文学フリマ終了ならびにデータ全消失のお知らせ

会場へわざわざ来てくれた友人、本を交換してくれた参加者、ほか、詐欺めいた口上にそそのかされてうっかり私の文庫を買ってしまった方々、ありがとうございました。利益は、ブース代と、その後に入った北海道なる、飯の割には高すぎる居酒屋にて使い果たして、ろくでもないほど足が出た。


空調効かない会場は、熱気もさることながら、並外れた湿度におかされ、ずいぶん頭がぼんやりした。並べた本が波打つくらいだからよほどだったように思う。何やらいろいろ話をしたが、ほとんど記憶に残っていない、ただ、筒井を好きだと云って、私の文庫を買ってくれた女性のことはよく覚えている。可愛かったから


次はより良いものを出そうと唸る次第。購買者の男女比率がほとんど女性ばかりというのは一つ問題で、次は男に読んで欲しい。作品をなるたけ短くまとめたいのは私の嗜好であり志向だけれども、さすがにまだ話が終わってないのに終わらせてはいけない気がした。秋の作品には長いものが予想される


参加友人に配ったうなぎパイは、待ち人来ずの報せによって一つ余り、どうしようかと懸念したけれども、周囲と比しても明らかに完成度の高い著作を並べる女性がいたので、あげた。まだ読んでいないけれども、絵といい文体といいレイアウトといい、面白いことがほぼ決定していそうなので、明日からのアメリカは、山本清風の新刊と、彼女の著作を鞄にしのばせる旅になる。短歌集も忘れない。


また、遅まきながらのiPhoneアップデートによって、すべての連絡先が消えた。バックアップがなかった。私から通話をかけることのある友人ぶんはみなそもそも登録されていないというか暗記してあるから問題ない。が、不思議と私は仕事に関わる番号は相手が誰であれ一つも覚えておらず、明日からの労働への困難が予想される。とはいえこれも文学フリマの思し召しであろう、自意識と社会性との狭間に置かれた、何者にもなりきれない板挟みの自分というものを、意識しないことには文章なんてもの書けやしない。



五月六日は文学フリーマーケット

たとえば花村、ちゃつぐ、○○にゃん、その他、私と面識ある人々のうち、現場へ混乱をもたらさないであろう善良な人々が、当日には流通センターへやってきて、十冊ずつ買ってくれる。そういう夢を、見ることにした。この夢は運命を司るようで拘束力が非常に強く、もし彼らがイベントへ来ない時には、たとえば花村やちゃつぐの眉間には、肛門ができてしまう呪いがかけられる。頭に血がのぼってしまったら最期、その拍子に脳味噌が糞のように噴き出して、絶命に至るという。だから私は、くれぐれも彼らが未だ私のブログをしっかり読んでくれていることを願う。なお、来ない場合はそれぞれの実家へ、代引送付することとなっている。


まずいのは、あれだけ時間かけて校正かけた原稿と、ひとまず書き切ってルビだけ振り当てた段階の荒い文章を、間違って入稿した。製本されたものを確認するなり、あり得べからざる凡ミスに私も目を疑ったが、誤字脱字、近い場所に同じ単語や例えを繰り返す稚拙さ、一マス開けの不徹底等が散りばめられていて、とどめにはオチが違う。Ζガンダムのつもりが、試作機たる百式を持ってきた。つまりカミーユ爆死、リックディアスも立派なガンダムなのだと、アムロが乗れば確かにそうだが、それは三島由紀夫十歳の原稿がいかに天才的かを語るようなもので、私のリックディアスは、この、私のリックディアスはという言い回しはなんだか下ネタめいているが、とにかく自身としても完璧でない点が一つ悔しい。が、秋へ向けた改善点が早くも見えたのだから、めでたいはめでたい。充分な時間をかけろということだ。そうするわ


本日は、早々に品川へ入るとホテルへ缶詰まり、今月の入稿分のうちおよそ半分を書き終え、夕方から恵比寿へ向かった。カセキサイダーのイベントがあった。みうらじゅんといとうせいこうのトークイベント目当てだったけれども、カジヒデキなど、生涯目にすることもなかったであろう毛色の違う音楽も、存分に浴びてきた。私はカジヒデキの流儀を知らなかったので、出張七日分の服をアローズで適当に揃えたけれども、うっかりそのままボーダーで行かなくてよかった。会場では、ハッとするほど可愛いらしい女の子を、少なくとも三人見つけた。以上備忘録。







今更云えない

すべての秘密には、そうなる前に打ち明けるべき時期というものがあった。秘密とは、突き詰めると自意識の問題で、他人もしくはあの人にこれを知られたらまずいと思ったその時から、それは秘密なのであって、あの時正直に打ち明けていたら、こんなに悩まなかったのかもしれないと思ったら、過去の時点では云い得ただけに、秘密ではなかった。


私はたとえば乾電池。今年で三十になるけれども、未だ捨て方を知らない。とりあえず処分方法を想像した時に、燃やしたらまずそうだし、埋めてもそれはそれで何かがまずそうなので、してみれば出すべきゴミの日が見当たらないという袋小路。挙句、リスクを避ける行動をとりますから、今すぐに捨てなければ一旦はこの悩みから解放されるという撤退案を思いつく。そうして、フェレットが糞をするように、部屋のどこか一箇所へかためて保管する。日々、原発の廃棄燃料を扱う心地で電池を使用している。困難は、今日より賢いであろう明日の自分へ、まるごと委託する。


で、賢くなっていないため、大掃除のような膨大なゴミの出る日に、うっかりしたふりをして、電池の詰まったビニール袋を、一緒くたに捨てて、なかったことにする。これを八歳から続けている。


今では電池の捨て方は、義務教育化するべきだと思っている。デジタル極まった製品の動力が乾電池であったら、偽物を掴まされたような気がするくらいには、おそらく現代人は電池から遠ざかりまた、電池を軽んじていると思うから。慣れていないものを首尾良く処理しろと云われても、きっと私のようになってしまうのではないだろうか。





文学フリーマーケットです

五月六日の文学フリマへ本を出します。


思い立ったがひとつき前、〆切に急かされるように短篇みっつを書き終えて、ほうぼうの助力をいただきながらもようやっと入稿までこぎつけた。あとは印刷所がきちんと仕事をしてくれさえすれば万事うまくいくはずで、いざ出来上がって内容がひどくつまらないとすれば、どうかそれは印刷ミスか何かのせいにして欲しい。


まず、平均的な自身が滲み出ている程度の完成度にはなっている。字引を傍に一言一句こだわりながら……というところまでは練り上げ到底及ばなかったものの、また、表現の乏しさ目に余らないでもないものの、とりあえずもう良しとした。デビューを八年遅らせてまで一曲だけに専心し、煮詰め煮詰めて完成させた本当のラブミードゥが、多作の末のどえらい産物アビーロードメドレーに勝てるのか。未来のための布石となるのだこの掌編は。三本合わせて六十頁、厚みにして三ミリしかないが。という悲しい例え話を持ち出すほどに、始まる前から逃げ道探しに余念はないので、何がどうあれ私は偉そうに嬉しそうに、売れ残りを持って帰る。そのまま成田で一泊、翌日からアメリカだから荷物の多い旅にはなる。



於東京流通センター。黄金週間の締め括りに、ひとつ。会場にて女性アイドルになりたい気持ちを隠しきれない男を見かけたら、その隣にいる丸眼鏡が私です。

きたるべき鮨屋

食料危機が、いつかくる……。


この『いつか』を、どの程度先の未来として扱うのかが重要だ。幾億年も後、太陽に地球が吸い込まれるぞのような遠い危機を煽ったところで、力と思考の及ばざることに人の心は動かない。翻って明日に米がなくなるぞと宣伝を打てば、忽ちスーパーには主婦が跋扈し、買いそびれた主婦を狙って闇米売りと見せかけたレイプ魔が、第二第三の小平義雄が生まれよう。近視眼的未来をばかり、多くの人々は行動の指針とする。


本田本田男は、自身の唱える『いつか』が、実際にいつであるのか、己にも不確かなままに鮨屋を開いてしまった。冒頭には、本田本田男の店の暖簾に書かれた一節をそのまま引用してある。本田本田男は人口爆発に世界が食料危機へと堕してもなお、貴い鮨文化の存続せんことを切に希求し、果てに、新しい鮨を、本田本田男に云わせれば『きたるべき鮨』を握った。ところが客から金を貰えたことは今のところ、ない。何故か。


店内ぐるりを見渡しても、間取り構造いたって普通の鮨屋である。暖簾をくぐり桧格子戸を引くと、鮨屋らしい健康的な白色灯が和風造の店内の空気を引き締めている。床は一面黒タイル、左手に立派な一枚板のカウンターがあって、親方越しに客の座る椅子が並ぶ。奥を進めば三組の小上がり座敷がゆかしく構えていて、畳の色も未だ緑がかって清潔である。


「へい、カブトズシとテントウズシお待ちっ」


親方たる本田本田男の握った鮨は、シャリに抱きつくカブトムシの雄と、同じくシャリの上にこちらは無数の天道虫が蠢く代物だった。本来新鮮な魚介類の保冷されるべきガラスケースの中を覗けば、クワガタやらカナブンやら他にも得体の知れぬ甲虫の山、洋の東西を問わぬ金銀琥珀に乳白漆黒のインセクト共が或いは標本のようにウニのように箱の中へ敷き詰められ、或いは生きたままクヌギの枝にしがみつき、いずれもその握られるを待っていた。山葵の代わりに蜂蜜を用いることで、昆虫のシャリへの密着が増すという。天道虫のみ、特別に油虫を代用とする。これは遠目では山葵と外観もどことなしに似ているものだから本田本田男としては自信が有るそうである。


「テントウは軍艦もね、イクラみたいで美味いんですよ」


口コミに先行される形で客足を未然に断たれる厳しい経営状況の中、本田本田男はそれでも、食料危機にあっても鮨文化の残るため、より確かな方策を練っていた。


「米を使うのが、怖いですね。穀物はきっと足らなくなりますでしょう。だから米の代わりに幼虫ですね、カブトムシの幼虫をシャリにしたらどうだろうか」


親子丼みたいで、かえって美味いかもしれない。本田本田男の表情に明るさが宿る。そうなってきたらもう、飯粒を蛆で代用させてみてはどうだろう……。


本田本田男の昆虫鮨に対する情熱は増すばかりである。




尻の下に雛

なんぼ病弱といっても毎月のように発熱するのはいくらなんでもおかしい、これでは生活が成り立たない、そう思ってコルセット巻いて医者へ行ったのは耳なしウサギを取材しようとした拍子にあんまりウサギが小さいものだからうっかり踏み殺してしまったというドイツ人カメラマンに起こった虚しい事件を耳にした日のことだった。友人にもさんざん愛でたヒヨコを尻で踏み殺したのがいるから、そういう悲劇はあるのだなと感心半分に同情した。私にしてもうっかり排水管に鯉を逃がしたことがある。穏やかな午後にコーヒーすすりつつアンアンのセックス特集を読んでいるようなノーブラタンクトップ姿のOLだって、可愛がっていたリスのようなものを掃除機で吸い込んでしまった過去を抱えているのがバブル崩壊して久しい日本の姿だ。


ところで私は病院へ行った。聴診器を乳首にくりくり当てながら医者が云う。


「これはあれですよ、家族性地中海熱」
「えっ、あの有名な?」


聞いたこともない病名を受けて私の乳首はいよいよ熱い。熱いといえば最新のiPadは連続稼働にずいぶん熱を持つという。ぴんときた私は、ではiPodに入っている曲を吸い出すような便利なフリーソフトはあるのですかと、そう尋ねてみたところ、実はあると云うのでせっかくなら名称を教えてくれろとねだってみると、


「アイポッド野郎」
「なんといっても名前がださい、他のやつを紹介してくれませんか」


地中海熱とはアフリカ北部を抜けたユダヤ系に症例の多い奇病で、発熱に伴い関節及び腹部の痛みを伴う、医者はそんなことを云った。肉体的な区分としてユダヤの名を使うことは医学用語としては正しいのかしらん、だが宗教学的には正しくない、そんな私の考はさておきユダヤ!私がドイツ人の若者にバカにされていたのはそういうことかと思い当たる。


「銀河英雄伝説は名作ですね」
「あれはバナナフィッシュ並に濃厚なBLだ」


駄目だこの医者は正直すぎて話にならない、ひとしきり奇病について聞き入れた私はその足で病院前の喫茶店へかけこむと、男塾を全巻読み尽くす間に明太スパ大盛りを二杯平らげた。


「領収書のお名前は大豪院邪鬼でよろしいですか?」
「いえ、浅倉南で」


腰が痛くて漫画ばかり読んでいる。















嘘ばっかりだな

なんで嘘を吐くのか。優しい嘘など一つもないというのに。そうしてこのご時世、あらゆる嘘は暴かれるというのに。実に関わりたくない。執心な人は嘘を暴くため業者に金を積みますね、双方共に心の底からばかばかしい


なんとなくゆっくりしていたら回復するようなことを云われて日々寝転がっているけれども、腰の痛みは和らぐどころかいよいよ厳しく、風呂に入ろうものなら患部の温まるせいか知らん、夜通し痛み続ける。そうして二日、風呂に入らず休んでいたら、こんどは身体が痒い。しかも腰は風呂関係無しにやはり痛かったから、ただ臭くなっただけだ


以前に中国語を教わった人が埼玉へ越してしまう前に旅立ちを祝う飯を奢るつもりではいるけれども、この痛みではずいぶん難儀しそうな気がするし、もう一人、これは絵を描く人で私は出会ってからずいぶん感心していて、互いに暇を作って飯をしようとなんやかや云ってはいるけれども腰が折れているので下手には動かれず、話の腰を折るというのが腰の折れているだけに比喩にもならず、提案ばかり宙を浮いている。アメリカにてハルキストと談義を交わす予定も出張のキャンセルにしたがって反故となった。面白い人と会うことだけが私の息抜きだのに、腰の痛みがすべての予定を狂わせる


そもそも腰を折ったくせ、首や膝やもたいがいで、腰の弱いぶん周囲の筋肉が酷使されるのか知らないが、肩から背中にかけてのコリがまじぱねぇと云わざるを得ない。下半身にいやな痺れがあったためウェブをちろちろ見ていると、腰椎の圧迫骨折によっても下半身不随はあるという。事大主義者の言葉だったからたいしてアテにもしないが、うつ伏せ仰向けも横向きいずれも、それだけで固まっていると痛くなって仕方がないため、定期的に寝返りをうつものの、そのたび骨を軋ませるような鋭い痛みがある。日を経る毎に緩和されるものだと思っていたら、その実真逆、夜は寝られず汗まみれ、昼間とて抗花粉症薬と鎮痛剤のちゃんぽんで、もはやなにがなんやらわからぬ頭になっている


神経過敏、ストレスに胃が萎む。このフラストレーションは発散せねばならない


圧迫骨折

或るバーのカウンターにて、女を口説く男が云った。


「おれ、こんなだけど今まさに骨が折れているんだぜ」
「まぁ!」


実のところこの女、骨折に一種特別の思いを抱える。女が小学生の頃、包帯をぐるぐるに巻いて遅刻してきた村上君が、その理由を脚の骨折と答えたのが発端である。村上君の一言に、たちまちクラス中の関心が集まった。本人とてその表情はいかにも得意気で、単に階段を踏み外しただけのくせ、妙な自信にすら溢れていたのを女はよく覚えている。


当時はこの女もクラスメート同様、他人の大怪我に興味を寄せる野次馬の一人に過ぎなかったけれども、果たして幼時の刷り込みであろうか、中高大学の最中とて骨を折った人間に巡り会うとどうしてか胸ときめく思いがした。どんなことをすれば骨が折れるのか、理由を聞いてみればそのほとんどが実に馬鹿らしい原因で、そのゆえ一層、愛着がわいた。滅多なことにはいかなる運動も溌剌たる動作もしない女にとり、骨折は我が身に決して案じる心配のない事故、テレビ越しに眺める殺人事件のような、純粋なる他人事として楽しむことができた。


わけてもこの女をして骨折好きたらしめたのは、骨を折った人間のほぼ全員が、しまいにはすっかり治るところ、骨折の楽観性、或いは間抜けさだった。この女、小説を読むにもついぞ悲劇に手が出せず、幸福な結末の約束された作品しか手に取らない。まずwikiで、悲しくならないあらすじであるかを確認するのが作業となっている。骨折は優しい話題、女はこんな言葉を再々に及んで心の中で唱える。


そんな骨折趣味の女が、今まさに骨を折っているのだと白状する男を前に、平静でいられようはずがない。


「あなたはいったいどんな因果で骨を折られなすったの」
「雨の日に転げたんだよ」
「まぁ!」


いよいよ好むところの骨折噺とみて、午前を回ったというに女の丸い瞳はますます爛々と輝く。


「……それで、どんな風に折れたのかしら」
「腰椎をね、二本」
「まぁ! 二本も!」
「そう。圧迫骨折さ」
「圧迫……骨折? なぁにそれ、亀裂や複雑や粉砕とはちがうの?」
「厳密に言えば、折れてはいないんだ。衝撃に潰れたか何かしている」
「折れてないですって? 最低! 嘘つき!」


飲みかけの酒を男にひっかけ、去りざま、偶然にも砲丸の入っていたハンドバッグを勢いよく男の腰に打ちつけると、女は砲丸バッグの遠心力を借りて速力そのままにバーを飛び出した。(圧迫骨折ですって……? あぶない、最低の男に騙されるところだったわ)未だ怒りの冷めやらぬ中、メール着信を知らせる音に携帯を取り出すと、差出人は母の介護をする施設職員だった。


「残念ですがお母様が亡くなりました。すぐによくなるものと合点した私共の報告が遅れてしまいましたことをまずはお詫び致します。……実はお母様は、先月末に『腰椎圧迫骨折』なる怪我を負いました。老体に圧迫骨折は真に恐ろしいものでございまして、つい昨日まで自力歩行できたものが突然寝たきりを強いられます。生活あらゆるを介護されねば生きてゆかれぬ他の老人と私とでは、まるで在り方が違うのだ……、そんな自信がいとも容易く粉砕されます。老人といえども彼らが集えばそこは社会、自ず階級を作り上げますから、一転下位へと落ちたことに対しては肉体の痛苦以上に自尊心の崩壊を起こします。身動きせぬままながらく布団へ包まるうち心は塞ぎ、食欲は減退、研ぎ澄まされているかのような気のしていた五感も、老齢相当の鈍さへと、一夜にして追いつきます。なぜ彼らのそこまで絶望するかというに、骨の密度の薄いため、骨折が治らぬのです。ゆえに一事が万事、全てを諦めてしまうのです。とはいえ中には抗う猛者もおられます。歩けるわいとベッドから颯爽と降りる。そういう人のどうなるかというに、やはり歩けはしませんから、転倒して頭部を強打、脳の血管を破裂させます。或いは膝を強打して、抜いても抜いても乾かぬ水溜まりを、膝の皿に作ります。これらは二次災害と呼ばれます。お母様は、まさしくこの二次災害によってお亡くなりになられました。窓を開けた拍子、たまたま、掌に砲丸を抱えていたため、その重みに身体ごと窓の外へ投げる格好で転落、即死でございました」


女は斯様の長文を読み、なるほど骨折の中ではずいぶん偽物めいた圧迫骨折とはいえ、人によっては致命の一撃となり得るものかと一定の理解こそ示したものの、やはり男を赦すには至らなかった。施設職員に対しては、圧迫骨折がどうのというよりは、普段から砲丸を携行している母の品性を疑うとだけしたためて送りつけ、それに対しての返信は読むより早く棄てた。



腰の折れた話

先週末の金曜、建材フェアへ行くため東京へ向かった。電車を降りて雨混じりの冷たい風吹き荒ぶ中、会場までの道をコカコーラ片手に歩いていると、三月とは思われぬ寒さに歯が鳴った。さて場内に潜ってみれば絢爛たる商材の陳列に巡る前から疲労が先行、ぐるり一巡してからは、ディズニーデートで嫌気のさした男のように周囲との温度差もろともせず、ベンチに腰かけ仮眠した。規模としては決して小さからぬものの、そこはかとなく漂う常連同士の内輪ノリが目について、私は建築の発想を豊かにするためここへ来たつもりが、得たものと云えばサラリーマン川柳の題材ばかりであった。パナソニックの売り子はまことたいした美女であり、かたや我が友のリストラに遭ったK印刷の売り子は相当頑固な顔面で、大企業パナソニックの一流たる所以を見た。


そのまま市ヶ谷のホテルへ滞在し、明けて土曜。私はたくさんの原稿を書くためせっかくの東京ついで、以前の職場に足を運んだ。自宅では気が散ってしまうから追い込まねばならぬ。古めかしいこの建物は、夜通し雨に打たれたせいでタイル地の床はぬらぬらと、つるつると、見るからに滑りやすそうな塩梅で、わかってはいたものの、履き古された私のジャックパーセルはもはやバナナの皮を足の裏に貼り付けているようなものだったから、やはり転ばずにはいられない。


カウンター一閃、瞬間意識の飛んだボクサーは、そのとき眼前にそりたつ壁を見るという。今まさにうつ伏せに地面へ倒れこまんとする自らの状況がわからないから、しっかり立っているつもりだから、自ら地面へ向かっているのに、あたかも地面のほうから眼前へせり上がってくるのような錯覚を得てしまうというわけである。


私とて、空の眼前に迫るを見た。大いに足を滑らせた私は、あまりに滑りすぎたがため、ガイルのサマーソルトキックをスパコンへ繋ぐためキャンセルしたかのように、或いは空中浮遊の超魔術を受けたかのように、じつに地面と平行の体勢でもって、宙空に跳ね上がり、束の間、佇んだ。歩行に大きな空振りをしたせいで、自身の腰よりも高い位置へと平行体勢で飛び上がってしまった全身と、それを取り巻く空気には、名状し難い静謐さが漂い、雨粒は落ちてくるのをやめてしまった。時の流れの停止を見たのである。私はつい先日、ジョジョを再読した。


だが私は時を止めることこそ出来たがその中を動くことで時を支配するまでには及ばず、時の再び動き出すや重力によって落下し、腰と後頭部を強打し、さりとて地面は固いものだから音らしい音もなく、とはいえ時の止まる中で痛みは現実を先回りして既に予想し終えていたものだから、やはり予想を裏切らぬ絶望的な痛みを受けて、興奮し過ぎてヘディング時におかしな声を出してしまうサッカー部員の如く「キッ」などとイルカめいた短い悲鳴を発してしまったせいで遠くに背を向けていた配達員がこちらを向いたほか、誰も知るところのない転倒をした。受身をとるべく投げ出した右掌は、皮がめくれて血まみれとなった。


原稿書き上げ市ヶ谷へ連泊、翌日には友人と会うなどして静岡へ戻り月曜。どうにも痛みのひかないものだからレントゲンを撮ってみれば、第三第四腰椎の圧迫骨折、全治六週間と診断された。


ビルドゥングスロマン的な

バレンタインを目前とした今日、とりたてて縁の無い私は、まずとろろの有名らしい店で昼飯をとった。甘い醤油にじっくりと漬け込まれたヅケ鮪と、これまた出汁のよくきいたとろろ汁の、絶妙に絡む山かけ定食を頼んだ。ざくぎりのファジーネーブルがごろりと出されたデザートがかなり大雑把であったところを除けば、総じて美味かった。静岡に来たら、とろろと、鰻と、炭焼きレストランさわやかのげんこつハンバーグを食べておけば、まず後悔はなかろうと思われる。


その後、ボウリング場へ行った。以前現場用に購入した安全靴が車に偶然積まれていて、見れば割にスマートな形状をしていたものだから、それをボウリングシューズと偽った。してみたところ、四、五回も投げたところで襟足の長い店員から声をかけられた。聞けば、裏がゴツゴツで明らかにボウリングシューズではないから金を払って借りてくれという。借りた。


運動不足に眼前のゆらゆらと定まらない中、数年ぶりにスコア140に肉薄し、これはいけるんじゃないかとハラハラしていると、隣にヤンキーのカップルがやってきた。女はすっぴんだが男は阿呆で、男の球を投げるさま、あたかもロダン彫刻が如き躍動感、あまりの大振りが、隣にいる私には本当に邪魔だった。そうして彼の放つ球ときたらレーン半ばまで地を這うように滑空し、時速は35キロを超えている。砲丸投げか何かと間違えているらしかった。そうしてその威力たるやルール無用、彼の投げる球はガーターに嵌まり込んでも反動でレーンへと戻りピンをなぎ倒すのである。茶番に付き合っていられない私は規定の三ゲームをこなすと、コーラを飲み干して店を出た。


茶などして帰宅。来週火曜から一週間行くアメリカ出張に向けて準備をしていたところ、懸案となったのはやはりどの本を携行するべきか、で、私はだいたい長篇五冊というか五作を用意するのだけれども、何せあちらへ行けば向かうは森ばかり、娯楽に心細いからにはすぐに読み終えてしまう五冊ではまずい。だから、明らかに読むであろう三冊と、気分次第ではわからない一冊と、刑務所にでも入らない限りは読みたくない難渋というよりは退屈そうな、且つ分厚い一冊を選ぶことで、まずあちらで過ごす夜の隙間を確実に埋める。未読の活字が手元にあるということは、旅の不安を掻き消す一つ大きな安心となる。


そこへ適役なのがビルドゥングスロマンつまり教養小説で、たとえばトーマスマン『魔の山』。あいにくこれを既に読んでしまってある私は他をあたらねばならないけれども、きほん教養小説は内容如何によらず、とっかかりに格別の退屈が待っている。相当に意欲のない限り優先順位は低いから、だからこそ逃げ場のない出張には重宝される。重要なのは一週間を潰せるか否かにあるので、内容がとても読む気の起きないくらいに思われてこそ、逆説的ではあるけれども選ばねばならぬ。そうなるとビルドゥングスロマンに目当てが見つからなければ次には長くて古いものが有効で、神曲三部作とか、源氏物語がまず満点に近い。これらはもう、ホテルに用意された英訳聖書よりも、読む可能性が低い。絶対に読まないであろう強く聳える存在を、私は旅に欲している。


というわけで今回私が用意したのは、頂きものの短篇集と、内田百閨Aカミュ、ゴールディング、ここまでを確実に読むとして、怪しいのがブロンテ。そうして心の安寧をはかるのは、水嶋ヒロのKAGEROUとワンピースの一巻とでさんざん迷った末、ゲーテ『ヴィルヘルムマイスターの修行時代』。プルースト然り、今すぐ読むには勿体無くて、時間のあるであろう老後にとっておきたいのだと、時折云ってはみるものの、やはり億劫な気持ちから読まないこれらなので、今回も間違いないと思う。

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