街へ出、つとめて面白い人を相手にお喋りをしたいと思う。

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